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from: 生成門さん
2010年04月30日 17時13分21秒
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二分法的思考のパンデミック(世界流行)=パラノパンデミック
二分法的思考のパンデミック(世界流行)=パラノパンデミック
<プラトンとの共振>
量子力学の遭遇した「波のような粒子」という結末は、物質世界に対する客観的な態度、つまり、「見るもの・・・見られるもの」という二分的なやり方=世界を解釈する態度には限界があることを示しました。
しかし、その限界を超えることは、これまでの科学的な枠組みを否定することになるので、混沌としているのが量子力学の現状です。それが物質と精神の融和が何故、難しいのかということとも通じるのです。融和とは、物事を二分しないやり方ですが、それは、自他共振でもあるのですから、他を敵とするなら、敵の存在を認めるということですから、人類平和という意味でもあるでしょう。
人類平和という意味では、世界解釈に対する新たな第三の道を示唆するものです。
第一が二分法であり、第二がそれの反動ですが、いずれも二分法でしかありません。これらの二つは、人類平和を求めて絶えず入れ替わって戦争を繰り返してきました。戦争こそが平和の道だったのです。アメリカにとってテロと戦うことは正義ですが、その反動であるテロ側にとっても正義なのです。
しかし、まだ平和は達成できていません。所詮、それは幻だったのでしょう。それに対して、第三番目に出てくる態度がプラトン的・共振的・即非の思考方法です。
これらの三つの態度は、物事を見る視点、観点になり、物事を思考する方法や文化に現れるでしょう。
具体的に言えば、第一の態度の結果が物質科学や常識的な規律、管理のスタイルでしょう。第二が精神主義のオカルトや宗教です。そして、第三が科学と精神を融合した新たな芸術的科学と呼べる道です。
第一と第二の態度が、管理・支配や戦争を平和・繁栄の手段と考えるのに対して、第三の態度はガンジーのような無抵抗主義となるでしょう。環境を支配し開発すのが、前者とするなら、環境と共生しようとする態度は後者となるでしょう。
現実を見て見ましょう。世界は今、第一と第二の態度で侵犯されています。その結果が温暖化です。戦争を止めようと思っても簡単に止められないように、温暖化は止めようと思っても止まるものではありません。
第一・第二の態度を止めることも、第三の態度を選択することも困難なのです。その理由を明らかにすることが今回のテーマです。
第一・第二の態度を止めることが難しいのは、それ自体が問題視されていないからです。誰も、現在の態度が悪いとは思っていないでしょう。政治家にとって選挙に戦って当選することが、正しいのですから、それを否定するようなことをすれば、存在意義がなくなってしまうでしょう。戦うことは、学校から人生のあらゆる場面で正しいことと教えているのですから、「態度を止める」必要がないのです。しかし、四次元能は、それを否定しているですから、第三の道を提示したところで、受け入れられる可能性は全くないということです。
それでも、シムダンスを続けるのが、それなりの理由があるのです。その理由は繰り返しになりますが、温暖化の元凶が、
第一と第二の態度にあるからです。そして、これをしつこく云うのは、時間がないからです。
仮に、温暖化の元凶が第一と第二の態度であると分かったとしても、第三の道を受け入れることは更に困難なのです。ですから、どうすれば、それを受け入れられるようにするかが課題となるのです。
子供に嫌いな食べ物を食べさせるのに、磨り潰したりして分からないようにして食べさせます。四次元能にはそれと同じような工夫がいるのでしょう。
それには、第三の道を会得することが、何故、難しいかを理解しておくことが必要でしょう。第三の道が難しい理由は、プラトンが指摘したように、宇宙の法則にはイデアの知性と関係しているからです。イデアの知性というのは、仏教の色即是空・空即是色のようなものです。
色即是空・空即是色は東洋の知恵ですが、その東洋人でさえ、これを理解できていないのですから、まして、西洋人に理解しろといっても、始めから受け付けないでしょう。そこで、同じ西洋のプラトンを登場させようというわけです。プラトンのイデア論が、哲学の分野では正当に評価されているのですが、それが他の学問に特に、科学とはアンチテーゼとなっているのですから、受け入れられるはずがないのです。水と油なのです。
