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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2009年07月06日 00時20分41秒

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    イチローは4割を打てるか(3)

    イチローは4割を打てるか(3)
    <補完共振>

    差異空間とは複素平面の実軸上の現象空間です。正確に言えば、陰陽イデアが現象化して差異(現象)として実軸に現れる三次元の空間です。

    球場全体は様々な差異が交錯した差異空間ですが、その背景には複素平面があると考えるのと考えないのでは、イチローと同じ世界に行くか行かないか、地上の楽園に行くか、失楽園に行くかという大きな分岐点になるでしょう。

    複素平面は実軸が現象する三次元空間=差異空間(現象界)ですから、虚軸のイデア空間(イデア界)と合わせて四次元空間ということになります。

    四次元の特徴であるイデア空間を複素平面の虚軸に当てはめることで、心理的な見えない世界と物質的な欲望の世界を同じ平面上で扱うことが出来るようになりました。その結果、精神と物質、宗教と科学、芸術と技術といった全く相容れない領域を同時に扱うことが出来るようになりました。

    自分の身近な相性の問題も自分と相手の心の触合いという複素平面で考えると明快になるでしょう。これもPS理論のお陰です。PS理論についてはこちらを参照してください。
    http://ameblo.jp/renshi/

    PS理論をイチローのバッティングに応用するとどうなるのでしょう。

    誰でも複素平面上にあるのですからイデア空間を持っています。イデア空間を持っているということは、右脳を持っているし述語的に生きているということとほぼ同じです。

    そのイデア空間とはイデアの領域なので、あらゆる現象は原型によってなされるとうことです。原型とは陰陽イデアであり、イデアの王様です。では、このイデア空間は人間であればどこにあるのでしょうか。イデア空間は脳にあるでしょう。このように短絡すると脳とは何かという議論をしなければならなくなり深みに入ってしまいますが、とりあえずは無意識領域であるとしてみましょう。

    その根拠はユングの元型論(イデアは無意識にある)に依拠しています。ただ、四次元脳では虚軸は虚次元であり、虚軸には虚エネルギーがあり、虚空からイデア軸が生成されるとしています。更に、虚軸が回転して虚空を介して実空にエネルギーが転移されるとしています。

    陰陽イデアは無意識にあり、虚空が活性化して陰と陽の虚軸に分離されるのですから、無意識は虚空とした方が正しいのかもしれません。

    この議論は後で詳述するとして、ここではイデア空間=無意識ではなく、イデア空間とは陰陽イデア軸(i,-i)、虚空は陰陽イデア=無意識(i*-i)であるとして区別しておきます。記号を使うと言いたいことが明確になるメリットがあります。

    前置きが長くなってしまいましたが、イデア空間と虚空の区別は、これからイチローの頭の中を覗きに行くことになるのでポイントなのです。

    イデア空間はどんなピッチャーにもあり、どんなバッターにもあります。そのイデア空間は頭の中にあるのですが、見ることが出来ないのでお互いに探り合って、それを推察・推理・推論して想像するのです。しかし、何を考えているかをその仕草で分かることがあります。ですから悟られないようにポーカーフェースやグラブを口に当てて話をするのです。キャッチャーはバッターの仕草を見て何を狙っているのかを探ろうとします。イデアは仕草なのです。

    イデア=仕草とは、脳内のイデアが差異空間に差異として、力の差として現れることなのです。それが複素平面であり一人一人にあるのです。複素平面は回転することで陰陽の虚エネルギーを空を介して実エネルギーに反転させるのです。実エネルギーが現れて痕跡として残ったのが差異の空間なのです。

    差異は同時に衝突して現れる場合と時間的に遅延して現れることがあります。衝突する差異とはボールとバットが当たる瞬間のことです。時間的に遅延する差異はストレートの後に変化球を投げる場合の差異です。バレーの時間差攻撃も遅延する差異でしょう。意地悪はこのタイプであり、頭に湯気を沸かして怒る瞬間湯沸しは同時の方でしょう。差異は時間的・空間的に色々な形をとって現れるのです。野球というゲームは差異のオンパレード、差異の戯れなのです。

    この差異が現れるのは複素平面の交差点=空を介した実軸です。虚は見えないのですから差異だけで対処しなければならないのです。考古学者は化石を掘り出して、差異をあれこれと推理するしかありまあせん。その時代には行けないというジレンマがあります。バッターが差異を確認するしか手がないという意味では考古学者と同じ立場、評論家と同じなのです。しかし、差異と対決するのは選手なのです。考古学者でもあり選手でもあるというところが差異のゲームの面白さを作りだす源泉なのです。

