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シムダンス「四次元能」

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2009年05月20日 12時53分46秒

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    一粒の砂にも個的精神がある

    一粒の砂にも個的精神がある
    <補完共振>

    一粒の砂にも精神が宿っているといいました。一粒の砂にも個性があるのでしょうか。もしそうなら、その個的精神とは、どんな精神なのでしょうか。

    四次元能では、宇宙精神を探求する生成の舞=シムダンスです。宇宙精神とは、プラトンのイデア論でいうところの「現象の背後にはイデアの力がある」というその考え方と仕組みをいいます。

    プラトンの考え方を発展させて、イデアを虚といい、虚軸を設定して、複素平面で表現し、その虚軸を虚次元=四次元といい、空間の構造としては、無限を閉じ込めた反転と捻りがあるクラインの壷で表現します。

    反転と捻りがあるクラインの壷は空のダイナミズムを代表するのであり、実と虚のリサイクル運動なのです。要約すれば、「すべての現象は、虚から空を媒介して実軸に膨張反転(現象化)し、実が収縮反転(次元化)して虚になり、空にその運動の情報が蓄積され、伝承される」のです。三次元の実軸に現象化されたもので代表するのは物体ですが、どの物体も虚軸を持っており、空から反転して生成された実体(個体)なのです。

    このように実と虚が回転運動する仕組みを宇宙精神というのですが、省略して虚を精神ということもあります。それは、実が物質的であり、虚とは非物質的イデアですから、物質に対してイデアを精神というのです。

    イデアを精神とすると、宇宙精神と混同しやすいのですが、もう一つ混同しやすい言い方があります。それは、人間に表れる意識や感情を精神ということです。意識とは、想像、思考、無意識、妄想、言語の使用による自我であり、感情は、喜怒哀楽に関する精神作用です。いずれも、物質的現象に共生して現れる非物質的現象です。

    人間に限らず生命には意識や感情が生まれます。何を持って意識・感情というのかという問題がありますが、植物にも重力を感知する能力があるのですから、それも広い意味で意識、感情と捉えると問題(精神)の本質が見えてくるでしょう。

    脳死という表現は、脳に意識が「ある・ない」をもって、判断していますが、それを精神と呼ぶことになんら違和感はないでしょう。つまり、脳自体は物質ですが、脳に精神が宿っているということです。脳を神経作用も含めて身体にまで拡張すれば、身体と精神というように、身体に精神が宿っているという言い方もできます。

    このように精神というのは、時には、原理であったり、仕組みであったり、イデアであったり、意識・感情であったりと多様な使われ方をします。混同を避けるために、この三つの使われ方をもっと明確にしておきましょう。三つの精神とは以下の通りです。

    (1)原理・仕組みとしての宇宙精神
    (2)イデアエネルギーとしての精神
    (3)意識・感情としての精神

    原理・仕組みとしての宇宙精神(1)は、空のダイナミズムが基本であり、虚軸のイデアとしての精神と実軸上の非物質的現象である精神(2)を包括します。

    意識・感情(3)は、(1)、(2)の結果、空を媒介して三次元の実軸上に現れた第三の現象です。これらを混同しないようにしましょう。



    1) 原理・仕組みとしての宇宙精神

    精神の三様を示したわけですが、宇宙精神は四次元宇宙そのものですし、全ては宇宙に属するのですから、これだけでも一粒の砂にも宇宙精神が宿っているといと言っても良いのです。詳しくは、「四次元の誕生秘話」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178

    宇宙には、一次元、二次元、三次元の空間が単独で存在するのでしょうか。少なくとも、虚の次元を土台とする宇宙なのですから、虚次元と他の次元がセットで存在するでしょう。ただ、虚次元と二次元だけの世界は、存在しないようです。

    現在の宇宙は、三次元で覆われていますので、一次元だけの世界は存在しないように見えますが、三次元の世界ができる前に光があったことは間違い有りません。光は、重さのない粒子(波)ですから、一次元に属する現象なのです。点の定義を思い出してください。点は何もない無が無限に詰まったものでした。その点が反転して無限に繋がったのが直線であると云いました。これぞ光の波ではないでしょうか。光の波は一元なのです。
    海の波は、水という媒体が必要であり、
    こちらは三次元です。