四次元能では、プラトンの世界解釈を次のように解釈しています。プラトンの世界解釈とは宇宙の法則があるということです。宇宙の法則とは、全ての森羅万象は、イデア的な対称性(陰陽)があり、それが現象を生成し消滅させるエネルギーの流れであるということです。イデア対称性には、虚の陰陽イデアがあり、それが空を介して実の陰陽の現象となると考えています。
実と虚の間には、不連続という壁がありますが、その不連続は反転によって乗り越えることが出来ます。反転とは虚が実になり、実が虚になるということです。虚には虚のイデアエネルギーがあり、この反転により現象化させる仕組みがあるのです。この反転の仕組みをイデアの知性と呼んでいます。
こうした前提を踏まえて、第三の道を会得することが、非常に難しいことを説明していきます。
先ず、イデアの知性を認めれば、今日の科学的な二分法を基本とする枠組みを否定することになるということです。正確には否定するというより、自他・陰陽を互いに共振させるのですから、共存であり、包み込むという態度になるでしょう。単なる否定では、二分法と同じ反動に陥ってしまうでしょう。
反動とは文明はだめだから、自然に帰れ(ルソー主義)など極端か極端に走ることになるような態度の変更です。それでは第二の態度と同じことになってしまします。いずれにしても、イデアを認めることは、「である」と「ではない」を同時に認めるという態度です。それを即非といいますが、これが、第三に態度の基本であることを忘れないようにしましょう。
第一の態度は自他反共振=他の否定、第二が自他反共振=他者肯定、自己否定ですから、第三の態度は自他共振=自他肯定です。第一の態度の典型的な例としては、戦争状態にある敵との関係です。これは相手を肯定するなどということは、有り得ません。戦争相手を許すことですから、国益中心からずれてしまうのです。仮にあっても、休戦であり、同盟です。いずれも、相手を対等と認めたわけではありません。第二の態度は、反動なので、自己を否定して、相手を肯定することであり、日本が戦争に負けたときの態度と考えれば分かりやすいでしょう。
戦争においては、負けない限り、自己否定など有り得ないのであって、まして、戦っていないのに敵を肯定することなど有り得ないことなのです。戦争においては、第一の選択しかないのであって、第二の選択は負けた側に選択なのです。戦争を回避するには、外交的に話し合いしかないわけですが、その場合でも、第一の選択しかないのです。真の平和を目指すのなら、第三の道しかないのですが、それは、理想論であって、現実ではないのです。ガンジーの無抵抗主義がどうなったかを知ればよく分かるでしょう。
戦争はいやだが、不利益もいやだというなら、妥協しかありません。妥協には、やはり、勝ち負けがあります。どこまでいっても、第三の道は選択できないというジレンマが付きまとうのです。このジレンマを解決することは、国のリーダーには、絶対に出来ないといってよいでしょう。
分かりやすし例として戦争を取り上げましたが、戦争を「利害を求める戦い」、つまり、自他反共振の競争的戦いと解釈すれば、規模の違いはあっても、日常的ないざこざ、喧嘩、予算の分捕り、市場の獲得、顧客の獲得、世渡り、受験などあらゆる場面において良くあることです。
事件というのは、全てが自他反共振モデルであると云ってよいでしょう。もし、誰でも、第三の道を会得することが、簡単であるならば事件などは起きないはずです。現実に多くの事件が起きているのは、共振的な態度をとることが、如何に難しいかを実証しているようなものです。
第一の態度をとり続けていけば、必ず、最後には平和・理想が実現できるという信念が、自他反共振の態度をとる根拠なのですが、温暖化という最後通牒が突きつけられた今となっては、その神話は崩壊しつつあるのです。
さて、四次元能では、そのジレンマをどのようにして乗り越えようとしてするのでしょうか。四次元能では、仏教の即非を取り入れ、プラトンのイデア論によって、第三の道の困難さを乗り超えようとしています。量子力学が「波のような粒子」を受け入れたように、二分法によって分離した自他を同時に受け入れるという「即非」態度です。
これに、ティトムとの共振で示した非周期彗星の帰還や銀河の回転曲線問題を解決したように、もう一つの空間を認めるというアプローチ(作戦・戦略)を加えて、第三の道の困難さを乗り超えようとしています。
二分法を頭から否定しないで、受け入れるということは、即非の状態を認めることです。即非を認めるなら、真空は無ではなく陰陽の状態が同時にあることであり、言い換えれば、陰陽エネルギーがあることを認めることです。もう一つの空間を認めるということは、エネルギーの供給源を、この世ではない別のところに認めるということになるでしょう。その上で、二分法の世界と真空とエネルギーとそのエネルギーの源泉ともう一つの空間という関連を、全て有機的に結びつけることです。
