サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: 生成門さん
2009年02月27日 16時58分21秒
icon
三次元脳と四次元脳(2)
三次元脳と四次元脳(2)
<補完共振>
空間の認識は、重力と光によって影響を受けます。その認識能力は動物・植物・人間によって違いますが、いずれにしても、空間は認識されるものであるということから、それは遺伝子=意識現象だということです。しかもその意識現象の背後に「見えない力=イデア」があるということです。つまり、空間を三次元として、或いは、四次元として認識させるのはイデアだということです。では、認識の奥の院に迫ってみましょう。
私達は、日常的世界観=ニュートンの世界観をもって「三次元+時間」の世界に住んでいると思っています。しかし、それは錯覚であり、光の陰謀によって貶められた世界観です。むしろ、四次元時空の世界の方が、より現実的な生の時空なのです。それはアインシュタインが、光の振る舞いから導いたのですが、私達はそれが余りにも、自我的な生活実感との釣り合いが取れないので、日常的世界観とはなりにくいのです。真の光を見なければ、現実的な生の時空とはなりにくいのです。それに比べて、植物は真の光を見ているようです。光と共に生きる植物を観察すれば、それが正しいことを実感できるでしょう。
では、植物は時間の認識をどのようにしているのでしょうか。人間の場合、時間に対する意識=認識(無意識)は初めからあるわけではありません。何となく物心が付いたころに、空間と同時に時間というものを無意識的に意識します。この時間認識の仕組みは不明ですが、イデアが関係していることは間違いありません。それを推測するために、植物を観察してみましょう。
向日葵が太陽に動きに合わせて向きを変えるというのはそこに時間が関係しているということです。上で引用したアオイの葉の例で、日の出を待っている様子は、まるで意識してそうしているかのようです。そこには生の時空=24時間周期のリズムがあるのでしょう。動物にも体内時計があります。このように、空間の認識の傍にはいつも時間が寄り添っているのです。生命は生の時空=場所という固有の空間と時間と共に生きているのです。時空場にはリズムを生む力があり、時空という認識を生む力があるということです。これをイデアと呼んでその力の正体を探ろうというわけです。
時空は生きている場所の認識です。場所という固有の性質(生きるためのもろもろの条件=温度、文化など)が、時空認識にその特性を与えるのです。脳という場では、主観という生体時間を生み出すのです。この時空認識は無意識的な認識であり、イデアによる現象化なのです。
この発想を更に拡大してみましょう。人間は言葉を知り、それを駆使して、他人とのコミュニケーションを介して様々なことを知るようになります。これらすべては意識的現象(例えば文化、生活)です。意識的現象でないものはないといっても過言ではありません。はっきりしていることは、経済や社会的な活動に渡る意識的な現象があるということです。それらの意識現象は言語によって媒介されますが、言語能力の獲得は無意識的な現象です。従って、人間の意識的現象のすべてには、イデアが背後にあるといっても良いでしょう。
意識的現象の「背後にある力=イデア」を感じるということがあるでしょうか。「神がかり」などという場合はどうでしょうか。人間は、昔から、見えるものだけが、この世の世界ではないということを感じていました。それが神話や宗教、お祭りとなって今でも私達に影響を与えているでしょう。ただ、残念なことに、予知や神秘は日常の世界では席を与えられておらず、非日常的なものとして疎んじられています。しかし、温暖化防止をまじめに考えていくと、どうしても非日常的なものとして疎んじられている見えない力を表に出してこなければならなくなってきたのです。それがこれまでの四次元能のシナリオでした。そしていよいよ四次元という世界に飛び込もうとしている直前のところまで来たのです。
「次元が違う」というのは、まるで異質な世界という意味があります。四次元の世界は非日常の世界ですから、意識の有り様がまるで違います。ですから、三次元の世界に時間を加えるだけでは、四次元とは言わないのです。真正の四次元の世界では、それで十分に異質な世界なのです。しかし、異質な世界であるからといって、いたずらに高い次元を持ち出すこともしたくないのです。そこで、基本となる次元について、再び復習しておこうというわけで、このテーマで話を続けています。
「すべてが現象である」として、その背後には「見えない力」が働いているといいました。ケインズ経済の「見えざる手」とどう違うのでしょうか。見えざる手というのは需給のバランスが、市場経済の下では勝手に働くという理論ですが、これは現象の背後というよりは、「冬が終われば春が来る」といったような現象の因果的リレーです。「見えない力」とは現象を生み出す大元のことですから、現象内の、一見して見えない出来事とは区別しておかなければなりません。「見えない力」と「見えざる手」をどう区別すればよいのでしょうか。
私達が認識している世界は、物質と精神の世界に大きく二分できます。物質は空間という大きな入れ物の中にあり、時々刻々変化しますから、時間というものを付帯します。これがニュートンの世界です。しかし、既に述べましたように、空間も時間も認識された非物質的な概念です。つまり、認識とは意識(無意識も含む)であり、現象ですから、三次元世界=物質世界といえども精神世界に属します。物質が精神だということはどうしたことでしょう。論理が可笑しくなってきました。いいたいことは、物質といっても、それを認識しなければ、何もありません。仮にあるとしても、「ある」と想像するしかありません。想像して始めてそれが現象として現れるのですから、これも非物質的となってしまします。