    二次元に属する単独の現象は、理屈からいってはありうるのですが、それを示す現象、例えば、曲がっていない面だけを見つけることはできていません。ただ唯一の候補として考えられるのは、HH30天体で示した円盤がそうかもしれません。何故、円盤が薄いのかが、分からなかったのですが、一つ一つの粒子が質量のない粒子なら、一次元であり、それが反転して面となっていることは有り得ることでしょう。円盤が薄いこと自体既に三次元なのですが、もしかして、一つ一つ円盤は、厚さがないのかもしれません。厚さのない円がいくつ集まっても、三次元にはならないように、円盤は二次元かもしれないですね。円盤は回転していますから、粒子の回転は二次元なのかもしれません。例えば、電子は質量がありますが、絶えず軌道を回転しています。回転しているときは波ですから、回転軌道は二次元平面と言ってもよいでしょう。

    確かなことは、一次元だろうと二次元だろうと三次元だろうと、あらゆる宇宙は、ゼロ次元から誕生するということです。しかも、ゼロ次元とは、虚次元であり、四次元だということです。ゼロ次元と虚次元と四次元は同じ次元ですが、違いはないのでしょうか。単なる呼び名が違うだけなのでしょうか。

    どの次元にも原点が有ります。ゼロとは何もない無の点であると言いました。長さ、幅、厚さがないのが点だということです。ゼロ次元は無限に無=点があります。その原点には、ゼロが無限に閉じ込められています。これだけなら単なる数学的な点です。

    ところが、世界は無から生じたといいます。単なる数学的な点を無として、宇宙誕生の重要な役割を担ってもらおうと思います。それは無を無のエネルギーとして、その無には対称性があるとします。つまり、無を陰陽のあるゼロ、しかも、虚の±iエネルギーとします。

    これは四次元能が勝手に想定したことではなく、素粒子を探求する科学が突き止めた事実です。つまり、宇宙の出来事なのです。真空の空間にガンマ線バーストを照射すると一時的にプラスとマイナスの対の素粒子が発生します。そして、しばらくすると、これらは結合して消滅するということが分かっているのです。

    ここでは、真空の空間を想定していますから、初めに虚次元を想定していることになります。ガンマ線とは光のことですから一次元です。発生した素粒子は、重さがあるものとないものがありますから、一次元と三次元を想定しているということです。

    宇宙は無であり、その無の空間=虚次元に虚のエネルギーが隠されているのです。そして何らかの拍子で、その無の空間に刺激を与えると、陰陽に分離発生します。

    こうした、陰陽二極に分離する現象は、素粒子だけでなく、電荷等、その発生する形態は多様です。生成された陰(+)と陽(-)の電荷を帯びた電子などは再び出会いを求めて彷徨います。電子は、物質を形成する上で基本となるものです。その証拠に、私達が握手をするときの行為は、ミクロに言えば、電子と電子の接触なのです。元素は電気的にはプラスの原子核とマイナスの電子が釣り合って構成されていますが、その外側が電子であるという事実から、私達に見える世界を作り出している物質世界の主役は電子なのです。

    電子(-)と陽子(+)は、電荷のない中性子も含めて結合すると実のエネルギーになり、最初の物体、ヘリウムとなり、更に、ベリリウム変遷を経由して物質化=現象化が進むのです。基本となるのは無の対称性(ペア)なのです。この世は全てペアとしての無で構成されているのです。

    無と云えども、じっとしているわけではありません。エネルギーですから、振動しているのです。そして、どこかで振動の対称性が破れるのです。そのペアを破るのは「揺らぎ」です。

