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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年02月11日 19時23分24秒

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    述語的検索の実践

    述語的検索の実践
    <補完共振>

    脳の中に能舞台を設定して、四次元脳へ変身させるのが、四次元能のシナリオですが、この能舞台の設定というアイディアは、免疫学者である多田富雄氏著の「脳の中の能舞台」からヒントを得ました。「現代の視線に耐え生き延びる」を参照してください。 
    http://fujiwara-shoten.co.jp/main/ki/archives/2007/04/post_1283.php

    この考え方は、シム方程式でも使えそうです。自分の脳で能を演じて自分で見るのです。脳で能を演じて自分で見るというのは瞑想=明晰夢のことと解釈できます。もう一度、四次元脳を生成させるシム方程式の能(シムダンス)を見ておきましょう。シム方程式が汎脚本であると述べました。
    ∫t{(+i)*(-i)⇒=1}/4d,g→V

    {(+i)*(-i)⇒+1}は、虚実反転のクラインの壷によって、イデアが空を媒介にして現象化されるプロセスを示しています。このプロセスには、根源の力=イデアが関与しており、それを引き出すのが明晰夢です。明晰夢とは夢という名前が付いていますが、24時間休みなく働いているのです。この明晰夢を積極的に活用して四次元脳=悟りを得る仕組みがインターネット禅なのです。

    その解決方法がシム方程式によって示されています。しかし、方程式なので解かなければなりません。どのように、解くか=解釈するかで、地上の楽園に行くか、失楽園に行くかが決まります。既に私達は失楽園に居る身分ですから、地上の楽園の方に行くしかありません。ただ、その道が険しいだけです。でも安心してください。天才ナビゲーター達が道案内してくれます。

    では、能の舞台に行きましょう。能が演じられている舞台は脳です。この脳にはインターネットが接続されています。インターネットは能舞台の延長なのです。インターネットを舞台とするi禅は、瞑想=明晰夢(C悟)を核としてブログ実践=A・D悟の実践とリンクしながらサイクルしますので、i禅の事始めはA→Cからとなります。C悟の悟りを得るには瞑想しなければなりませんが、i禅では明晰夢がそれを代行します。明晰夢を有効にするには、脳を活性化させることが必要です。それには酵素が必要だということです。i禅そのものが酵素なのですが、その酵素反応は、悟りの方程式(+i)*(-i)⇒+1によって示されています。更に、この式を解かなければなりません。(+i)*(-i)は即非状態ですが、これを自他共振させれば⇒+1となり、めでたく悟り=四次元脳の完成です。

    自他共振させるためには、A悟→C悟という実践のサイクルがありますから、C悟=明晰夢=瞑想を実践する前に、脳を活性化させて置かなければならないのです。それがA悟における即非思考=空(+i)*(-i)の実践です。(+i)*(-i)の(+i)は自であり、(-i)は他です。自分であり自分ではないものを共生*=即非させるということです。こんな言い方は難しいのですが、簡単に言ってしまえば夫婦和合=愛です。この様な心理状態をインターネットで実践するのです。その具体的な方法が述語的検索です。

    この述語的検索がi禅ではA悟の実践であり、C悟のための瞑想=明晰夢に直結(A→C)するのです。何故、述語的検索がA悟の実践になるのでしょうか。

    四次元能ブログに参加したとしましょう。当然、四次元能を理解(A悟)しようとして、質問をしたり、自分で他のブログやHPを検索するでしょう。検索は、何かを調べるためです。関連するテキスト、イメージを探すわけです。例えば「悟り」という言葉の意味が不明だとしましょう。それは「悟りとは何か」という質問になるでしょう。そうすることで様々な悟りに対する知識が得られるでしょう。しかし、知識が増えても悟りが何かということは分からないままです。こういう状態を主語同一性=反復といいます。悟り=n1=n2=n3=n4=・・・なのです。悟りという言葉を別の言葉で置き換えただけなのです。これが俗世界の常識なのです。科学の世界も同様です。ところが禅の世界ではこの主語論理の世界から必死になって逃れようとします。ですから、「言葉を用いるな」「只管座禅せよ」「考えよ。考えるな」とかの不思議な言い回しとなるのです。「言葉を用いるな」といいながら、結構、言葉を用いているのです。主語論理から逃れるといいながら、矛盾しているのです。それを逆手にとって、それを認めてしまうのです。つまり、即非状態になるとか、絶対矛盾的自己同一というわけです。何かだまされたみたいですが、とにかく、この呪文のような概念を知って、ある程度理解が進んだ気になります。「考えよ。考えるな」という矛盾した言い回しも、「左脳で考えるな。右脳で感じよ。」と言った具合に解釈できるようになります。これが程度の差こそあれ、A悟なのです。その他に、ずいぶんと検索をしたでしょう。例えば「悟る。悟らない」というのは述語ですから、これで検索するというのは無意識に述語検索をしているのです。「悟る。悟らない」とういう語をキーにして、検索しているという実践がすでに、無意識には明晰夢を実践しているのです。「悟る。悟らない」=右脳・左脳=スキゾ・パラノ=西洋・東洋=物質・精神という具合に展開していくでしょう。この様な横への展開が述語思考の特徴であり、人間の、いや、生物の生きる場の構造なのです。悟りの構造は既に示しましたので、ここでは、その背景にある生物の基本的認識の構造が述語的同一性であることを示します。