    差異が現れるのは空を介した実軸ですが、空には実空と虚空があり、ここに差異が情報として畳み込まれるのです。虚空を無意識としたので、実空は意識ということになるでしょう。

    ボールを打つ点を実点と虚点といいましたが、ここでは、それを実空・虚空と言い換えます。これまで三次元の現象空間といってきた空間を差異空間と言いました。現象というより差異といった方がイチローを例にとって話す場合に都合が良いからです。

    イチローは他のバッターと何が「違う」のかという意味で、そこに現象として現れている無意識の仕草やプレーの一つ一つが差異だからです。差異とは「違い」なのです。意見の違いがあるときに温度差があるといいますが、厚い意見、冷めた意見、つまり、それが差異なのです。

    イチローの複素平面が高速回転して、イチローの虚(無意識)が実(意識)となり、実(意識)が虚(無意識)となり、エネルギーが反転してイチローの差異空間(意識がエネルギーとして現象化する)に飛び出すのです。

    イチローとピッチャーの差異が最も激しくぶつかるところがストライクゾーンという差異空間でしょう。差異空間とはホームベース上の客観的な物理空間ですが、そこにはイチローと相手のピッチャーの主観的でかつ無意識に繋がるイデア空間があるのです。

    従って、差異は現象化したものとは言え、差異の受け止め方は人によって違ってきます。ですから、同じショックを受けても感じない人と大きく感じる人がいるのです。同じものを見ていても、人によってずれているのです。

    それが読み違いであり、三振となったり、ホームランになったりするわけです。その思い込みや勘違いや読み違いが起こるからこそゲームとしての面白さがあるのですが、社会であれば問題を起こす原因でもあるのです。

    さて、差異空間は心(イデア)の空間の反映であり、それがイチローに脅威を与えます。ピッチャーはストレートを投げた後にスライダーやチェンジアップを投げてタイミングをはずしたいと思うでしょう。

    差異=力を作りイチローを討ち取りたいと思うのは当然です。その想いが実際に差異として現れるのがカウントであり、ヒットであり、三振という結果であり、それが差異の空間なのです。ボールがホームベースを通過してイチローがバットをスイングしたというのが差異の現象なのです。このようにして三次元の差異の現象は延々と続いていくのです。

    ピッチャーのイデア(想い)はボールを投げることで配球として現れるのですから、イチローはその差異空間を通じてピッチャーのイデア空間(考えていたこと)を間接的に確認するでしょう。実際にボールを打つことで、イチローはその差異を力として感知するわけです。

    差異=力とは具体的にどのようなものなのでしょうか。イチローからみれば、前に投げたストレートの軌跡と速さが残像として脳に残っています。そこに変化するボールが来るとタイミングがずれてしまうのです。差異はこのタイミングのずれとして現われるのです。イチローでさえ三振することがあるのです。

    157kmと145kmのストレートだけでも十分な差異なのですが、イチローのとっても150kmのストレートと120kmのチェンジアップの方がより強烈な差異でしょう。そこには雲泥の差があるのです。つまり、差異にも強度(強さ)があるということなのです。

    差異=力とは差異空間(実空)とイデア空間(虚空)の差異ともいえます。つまり、残像としてのボールはイデア空間のことであり、今目の前を通過したボールは現実のものです。この目の前のボールと一つ前のボールが並立して差異空間が生成されるのです。これが時間差として現れる差異、つまり、遅延して生まれる差異なのです。

    イデア空間には二つのボールの軌跡があり、差異が生まれ、新しい差異として認識され、それが差異空間となり、次のボールを待つことになるわけです。これが延々と繰り返えされるのが野球なのです。

    ボールの残像・・記憶→実空→虚空
    次のボール・・・感得→実空→虚空

    虚空→イデア空間>>>イデアの差異

    イデアの差異→虚空→実空→三次元の意識・・・差異空間

    これにバットを振ったときの感覚が差異空間として畳み込まれてイデア空間に送り込まれます。イデア空間には差異の差異が畳み込まれていくのです。ですから前の打席、前の試合の差異がイデア空間に畳み込まれ、それがこの打席の差異となり力となってくるのです。