    「揺らぎ」によって無から、次元が、世界が、現象が生まれるのです。この様子を四次元能的に表現すれば、次のようになるでしょう。

    先ず、空=陰陽=±iの虚エネルギーが分極して、虚軸(i,-i)が生成されます。これで世界の原型=複素平面ができます。ここで、虚軸の原点とは空であり、{i*-i,i*-(-i)}という即非構造を持っています。i*-iは、ペアの虚が共振・共鳴し、i*-(-i)は、反共振・反共鳴することを意味します。空とは、矛盾したエネルギー状態にあります。結局、ゼロと無であり、無とは空のことなのです。

    このような言い方になるのは、ゼロは数学的な性質を、無はカオス的な自然を、空はエネルギーをそれぞれ強調するからであり、それらを同じ意味とするのは、述語的な共通性においてなのです。

    2) イデアとしての精神

    宇宙精神の要は空です。空は、現象化(虚から実)と次元化(実から虚)への膨張反転・収縮反転を繰り返して、過去を畳み込んで未来に継承していきます。ですから、反転を繰り返すたびに、情報が蓄積されていきます。大概の現象は反転を繰り返すたびに、虚のエネルギー供給よりも、エントロピー(無秩序)が増大して、ゼロ次元に戻り、崩壊消滅しますが、中には虚のエネルギーがエントロピー(無秩序)を減少させて、現象を再生産することがあります。その良い例が新陳代謝です。これは三次元から三次元へのリサイクルであり、生命では進化と呼ぶでしょう。

    その進化を担っているのが空に蓄積される情報であり、宇宙の空にはすべて個性があり、同じ空などどこにもないということの意味なのです。ですから、砂粒には砂粒の空があり、人間には人間の空があり、更にそれぞれ個性、つまり歴史があるということです。詳しくは、「四次元の誕生秘話」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082056787

    すべての空に個性があるということになりました。一次元から二次元が、その後に三次元が誕生する生成の段階を経ていくと、次の「次元」の元である原点に前の次元(情報)が畳み込まれるので、空の中身が豊かになるのです。つまり、空が進化するわけです。

    過去を畳み込む空を原点とする複素平面で考えるというのは、宇宙の個性的な構造を考える上で、重要な意味があります。

    すべての実体は畳み込む空をもった複素平面の宇宙なのですから、人間も砂も、すべての実体は複素平面上の三次元実軸上に物質として現象化した(する)存在なのです。しかし、畳み込む空は、人間をして物質的な身体と共に、非物質的な精神現象を伴った存在にまで進化させたのです。畳み込む空を持った人間と海岸の一粒の砂の精神の間には、どの程度の差異があるのでしょうか。

    無機物は元素から出来ていて、自然崩壊や反応・爆発などによって崩壊、結合します。一部は元素に戻ったり、他の無機物と融合したりします。ですから、どんなに空を畳み込んでも、そこから、生命体のような精神が宿るようなことは起きそうもありません。

    しかし、現実は想像する以上のことが起きています。無機物から有機化合物ができ、塩基が生成され、核酸が出来ました。核酸ができたことは、三次元の空が進展する中でも、最大のトピックでした。これが生命の発端になったのです。

    三次元物質の収縮反転と膨張反転の繰り返しという宇宙のリサイクルが、核酸を生成し、やがて、その延長にある脳という物質を生成させることになったのです。その脳に精神が生成されるのは、空の進展が進んだ、もう少し後の出来事です。進化について語るのは保留にします。

    3) 脳に付随する精神

    何故、一粒の砂に精神が宿ったのかに「けり」をつけてしまいましょう。無機化合物や元素も空の畳み込みを行ってリサイクルをしています。ですから一つとして同じ元素、化合物はありません。確かに、同じ元素、化合物なら物理的・化学的な性質は、全く同じかもしれませんが、それでも空の中身はそれぞれ違うのです。

    私の網膜に映った外部の景色は、それぞれの宇宙の端から飛来してきた光というエネルギーをすべて一点に畳み込んでしまうことで、見えると言う現象を作り出しています。「物はなぜ見えるのか(1・2)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076588450

