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from: 生成門さん
2009年02月11日 19時30分42秒
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i禅は検索上手
i禅は検索上手
<補完共振>
A悟の実践=述語的検索によって、脳はかなりカッカしているでしょう。この状態でベッドに入ります。なかなか眠れません。右脳が活性化しているからです。左脳はややお休みです。右脳は疲れ知らずといいますか、昼間、インターネット検索した情報に基づいて、盛んに脳内検索しています。検索しながら思考もしています。朝になり目が覚めた時に劇的変化が現れています。悟りの理解できているのです。aha!の瞬間です。(+i)*-(-i)⇒-1の力に逆らって(+i)*(-i)⇒+1が勝利した瞬間です。述語的検索の勝利は、述語的インターネット検索から明晰夢に直結(A悟→C悟)したということなのです。インターネットが脳の延長であると言ったのはこのことなのです。ミンデルは明晰夢を24時間働かせよといいましたが、それは確かにインターネットで検索している時でも働いていました。しかし、レム催眠時の明晰夢は強力です。ある意味では(A→C)が一体となった状態を明晰夢と言った方がいいかもしれません。しかし、まだ先がありますので、ここではC悟の瞑想を明晰夢としておきます。
A悟の検索と思索に続く、C悟りの瞑想=明晰夢における検索と思索が四次元能のi禅における瞑想術なのです。とりわけインターネット検索は明晰夢に計り知れない効果を与えてくれます。ですから、瞑想とは検索と極論しても言い過ぎではないでしょう。i禅の後半は、(+i)*(-i)⇒+1を確実にするために、理解できたことを表現するというC悟→D悟りの実践があります。ここでも検索は重要となってきます。説明は別の機会にします。
(+i)*(-i)⇒+1が実現した瞬間は、小さな悟りですが、四次元脳の生成の瞬間でもあります。ですから、明晰夢に直結(A→C)する検索は能の「秘すれば花」です。検索は四次元能のi禅における瞑想術であり、その極意は「検索の仕方」ということになるでしょう。トレジャーハンティングでも、ただ、探し物をしないのと同じように誰でも無闇には検索はしないでしょう。もっと検索の旨いやり方があるのでしょうか。
インターネット検索が明晰夢に計り知れない効果を与える取って置きの検索方法を披露しましょう。検索するということは、何らかの目的、考え方をもって検索をするでしょう。地図検索する場合でも、行きたいところがあるからでしょう。レストランを探すならば、食べたい物とか、価格、地域などという条件をキーにするでしょう。これは既に、述語的検索をしているということです。食べたい物とか価格、地域は述語であり、述語によって限定された(絞り込まれた)レストラン(主語)が現れるということです。ということは述語的検索をすれば、悟りが得られるというのでしょうか。悟りがそんなに簡単に手に入るのならば、苦はないのですが、それがそうでないから問題なのです。一度、そのレストランを知ってしまうと、もう検索は必要がなくなるでしょう。経験と知識による既成観念で縛られた三次元脳になるのです。要するに経験が悟りを必要なくさせるのです。起業当初は溌溂としていた企業が、いつしかマンネリ化して硬直化するのですが、それも同様の現象でしょう。いつでも(+i)*(-i)⇒+1 の背後には(+i)*-(-i)⇒-1が忍び寄ってくるのです。
(+i)*-(-i)⇒-1を寄せ付けないためには、四次元能のインターネット検索においても、最初の「地図検索」の時のような、初デートの気分、つまり「初心忘れるべからず」なのです。どのようにすれば、そんなことが出来るのでしょうか。
レストラン探しの場合は、レストランはあるものの中から探すのであって実体があります。それに対して、悟り探しはそうは行きません。どこかに悟りの実体があるわけではありません。ですから実体のないものを探すという意味で探検とか探求に似ています。簡単には結論がでないのです。芸術家が作品を作るようなものです。四次元能をトレジャーハンティングなどという言い方をするのも、そのことの表明なのです。
従って、i禅で悟りを求めるというのは芸術家や冒険家、探検家と同じ態度で臨まなければならないのです。具体的には、科学者がそうするように仮説を立てることです。悟りから四次元脳への掛け橋となる述語的仮説を設定することが、i禅における検索の前提となります。
では、何故、悟りを四次元脳に繋ぐために述語的仮説を設定するのでしょうか。四次元能では「四次元脳と悟りは同じである」と期待してシムダンスを舞っています。この期待を仮説に置き換えてみましょう。冒険とか探求というのは往々にして期待が述語的仮説になるのです。例えば、エジプトのピラミッドの意味を探すという場合、ピラミッドは王の墓だというのが定説となっていますが、ある探検家が「ピラミッドは農民たちのための失業対策」だという説を立てたとします。そこには探険家の期待があると思います。もちろん、ただの期待ではありません。推論に裏付けされた上の期待です。
期待というのが気に入らなければ、見通し、予感と言っても良いでしょう。いずれにしても、それが探検に向かわせる原動力=述語的仮説なのです。