物質を三次元空間として、精神=非物質を四次元空間とすれば、次元とは異質な世界であるとする考えにぴったりなのです。では、現象とその背後の力=イデアを四次元空間とすることで、次元の問題は解決できるのでしょうか。現象化には、物質化と精神化があるというのは、ニュートンとアインシュタインの違いなのです。つまり、どちらも、認識の現象であり、物質化現象も突き詰めれば精神化現象だということです。ということは、すべての精神現象を生み出す「見えない力」があるということになります。異質な世界を次元とするという意味では、すべてが精神であるならば、三次元空間と時間で十分ということになってしまいます。「見えざる手」は、物質化現象のことなので、「見えない力」とはいわないのです。ただ、「見えざる手」を考えた、精神現象は「見えない力」になります。このように、物質現象は精神現象ですが、ニュートン的物質(精神)現象とアインシュタイン的精神現象では雲泥の差があります。その違いについては、後で考えるとして、そのどちらも「見えない力」=イデアによって生成されたということです。これで現象とイデアという大きな次元の括りができそうです。
イデア(見えない力)→→→→→→精神現象
ニュートン的物質(精神)現象
=三次元空間と時間=見えざる手
=三次元脳人間
アインシュタイン的物質(精神)現象
=四次元時空
=四次元脳人間
「見えない力」というこのような極めて特殊な事態を乗り越えるためには、私達に出来ることは、先人の知恵を参照することです。見えないが現象化させる力があるとしたのは、シャーマニズムや色即是空の仏教です。その他の宗教や神秘主義は「見えない力」があることを主張してきたのです。それと同じ事を言い出したのは神秘主義とは正反対の科学の先端分野における量子論の世界観です。この分野が踏み込んだのは、対称性(すべての物質には陰陽がある)や非局所性(いくら遠くても陰陽は保たれる)という考え方であり、それは「見えない力」を前提にしているのです。ただ、量子論がイデア論を取り込んでいるわけではありません。
四次元能は、量子論より一歩先んじて、イデアの考え方を取り込んでいこうとしています。ただ、どう取り込むのかで大きな次元の壁にぶつかっています。既にイデアを取り込んで、世界の解釈をしているのですが、その説明はまだまだ稚拙です。ここに来て、より明確にする必要に迫られてきました。
「次元が違う」というのは、まるで異質な世界という意味があるといいましたが、四次元能にイデアの考え方を取り込むことは、まさにそういうことです。量子論にしてもイデアは取り込んでいないですし、アインシュタインが聞いたら目を白黒させることでしょう。しかし、アインシュタインもびっくりする方法があります。それが複素平面を導入するという離れ業なのです。複素平面というのは、量子論ではおなじみであり、これなくしては、論そのものが成り立ちません。複素平面は、光のように粒子であり波であるような全く異質な性質を同居させている即非状態を扱うのに素晴らしい武器となるのです。
複素平面というのは、実と虚という交じり合うことのない、異質な世界、即ち、二つの軸を同時に扱うことに出来る平面です。この実軸に現象化空間を配当して、見えない力を持つ背後空間を虚軸に配当します。これによってニュートンとアインシュタインとイデアを、神秘主義と科学を対等に扱うことが出来るのです。そして、すべての森羅万象をスマートに説明できるのです。これらの考え方はPS理論を参考にしています。詳しくは下記を参照してください。
http://ameblo.jp/renshi/archive1-200902.html
私達は生きているこの世界には、意識化された空間とその中に収納される意識化された物質現象と空間に付帯する意識化された時間、及び、人間の精神的現象とがあります。ここで空間とは三次元です。この軸は物質と精神の現象化世界であり、実軸とします。この実軸で生きているのは私達ですが、多くは三次元人間であり、僅かですが四次元人間(仏)がいます。
実軸に対して、「見えない力=イデア」がある虚の軸を虚次元=虚空間とします。この虚空間と三次元空間を加えて四次元複素平面ということにします。ところで、既に、日常的な世界観を作り出したニュートン的世界観は三次元空間と時間を基礎にしているのですが、次元数だけから言えば四次元です。しかし、これを四次元というには抵抗があります。四次元というのは、私達の常識的世界観とは違う世界だからです。ですから、三次元としました。単に四次元として、更にここでのイデアの虚空間を加えて、四次元イメージさえ掴めていないのに、いたずらに五次元にはしたくはないという思いもあります。
いずれにしても、実軸には、ニュートンの三次元現象世界観とアインシュタインの四次元時空を現象世界観が同時に存在することになります。これでは、実軸の三次元空間と四次元時空の同時存在、それと虚空間との四次元虚空間との関係が混乱してしまいます。整理してみましょう。
三次元空間と時間=三次元実軸=日常世界=三次元人間=ニュートンの世界
四次元時空=三次元実軸=精神的主観の世界=アインシュタインの相対性の世界
三次元空間と時間とイデア空間=四次元虚空間と時間=複素平面の世界
四次元時空とイデア虚空間=五次元=複素平面の世界
このように次元について空間と時間及び虚の認識に仕方によって、三次元、四次元、五次元になり、複雑になってしまいました。とりあえず空間認識に限定して、人間がこの複素平面にどのように配置されるのかを考えてみましょう。虚次元を認めない人間を三次元人間としましたが、それはPS理論の自我方程式から-1に配置されます。虚空間=虚次元を認める人間は、+1に配置されますので四次元人間と表現できます。四次元能では、この四次元人間を、アインシュタイン世界=四次元脳を持った人間とします。そして、ニュートン世界=三次元人間を、三次元脳を持った人間といいます。この異なった人間が複素平面の実軸上に配置されるというのが、四次元能の謎解きの鍵なのです。
四次元能は、三次元脳から四次元脳への変身を遂げることを目的としています。そこで究明しなければならないのは、イデアの力がこの現象化(三次元脳・四次元脳)に対して、どのように働いているかということです。イデアがダイレクトに現象化するのではないでしょう。媒介するものがあります。そのことを複素平面で示してみましょう。複素平面は実と虚が交叉していますが、そこには交叉点があります。つまり原点です。この原点が重要な意味を持っています。この原点の構造、意味、働きを解明すれば、四次元能は終幕となるでしょう。
続く。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件