    この畳み込みを厳密に言うならば差異が畳み込まれる場所は空であり、イデア空間には差異の原型があるのであり、それが虚のエネルギーとして空に供給されるという言い方になるでしょう。更に、続けると、空には実空(意識)と虚空(無意識)があり、虚空から実空へ、実空から虚空への受け渡しというプロセスを経てエネルギーが現象化し、差異は畳み込まれるのです。

    イチローという四割可能性の候補バッターという観点からこの差異の畳み込み、虚エネルギーの発現を考えて見ましょう。

    イチローは配球を予想しながら目の前に来たボールを三次元空間で認識して実軸の点(実空)で打つのです。イチローとピッチャーの戦いは力と力の勝負ですから、最終的には差異空間の実点に集約されます。点とはバットの芯とボールが当たる場所であり、そこが実空なのです。その裏には虚空があることを忘れないでおきましょう。

    虚空があることを忘れた打者はただ無闇にバットを振り回しているのです。イチローは実点=実空で打つというより虚点=虚空を打っているといった方がいいのかも知れません。実空は意識で虚空は無意識ですから、イチローは無意識で打っているということです。いや、意識しながらも無意識で打っているという方が正しいかもしれません。

    差異空間は球場であったり、マウンドやホームベースであったり、ストライクゾーンであったりするのですが、それぞれの差異空間が点=実空と虚空に収縮するしょう。広い空間意識が集中して点になるということです。

    イチローにとっての点はインパクトの瞬間の点=虚空なのです。つまり、意識して点を捉えるのではなく、無意識の虚空=点で捉えるのです。実際に打つ点は実点ですが、虚空と実空は重なっているのです。実点で打つのか、虚点で打つのかは打つものがどう考えているかで決まるのです。考えて決まるのではなく身体がそうさせるのでしょう。それは無意識の動きなのです。

    イチローにとってもバッターとしてのイチローだけでなく守備のイチローでもあるのですから、イチローの差異空間はライトのイチローゾーンにもあるでしょう。差異空間とは球状全体でもあるのですから応援の熱気や様々な気エネルギーがイチローの点=虚空に収縮するでしょう。それがイチローの虚エネルギーを倍加、いや、それ以上に増幅させるでしょう。ですから技術論だけでは語れないのです。

    こうした表現をするのは気持ちを集中させるところに点があり、虚空があると考えているからです。差異とは点であり、畳み込まれる空なのです。差異が空に畳み込まれ、新たな差異を生むという一連の流れが空のダイナミズムです。その空には実空と虚空があり、その違いがイチローかイチローでないかの違いになるでしょう。広がる空間が点になるという説明は次元化と現象化のプロセスを参照してください。

    これより、イチローがどのような考えで打っているのか、その複素平面を探ります。

    イチローに対峙するピッチャーは投球前にセットします。その次元はゼロであり、それが反転して一次元になり、それが収縮して点になり、それが反転して二次元になり、又、点に収縮してそれが反転して三次元になり三次元にまでくると点に収縮して、それが反転して前の三次元になり、以後収縮反転・膨張反転を繰り返すのです。

    この収縮反転・膨張反転には虚軸がいつも関係しており、虚空を媒介にしているのです。ですから投球前の次元は、ゼロは実点であると同時に虚点であるのです。

    この実点であり虚点である空は差異空間の収縮した点であり、次元化とは収縮による実空への畳み込みであり、それが虚空に転移してイデアへの反転するのであり、そのイデアから新たなエネルギーが補給されて、再び実空に転移して、実に反転して膨張するのです。それを空からの現象化=差異化であるというのです。

    次元化と現象化のプロセスは空のダイナミズムであり、虚空から実空に転移して、実に反転にして現象化する時にイチロー型打者になるか、イチロー型ではない打者になるかの運命が分かれます。畳み込まれた差異は差異のまま即非状態にあるのですが、現象化する直前は葛藤しています。その葛藤をどう受け止めるかが打者の分水嶺なのです。

    バッターは選球や配球について独特の学習をしており、追い込まれるまでは強く打とうとします。ピッチャーはなんと言ってもストレートが基本ですから、ストレートで抑えようとします。打者もストレートを打てなければ話になりません。それでストレートを中心に待つのです。ストレートを打つためには、その速さにあわせて、早く始動してポイントを前において、強く打たなければなりません。そのために変化球が来ると早く始動した分ボールが来ないので体が前に言ってしまい、結果としてタイミングがずれるのです。

    体を残したままストレートに対応しようとすると振り遅れてしまうのです。それでもホームランを打てる打者がMLBには多いのですが、禁止されている薬物を使ったりして筋肉を増強していることで話題になりました。しかし、これは差異に打ち勝つためには力が必要だということを如実に物語っています。