態度や作戦や戦略というと、二分法のまかり通る三次元の世界のやり方ですが、それも今は三次元にしか住んでいない私達の宿命です。もう少し後になれば、科学と芸術の融合させた芸術的戦略などいった方法を提示できるかもしれません。
芸術的戦略とまではいきませんが、当面は、全て有機的に結びつけることを可能とさせるのが複素平面なのです。複素平面の基本は、虚軸と実軸を交差させることですから、実軸を二分法が現れる空間、つまり、三次元空間に配置して、虚軸をもう一つ空間に配置すれば四次元空間が完成します。
ここでプラトンを登場させます。プラトンは現象の背後に本質があると言ったのですが、その本質はイデアのことですので、このイデアを三次元と真空とエネルギーを繋ぐ重要な役割を担わせれば、複素空間をプラトン空間とすることが出来ます。
虚軸をイデア軸として、この空間にはイデアエネルギーがあり、それが源泉となって、実軸に供給されるというダイナミックな仕組みを作ることが出来るのです。
その場合、虚軸と実軸は文字通り不連続ですから、この不連続の壁を乗り越える工夫が必要です。この不連続というのは、三次元的な非連続とは違って、物質と精神といった違いですから、切ったり張ったりして繋げるようなものではありません。そこで、虚と実のアクロバット的な反転という仕掛けが必要になってくるのです。
しかし、このような反転は、複素平面という仕掛けで簡単にできてしまうのです。複素平面は、実軸と虚軸が交差していますが、この交差する点が、反転をする重要な点となってくるのです。この点は単なる点ではなく、構造を持って点であり、特異な点です。これを空と呼んで、虚のエネルギーを実エネルギーに反転する媒体としての役割を持たせることにしたのです。つまり、真空の場です。
これで、このイデアを三次元と真空とエネルギーをすべて繋ぐ複素空間=プラトン空間ができました。あとはこれを、どう解釈して利用するかです。特に空については、空のダイナミズムという仕組みがあり、これによって、三次元現象と虚の関係を矛盾なく説明が出来るのです。
こうしてイデアを認めることで、複素平面的な世界の解釈が可能となったのです。この解釈に慣れれば、物質と精神の融合は簡単に図れるでしょうし、二分的な態度が如何に、偏った態度であるかを理解できるでしょう。
もし、イデアの世界を認めれば、イデア科学、イデア量子力学が生まれることでしょう。しかし、それは現代の科学的枠組みでは、「意識科学」と言うようなものですから、トンデモ科学となるでしょう。そのようなものを、そう簡単に認めることが出来るでしょうか。それは、占いを科学に持ち込むようなものですから、出来ない相談でしょう。
ところが、量子力学では、占いにも似た確率的な存在を認めているのです。これを不確定性の原理と言っています。量子力学は、二分的な態度の結果、占いを持ち込んでしまうという矛盾に陥ってしまっているのです。
この矛盾から逃れるには、二分的な態度を止めればよいことなのですが、それが簡単ではないのです。では、どうすれば、占いではないイデアの世界を認め、イデアの科学を構築することが出来るのでしょうか。
そのような事情は、私達の日常生活においても同じことが言えるでしょう。未来の不安があるのは、未来が不確定だからです。その不安から逃れるために、占いに頼るのです。占いなんかに頼らないと言う自信家の人でも計画は立てるでしょう。その計画は立派な科学的な手法のように見えても実は占いと同じなのです。占いは当たるも八卦ですが、計画だってその通りになったことがあるでしょうか。国の計画がその通りにいったことがあるでしょうか。900億円になろうとしているという借金がどうして出来たのでしょうか。計画とは占いのようなものなのです。どちらも未来に対して安心を保証するためにすることなのですから。
もし、イデアの世界を認めるなら、イデアの力によって、占いや計画とは異なる方法で未来を確定することが出来るでしょう。もし、イデアの世界を認めるなら、未来は、現在から遅れてやってくるのではなく、未来から現在にやってくるのです。
もし、イデアの知性を認めるなら、私達の閉塞した日常から脱却することも可能になるでしょう。
すでに、四次元能では、脳が複素平面という空のダイナミズムが活躍する場であり、裏ではイデアという知性が働いていると言いました。