    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076614037

    私が見たこの景色と他人が見た景色は、同じ方向、同じ場所を見ていても、決して同じではありません。見る者の位置が若干違うといった程度のものではありません。それは見るもののすべてが畳み込まれるからです。例えば、心理状態が違えば、風景は全く異なって見えます。空というのは場所の論理によって畳み込まれるということを意味しています。砂に心理があるわけではないので、この喩えは適切ではありませんが、心理というのを関係と置き換えてみましょう。

    場所の論理とは、位置だけではないということです。例えば、地球という惑星においても、太陽、月、その他の影響を受けます。そして一点一点に、他との関係が重層化して畳み込まれるのです。何度も噛めば味が出ると言いますが、それと似たように、関係の味が出てくるのです。関係というのは、その要素の数の関係ですから指数的に爆発します。ですから、指紋に同じものが無いのと同じように、一点一点の空は異なるのです。

    地球上の一点である海岸の一粒の砂には、個性的な精神現象があるようには見えませんが、それは見えないだけなのです。見えないから精神なのですが、そこには関係が畳み込まれた空があります。砂粒の場合、波に揉まれた回数に応じた記憶が無限に畳み込まれているのです。記憶が無限に畳み込まれるということは、時間と空間が畳み込まれるということでもあるでしょう。
    「時間を畳み込む(1・2・3)」を参照してください。
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076514902
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076514902
    http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100076618740

    ですから、海岸の一粒の砂には、人間のとは同じとは言えませんが、立派に個的な精神が宿っているのです。ただ、無機物と生命体では、エントロピー(無意味)の逓減させる仕方が段違いであるのです。一粒の砂と人間では進化の仕方、スピードが違うのです。

    三次元に現象化した物といっても多様な形態があります。元素から始まって砂粒のような無機物、有機物、核酸、細胞、ウィルス、多細胞、植物、動物、そして人間と様々です。そのどれもが宇宙の生成原理としての精神を持ち、又個性的な固有の精神を持ち生成し、消滅しているということです。人間だけが、特別に進化した脳を持ち、怒ったり、泣いたり、悩んだり、考えたりする生命ですが、それは様々な精神的な活動を可能とする膨大な情報を内包する空を持ったことによるものなのです。

    遺伝子が空であるといいましたが、脳も空なのでしょうか。空は偏在するのですから、脳が空であってもおかしくはないでしょう。何故「脳が空なのか」「脳のどこが空なのか」については別途とします。

    イカと人間の精神にはどれほどの違いがあるのでしょうか。その神経の張り巡らし方にはずいぶんと異なるようです。確かに、人間の方が複雑でしょう。ですから、そこに宿る精神の内容・程度も異なるでしょう。しかし、イカにも精神は宿っているのです。イカも人間も共に固有の精神を有しているのです。

    イカに精神が宿っているという理屈は理解してもらえたでしょうか。人間とイカを同じにするという乱暴な理屈は主語論理では受け容れてくれないかも知れません。まして神経が張り巡らされていない海岸の一粒の砂に精神が宿っているなどといえば、言語道断だというでしょう。

    しかし、宇宙精神の空のダイナミズムという精神が宿っているのであり、そういう述語論理によると、海岸の一粒の砂にも、精神が宿っていないとは言えなくなるのです。更に、空は畳み込まれるのですから、違った空がそこかしこにあってもおかしくはないでしょう。

    植物の重力を感知する能力を精神といったのですから、海岸の一粒の砂に、重力の記憶がないとは言えないでしょう。目の網膜に畳み込まれる光の記憶は、その経路からやってくるすべてです。見るものが同じ経路の光を見ているわけではないので、同じものを見ているとしても、それぞれ違ったものを見ているのです。一粒の砂にも、重力、光、その他が畳み込まれているのです。しかし、経路が違えば、畳み込まれる情報は違ってくるでしょうから、波に揉まれた記憶も、他の海岸の一粒の砂と同じとは言えなくなります。どの物体にも精神が宿っているということでは、述語的には同じですが、海岸の一粒の砂といえども、主語論理的には、固有の精神が宿っているのです。主語論理は述語論理の後に生まれてきたのです。

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