    大概の場合、初球はストレートが多いのですが、キャッチャーにしたら、それを狙われるのは嫌なので変化球から入ることがあります。打者はそれを読んで変化球を狙うこともあります。しかし、年間を通したらそう間々あることではありません。ですから、初球を変化球でカウントを稼ぐ意味があるわけです。

    ともかく、配球とは騙しあいですから、試合の進行と共に、カウント次第でストレートと変化球の割合を変えていくでしょう。打つ方も配球を読んで初球はストレート一本、二球目はストレートを6割、変化球を4割などといった具合に、両方を打てるように待つ比重を変えていくのです。

    威力のあるストレートを持っているピッチャーの差異の脅威は想像以上のものです。その脅威に対して即非状態の葛藤があります。それから抜け出すために、打者はどうするのでしょうか。答えは簡単です。若いカウウントから割切って打っていくのです。追い込まれたらそうはいきませんから思い切り度は低くなるでしょう。

    ともあれ、配球に対する割切り度が配球を待つ比重になるのです。割切り度をどうするのかで揺れ動くのです。それが現象化する直前のイデア空間にあるバッターの心理なのです。

    そういうわけでプロでも三割を打つは大変なのです。三割しか打てないといっても良いでしょう。ピッチャーはいつも打たれているように見えますが、冷静に
    考えると七割は打たれていないのです。これには数字のマジックがありそうです。

    誰かが打つのですから、例えば三割バッターが三人続くと九割です。これなら絶対に打たれた気がします。こうした繋がりという要素も吟味もしなければならないのですが、それは専門家に任せるとして、ここで探求するのは止めます。

    イチローの立場に立てば三割を四割にするのは容易ではないということを理解しましょう。チームの事情とか試合の経緯とかが関係するのですから、イチローだけで達成できるわけではないのです。それでもイチローが四割の可能性を持っていることを示しておきたいのです。野球を知らない人にとってイチローとイチローを連呼するのは感じがよくないでしょう。

    しかし、人生を成功するために、完全を目指して行動してもなかなか成功できない人が多いのですから、野球というプロの世界で高々三割しか可能性がないのに対して、四割の可能性があるイチロースタイルは魅力があるのではないでしょうか。

    そこにはイチローが口を噤んで言っていませんが、パラノ化の弊害という四次元能が追求してきた恐るべき光の陰謀が隠れているのです。

    イチローは日本からMLBに行った初めてのバッターとしても評価されるのですが、その上にMLBで三割を毎年持続しているのですから大変なことなのです。

    しかし、MLBではホームランの価値が異常に高いのです。そんな価値観の中で単打を打っても相手チームは蚊に刺された感覚でしょう。しかし、一点で勝敗が決まる場面では脅威でしょう。その証拠に大事な場面では敬遠されてしまうのです。そこにイチローはいないのです。イチローが内野安打で打率を稼ぐので評価されないという見方も出てくるのは、そういう背景があるのです。

    MLBの打者は毎回ホームランを打ちたいかのような物凄い振りをします。松井でさえ中距離ヒッターなのです。要するに物凄い振りをする打者は七割も打てないのです。それでもアメリカにイチローに続く子供はいないのです。だとするとイチローとは何者なのでしょうか。

    イチローが四割を打ったら内野安打マンなどという軽い評価は吹飛んでしまうでしょう。

    イチローはアメリカ主義の物理的力=筋肉マン的猛烈主義に対して東洋的の精神的力=イデアマン的優美主義を見せ付けようとしているのです。イチローはポストモダンを超えて行こうとしているのです。決して日本のパラノの代表ではないのです。それをしっかりと抑えておかないとイチローの不可解な言動は理解できないのです。

    パラノ打者にとって即非状態=葛藤から抜け出すためには割切るしかありません。しかし、それではリスクが多すぎるでしょう。カウント次第ですが、その想いは待つボールの比重という形で現れます。

    ボールの待ち方を一本絞りで行くか、二面待ちいくか、です。それは複素平面では差異の共振と反共振の分岐といいます。

    打者は差異の脅威に対して共振的な態度と反共振的な態度のどちらかをとるのであり、どちらかを無理やり選択する暗黙の強制があるのです。ただ、反共振的な態度は共振的な態度を容認しませんが、共振的な態度は反共振的な態度をも容認しています。ここが大きく違うところです。

    差異

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