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from: 生成門さん
2010年04月28日 19時46分18秒
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意識のプレートテクトニクス
意識のプレートテクトニクス
<プラトンとの共振>
意識は精神作用という、能動的な力を持ったものであり、脳という場で述語的に働くものです。意識の働く場所は空であると言いましたので、脳は空であるということも出来ます。その意識がどのように働くかは、「意識の科学」が存在しないのですから、空のダイナミズムによって、つまり、意識のプレートテクトニクスによって明らかにされるべきでしょう。
「意識の科学」がないのは、意識が物質的ではないために、科学の対象にならないからです。一方、心理学があるではないかという指摘が想定されますが、心理学が、果たして、意識を対象としているのでしょうか。
確かに、心理学は、意識を対象とする科学のように見えます。しかし、心理学の方法を見ると、心を対象としているように見えながら、○×式テストや心電図を分析しています。まるで、市場調査や地震探査のような態度です。
この立ち位置は、客観的な場所であり、科学に共通する位置です。つまり、外部という位置から、つまり、対象を見ているという人間自身を蚊帳の外に置いているのです。まるで見ていること自体を忘れているかのような特権的位置で、脳という概念化された物質を見ているのです。
このような態度や位置では、意識の作用を生のまま把握することはできないでしょう。仮に、「意識は自己を認識する」と言ったところで、どのように認識するのかという質問に置き換わるだけで、意識そのものを解明したことにはならないのです。
脳波を見ても、それは、意識の作用の残骸を見ているに過ぎないのです。メタファー的に言うなら地震災害の後を調べているようなものなのです。地震そのものを掴むには、地球の内部のプレートテクトニクス(岩盤の動き)を調べなければならないのです。同じように、脳を調べるなら、その内部のプレートテクトニクス(意識の動き)を調べなければならないのです。それには、ミクロの決死隊を脳内に送るか、内観するしか方法がないでしょう。どちらにしても、それらの方法は科学的方法とは言えないのです。
地球のプレートテクトニクスに相当するのが、意識のプレートテクトニクスですが、岩盤を相手にするように、脳を相手にすればよいのでしょか。もし、それで良ければ、科学的態度でも良いでしょうが、意識となるとそうは行かない事情があるのです。
意識を、対象を外から見る態度、つまり、対象をブラックボックス化して、まるで、脳を自動販売機のように扱う態度では意識を直接相手したことにはならないのです。意識を扱うということは必ず記号化=言語化して「意識とは〜である。」というように表現をするでしょう。ところが、言語という現象も、意識の作用なのですから、まるで、バナナの説明をするのに、バナナの絵を書いて説明するような堂々巡りになってしまうのです。
これでは意識の作用など到底把握することなどできないでしょう。赤いリンゴを認識する場合、どうして赤いと判断したのでしょう。どうしてそれをリンゴと断定したのでしょう。簡単な例を示して見ましょう。犬が条件反射で、赤いリンゴを見て涎をたらします。そこに意識があるでしょうか。あるとしたら、それはどのようにして、働いたのでしょうか。視覚からリンゴのイメージが入って、それをリンゴと判断したから、涎が出たと説明は出来るでしょう。これで、意識の作用を説明したことになるのでしょうか。認識が判断という言葉に置き換わっただけでないでしょうか。また、脳波を持ってきて、これが判断した瞬間であるといっても、何も事態が進展したわけではありません。
もし、そのような説明が意識を説明したことになるなら、人工的に意識を発生させられることが出来るはずです。今のところは成功していないようですので、科学的に意識を発生させることは出来ないとしておきましょう。
ただ、意識のような意識を発生させる全く異なる試みがあります。それは人工生命です。これの方法は、生命を観察し意識を分析して、そこから組み立てるのではなく、生物の進化を模擬するコンピュータ・プログラムを作って、意識を発生させる方法です。これが意識かどうかという問題はありますが、生命に似ていれば、意識と言えるかもしれません。もし、そのようなプログラムが意識に似ているとするならば、それはどのようなアルゴリズムなのでしょうか。簡単に言えば、マージャンや囲碁やチェスのゲームが意識を持っていると言えるかということです。
生命の知能の進化を考えれば、アメーバのような知能と比較してみましょう。知能の水準を度外視して、アメーバにも意識の原始的な形があると認めるなら、ゲームにも意識があるとしなければならないのではないでしょうか。それが、自然発生か人工的かという問題がありますが、少なくとも、外見からは意識があるように見えるのです。
人工的なものは本物の意識ではないと言う反論があるでしょう。しかし、そのプログラムやメカニズムを与えたものが人間であるということを含めて考えると、結局、人間の意識がどこからきているのかということに帰結してしまいます。
四次元能では、それを虚次元から来ていると考えています。虚次元にはイデアがあり、それが精神作用=イデア的知性となって、空を媒介して、三次元実軸に現象として現れると考えています。
脳は三次元の物質ですが、そこには、虚軸と空をもった複素平面が隠れており、そこで意識(の作用)が発生すると考えています。脳は意識の発生する場=複素平面=四次元空間であると言えるのです。更に言えば、あらゆる森羅万象、例えば、植物、動物、人間、聖なる形などには、イデア的知性=複素関数が潜んでいるのではないかということです。詳しくは「意識を発生させるアルゴリズム」を参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100085170751
以下、引用しました。
つまり、マンデルブローは自我的な知性(主語論理)とは別に、直感を働かせる関数的な知性(述語論理)が脳に潜在していることを示してくれたからです。四次元能はそれを更に踏み込んで、それが無意識であり、空であり、イデア的な知性ではないかというところまで行きついたのです。
マンデルブロー集合図には複素関数が使われています。複素平面が意識を生み出すと言ってきましたが、通常の関数は実関数であり、実数平面上に展開されるものです。
複素関数は複素平面上に展開されるのですから、複素関数が意識を生み出すと言っても良いでしょう。同じ述語でも、複素関数という述語は、生物の認識のような四次元的な特性を持っているのではないでしょうか。
複素関数は複素数を変数として持つ関数ですから、複素平面上に現れる様々な振る舞いということになるでしょう。複素平面とは四次元(空間)ですから、複素関数は四次元性(四次元らしさ)を表現するでしょう。直感などというのは
四次元性ですから複素関数で表現できるのではないかと思うのです。
―――
脳には、意識を発生させるイデア知性があり、それは複素関数が表現される複素平面であり、意識のプレートテクトニクス(空のダイナミズム=場)そのものだということです。
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