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from: 生成門さん
2009年07月06日 12時23分21秒
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イチローは4割を打てるか(5)
イチローは4割を打てるか(5)
<補完共振>
ストレートと変化球をどのくらいの気持ちで待つかを、ストレート・・・<・>・・・変化球で表現すると、イチローは明らかに<・>の差異共振的打法の差異共振的打者です。
イチローは差異の共振を持っているということです。言い方を変えると、イチローは、すべてを畳み込んだ差異を味方につけるスキゾ脳を持っているということです。
スキゾとは、いい意味で、適当であり、いい加減であり、デオニッソス的なのです。悪くすれば、中途半端になって、「二兎を追うもの一兎をも得ず」となるのですが、イチローは、うまくそれを乗り越えた超スキゾなのです。
イチローの談話がよく話題なりますが、それをパラノが解釈するので、とても違和感のある談話となってしまうのです。イチローはスキゾであるという観点で、談話を解釈しないとパラノ脳では理解できない内容が多いのです。パラノの非常識がスキゾでは常識となるのです。それが、イチローが言ったとなると非常識が反動して「名言」とかになってしまうのです。
イチローは「自分が全く予想しない球が来たときに、どう対応するか?」と聞かれて「それが最も大事です。試合では打ちたい球は来ないからです。好きな球を待っていたのでは終わってしまいます。」と答えています。ここにイチローが打つ球の待ち方に対するスキゾの特徴が現れています。
普通は自分の打てる球を待つのが常識です。自分が好きでもない球を待つなんて非常識なのです。選球とはそういう意味なのです。ですから、イチロー以外の人が「好きな球を待たない」などと云おうものならトンデモと叩かれるでしょう。イチロー=スキゾならこれが当たり前なのです。
イチローのこの言葉から、如何にどのコースにどの球が来ても対応できるように、コースを広げて呼び込んで打つという心の準備をしているかが分かります。それをパラノ記者が天才などというレッテルを張ってしまうので、余計本質が見えなくなってしまうのです。
イチローはスキゾであると見れば、天才だからではなく当たり前のことなのです。イチロー自体パラノ文化の中で育ってきたものですから、「好きな球を待っているなんて馬鹿のすることでしょう」なんては絶対に云わないのです。そんなことを云えば、今のプロ選手や監督やコーチは皆、馬鹿になってしまいます。
これはかなり屈折した表現なのです。ほとんどの解説者は「待っていれば、必ず失投があり、それを狙え」と言います。当然、三冠王をとった王も落合もそのタイプでした。松井もそのタイプです。「失投を見逃さずに打つ」それがホームランバッターの秘術なのです。
これはイチローと対極にある考え方です。その結果、松井は三割も打てていないのです。膝の故障ということもありますが、MLBでは松井はホームランバッターではないのです。ですから、三割は打てなければならないのですが、今の差異反共振的打法では打てないと思います。
イチローにとって打率三割は当たり前で、四割を目指しているのですが、これについてもイチロー独特のスキゾチックな態度が見られます。それが見られる打率四割と非打率六割に対する心理を談話から探ってみましょう。
打率四割を裏返すと非打率六割になります。非打率という指標はNLBでもMLBでも使っていません。あくまで打率と非打率というのを対比させたのは、差異の共振というものの本質を理解するためのモデルとしてイチローのスキゾチックを提示するためです。
あることを表現するときに、表と裏、逆とその逆という四つの見方があります。ここでは簡単にするために表と裏だけにします。打率と非打率は表と裏の関係にあり、その心理はお酒の入っているビンを倒してしまい、零したことに対する心理と同じです。
残っている方を四割として零れた方を六割としましょう。四割を見て「これしか残っていない」と悔しがるか、「こんなに残っている」と喜ぶかに分かれるでしょう。これを裏から見ると、六割を見て「こんなに零れたのか」と悔しがるか、「これしか零れていない」と喜ぶかに分かれます。
イチローはスキゾですから四割を見て「こんなに残っている」と喜ぶでしょう。しかし、喜びを素直に表現しないでしょう。「こんなに残っている」は封印して、裏の表現「これしか零れていない」と表現するでしょう。これを記者が聞いて天才は違うなどと、関心して記事にするものですから、ますますイチローの実像から遠のいて行くのです。
実際に「打率四割」について聞かれたときに、イチローは「僕は決して、打率4割を目指すとは言わないのです。6割の失敗は許してやると思っています。」と言っています。これはスキゾの特有の裏に廻るのが好きな屈折した言い方なのです。ですから時に天邪鬼といわれるのです。
「六割も失敗していい」というのは、裏に廻った心理ですが、心では同時に、「四割しか打てない」と思っているのです。ただ、それをストレートに表現するとパラノの世界では「三割しか打てない」の常識ですから、「四割しか打てない」は「四割なんか簡単に打てるさ」と聞こえてしまいます。当然、生意気な自信家、唯我独尊の天才などといわれるのでしょう。そこで、それを察して裏に廻った心理を表にして表現するのです。
「六割も失敗していい」の方が「四割しか打てない」よりは角が立たないでしょう。それなら、さすが天才だと思われても、そう苦痛ではないでしょう。
最後に「いつもそう言っているのです。」と付け加えていますが、それは「いつもそう言うように心掛けている。」という意味です。パラノの中にいるスキゾの屈折した表現方法なのですが、それを子供のころから身につけているのです。
これをイチローならではの知恵だと見るのも間違いではないのですが、もっと、根源を見る見方もできるのです。そのルーツはモンゴロイドの知恵にあるのです。モンゴロイドはスキゾであり、スキゾの特有の裏をとる陰陽反転の血を受け継いでいるのです。
日本人はモンゴロイドですが、何故パラノ的なのでしょうか。それはモンゴロイドといっても、スキゾとパラノのミックスなのです。日本人はスキゾよりパラノの方が多いモンゴロイドだと理解すればよいでしょう。ですから、戦争に負けたことと相まって日本は他のモンゴロイド民族よりも欧米化が進んだのです。
日本文化をスキゾとパラノの混合として見たのは建築の専門家の故黒川紀章氏です。詳しくは省略します。機会があれば投稿したいと思います。代わりに「東洋と西洋に比較」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100068727834
四次元能的にイチローの心理を分析しておきます。「四割を打つ」と思う心をiとして、「六割も失敗していい」と思う心を-iとします。差異の共振はi*-i⇒+1ですから、「四割を打つ」と思う心を持ちながら「六割も失敗していい」と思う心を表現したということです。もし、「四割を絶対に打つ」と思う心を持ちながら、自己を偽って、或いは、隠して「六割を失敗していい」と思う心だけを公言したというなら-i*-i⇒-1となり反共振的となります。
つまり、イチローは公に嘘をついたことになります。しかし「打率4割を目指すとは言わない」という談話だけから、反共振的とは言えないのでしょう。「打率4割を目指す」とは言わないだけで、本心は「打率4割を狙っている」と思うのです。もちろん、同時に「六割も失敗していい」とも思っているでしょう。どちらも本音でしょう。「打率4割を狙う」をより強く思うより「六割も失敗していい」と思った方が、気が楽になるとも言えるでしょう。
嘘ではなく、気が楽になる心の持ち方を自然に身につけているとも言えるでしょう。スキゾは常に逆説的なのです。「六割も失敗していい」を強調するのは「打率4割を狙っている」ことの裏返しなのです。これがパラノなら本音と建前と捉えるでしょう。スキゾはどちらも本音なのです。
イチローは差異を共振的に扱う術をモンゴロイドの知恵として知っているのです。それがスキゾの特有の裏をとる陰陽反転の血なのです。
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