    生物は生きるために、最低限の「食べられる物・食べられない物」という区別をします。決して、これは魚だから食べられるなどと判断しているわけではありません。直感的にイメージ的に腐った物と新鮮な物を判断しているのです。食べられる物であれば、それは何でもいいのです。食べられる物という括りでは皆同じなのです。これを述語的同一性といいます。その判断は、場所の様子に関係して意味づけられるのです。動物のテリトリー本能や性本能、帰趨本能は場所的述語的特性の表れなのです。ですから、述語的同一性は場所的同一性でもあるのです。このような思考を場所の論理とか述語論理というのです。「悟りを得る」とは、自我によって主語論理で生きているかのような錯覚を持ってしまった人間から、本来持っている述語論理を自覚した本当の人間=仏になることを意味するのです。

    「悟る。悟らない」とういう語をキーにして、自我・無我、左脳・右脳、スキゾ・パラノ、主語・述語、西洋・東洋、一神教・多神教、科学・芸術、物質・精神などと区別しているのですから、「食べられる物・食べられない物」という区別と同じことをしているということになります。

    ですから、述語的検索しているというこの実践こそが、述語論理によって無意識に悟りの実践をしているということなのです。つまり、既に、明晰夢を実践しているということなのです。ミンデルの言う24時間ドリーミングという、根源の力を働かせるということを無意識に実践しているのです。もっと言えば、悟りの方程式(+i)*(-i)⇒+1を実践しているということなのです。インターネットにはそういう力があるともいえるのです。根源の力を引き出す力があるといった方が、より正確でしょう。

    しかし、このインターネット検索の実践だけでは、まだ、悟りとしては不完全なのです。原生人に戻ったに過ぎません。私達の内面には、悟りの方程式(+i)*(-i)⇒+1と反対の力が働いているのです。それは、自我の方程式(+i)*-(-i)⇒-1です。この力によって、元の木阿弥にされてしまうのです。ですから、この力に対抗しなければならないのです。このメカニズムについては、下記の「地上の失楽園」で述べました。参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100078301540

    元の木阿弥にならないために、先に話を続けましょう。「悟り」を述語として、その主語を捜し求めるところまではいいでしょうか。悟れるものであれば、運動であれ、座禅であれ、ヨガであれ、明晰夢であれ、何でもいいのです。述語的同一性の基づくものならばなんでもありです。こうして関心の赴くままにそれに相応しいものを見つけに検索していくのでしょう。どんどん、悟りから逸脱していくでしょう。悟りとは何かというような主語論理からは逸脱して、悟りと「同じもの」はないかといった方向に逸脱するでしょう。ピカソやシュルリアリズムに行き着くかもしれません。述語的思考は逸脱せざるを得ないのです。述語がベースですから、どこに行くか分からないのです。それでも、悟りに関心があれば、述語的に同じようなブログを発見するでしょう。この「同じ」というのは述語的同一性のことです。こうして述語的な世界=場から、何となく悟りの共通の実体が露出してきます。それが悟りのイメージです。まだイメージですから、悟りという述語が明確になったわけではありません。まして、「この魚は食べられる」などと主張できるほど、主語が述語を支配したわけではありません。まだぼんやりとしているでしょう。

    このような検索と思索を繰り返して、夜になり床につきます。脳はかなりカッカしているでしょう。悟りとはなにか。どんなイメージなのかと悶々としているでしょう。そのようにして眠りに入ります。なかなか眠れません。右脳が活性化しているのです。左脳はややお休みです。右脳は疲れ知らずといいますか、昼間、インターネット検索した情報に基づいて、盛んに脳内検索しています。検索しながら思考もしています。そうしているうちに眠りにつきます。そして朝になり目が覚めます。するとどうでしょう。四次元能ブログの言っている「悟り」が理解できているではありませんか。aha!の瞬間です。(+i)*-(-i)⇒-1の力に逆らって(+i)*(-i)⇒+1が勝利した瞬間です。

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