それでは、こちらも四次元能の述語的仮説を立てる実践をしてみましょう。「四次元脳とはXである」「悟りはXである」とします。Xは述語です。これから「四次元脳は悟りである」となるのが述語論理です。ただし、この場合、Xは未知なので、「四次元脳は悟りである」は述語的仮説となります。検索と思索によって、四次元脳と悟りをそれぞれ特徴づける述語が無数にある述語の中から隠喩的に選ばれます。隠喩的とは似た物同士を結び付ける思考です。それらを比較して似たもの選んで、四次元脳と悟りが同一視できるように括ります。隠喩的とは述語的なのです。こうして選ばれたものがXなのです。このXの隠喩的共通性によって「四次元脳=悟り」となりました。
この例で示したのは、悟りから四次元脳への掛け橋となる述語的仮説を設定することが、i禅における検索の前提となることでした。ここにきて、それは隠喩的であるということになりました。隠喩的、述語的な仮説を立てて実践した結果、捜し求めた述語とは、例えば、悟りの精神であり、仏教的宇宙観(taste=感性)であり、即非的無我、無常、無自性の色即是空などの述語でした。四次元的な述語は時間のスクランブル、時空の歪み、時間回廊、因果の切断などでした。これらを括るとすっぽりと四次元脳と悟りが呉越同舟になりました。こうして今も四次元能は進んでいるのです。
この例で示した悟りと四次元脳を繋ぐ隠喩的、述語的仮説はどのように選択されたのでしょうか。言うまでもなく「四次元脳は悟りである」という期待があり、それを直感的仮説としたのです。「四次元脳とはこうである」「悟りとはこうである」という定義があって、それらを主語論理的に検証しているわけではありません。直感的仮説がまずあって、それによって検索領域を特定して、編集しているのですから、何時も成功するとは限りません。宝探しと同じです。やってみなければわからないのです。検索する領域とは、悟りの場、四次元脳の場であり、脳とインターネットが繋がる拡張場なのです。(teamのe:environment=場)拡張場とはインターネットを媒体にした(teamのm:media=媒体)無尽蔵の述語の関連データベースです。ここまでがA悟の実践です。
そして次にC悟の実践=瞑想=明晰夢に入ります。この述語データベースから検索された四次元脳の述語と悟りの述語は明晰夢の中で、右脳を最大限に刺激するでしょう。つまり、それぞれの隠喩的述語的特性が相互作用して、四次元脳と悟りが脳の中で繋がっていくでしょう。A悟りの実践でも、かなり左脳の支配されている状態から右脳優位に反転しているのですが、この明晰夢によって更に一段と反転を加速させるでしょう。それ故にi禅を反転酵素というわけです。これが反転技術(teamのa:art=advanced resourse & reversing technology=先進の資源・反転テクノロジー)なのです。反転技術とは、三次元脳(主語的世界)を四次元脳(述語的世界)にシフトする力であり、その反転の核になるのが、隠喩的・述語的検索なのです。隠喩的、述語的瞑想=明晰夢なのです。(metphor=隠喩)これが四次元脳へ反転(∫)するための隠喩的編集的アプローチなのです。隠喩とは「のようだ」という関連づけるものです。異質なもの同士を結びつけるマッジクが隠喩なのです。松岡正剛氏は蔵本由紀氏の「非線形科学」の紹介で隠喩の重要性を紹介しています。下記を参照してください。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1225.html
以下引用しました。
本書の最後には、述語的自然学の可能性についてふれられている。いわば、「不変なもの」を通して「変わっていくこと」を求めるのではなく、「変わっていくこと」のほうを述語的世界として広くとって、そこから逆に「不変なもの」を新たに見いだそうという科学の可能性をのべたくだりだ。こうして蔵本さんは、最後の最後になって次のような示唆深いことをのべて、本書をおえる。比喩や暗喩のはたらきこそ、新たな科学像を導くための有効な方法ではないかという示唆だ。これは、まさに“編集的科学”の予兆を感じさせるものだった。
―――
蔵本由紀氏は著著の中で『メタファは、具体的事実を説明するための実体的モデルとは異なり、個別現象の中に自然が潜ませているある普遍的な「仕掛け」を見ようとするのである。したがって、実体的なモデルが確立した後でも、メタファの存在理由は大いにある』といっていますので、比喩や暗喩というのは隠喩(メタファ)と解釈しても良いでしょう。
比喩とは直喩、隠喩、換喩、提喩を指していますが、直喩、暗喩というのは隠喩と同じ述語的カテゴリーであり、換喩、提喩は主語的カテゴリーです。ですから、述語的という場合は、隠喩を代表させます。更なる隠喩のパワーについては、別の機会に述べることにします。
インターネット禅は禅のA悟→C悟→D悟というクラインの壷をインターネットと脳を接続して延長しました。その反転する力を明晰夢という瞑想によって示しましたが、まだ、それは半分しか説明していません。C悟→D悟が残っているからです。
それは後に回すことにして、ともかくも虚実反転のクラインの壷によって、イデアが空を媒介にして三次元(主語的世界)から四次元(述語的世界)へ反転させることを、自他共振{(+i)*(-i)⇒+1}で示しました。また、何故、隠喩的検索、隠喩的瞑想なのかも示しました。更に、何故禅がクラインの壷なのかも説明しました。世阿弥を持ち出したのですが、結局、反転のエネルギーは検索上手になることで生まれることになったようです。それが花の極意です。禅とは検索上手の花だったのです。いずれにしても禅は四次元脳へ変身するために通らなければならない道だったのです。-
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