私達は、日常生活においても、常識的な態度=客観的な態度=「見るもの・・・見られるもの」=二分するやり方を絶対と信じてきました。それを信じるのは、対象=見られるものを自分=見るものから分離することで、対象を支配できると思ったからです。
つまり、自分の未来を自分と分離して、支配できると思ったのです。自分を自分から分離するなんてことは幻想だったのですが、それが正しい方法だと信じてきたのです。それを信じてきた根拠が「未は不確定」だということだったのです。そして、その結果が占いや計画に頼ることになったのです。このことと量子力学の科学的態度=「確率を持ち込む」ことは、全く同じことなのです。
もし、このイデアの世界を認めるなら、もはや、二分するやり方以外の態度はないと考えることは全くないのです。
というのは、「二分する」ということ自体が空のダイナミズムの反共振という作用なのです。私達は「二分する」という態度が、人間が独自に掴んだ知恵のようなものと思っていますが、そうではないのです。それは宇宙の法則であり、イデアの力なのです。しかし、イデアの力は、空のダイナミズムによって、反共振=二分すると同時に、共振=二分しないという態度も主体的に選択していると思っているかもしれませんが、そうではないのです。イデアの知性があって、それが選択させているのです。
科学が、何故、二分的なやり方を採用することになったのかということです。それは、自我の発達とも関係があるのです。自我はイデアによって生成されたのであって、進化したかのように見えるだけなのです。
要するに、二分するというのは「空」の作用であり、自他を区別することが、自我の作用として、三次元の現象となったのです。それを私達は認識する能力といっているのですが、その能力の源泉が、空にあることを認めなければ話が前に進まないのです。
心理学的には自他を区別する能力は自我ということになりますが、その自我は発生したことになっています。その自我がどのように発達してきたのかを明らかにするためには、進化論の範疇になるでしょう。でも、進化論でも、その根源は明らかにすることが出来ないのです。遺伝子レベルで止まってしまうのです。
四次元能では、自我は空の作用であると考えています。意識の作用は「空」であるのですから、自我は「空」にあるというのは、四次元脳の文脈では当たり前なのです。
いずれにしても、自我が発生したことで、人間は、自と他を区別できるようになりました。この能力は、免疫系の自己と非自己を区別する能力とも合い通じるところです。非自己を敵と看做してやっつけることで、自己が生き延びるのですが、これと同じように、人間のレベルでも、自が他を否定することになるのです。これが、認識の基本、自他の区別=二分法となり、見るもの=自が見られるもの=他の区別、その他、あらゆる事物の区別、例えば、善悪、遠近、上下等の区別となったのです。これが文明を発達させる大きな力となったのですが、一方で、温暖化をもたらした元凶でもあったのです。
二分法の何が問題かということです。免疫系でも、自己を非自己と間違えて自己を攻撃してしまうことがあります。それが、人間に現れるのが自殺行為です。もっと大きなレベルでは、地球破壊でしょう。地球は自己なのですが、その自己を破壊しているのですから、まさに自殺行為です。こういうことが起きるのは、免疫系では免疫疾患と言いますが、自己を非自己と誤認識するからです。誤認識の原因は良く分かっていないようですが、ホルモン説や遺伝子異常などの説があります。
人間の場合、自己を非自己と間違えるということはどういうことでしょうか。人間を自己として環境を他として、区別します。それによって、人間は環境を支配しようとします。ところが、人間は他=環境に含まれています。支配している自分が支配されているのです。つまり、環境を破壊するということは、結局、自分を破壊しているのです。
この問題の本質は、自己と他を区別できないにもかかわらず、無理に区別して、支配しようとしたことに問題が起きたのです。環境問題は、戦争の問題と同じく、規模が小さな内は問題にならなかったのですが、今日のように地球規模となると、人間は他=環境に含まれているという事実は、事の重大さに気がついたときには手遅れ寸前だったというわけです。「天に唾」とはこのことだったのです。
免疫系の自己免疫疾患には、全身にわたる疾患と、特定の臓器だけが影響を受ける臓器特異的疾患があるように、その被害は格段の差があるでしょう。全身にわたる疾患とは命がなくなることです。同じように、自と他の区別が地球規模で浸透しなければ問題は起きなかったでしょう。
しかし、今や、二分法は世界的な規模で、蔓延してしまっているのです。ウイルス・パンデミック(世界流行)が恐ろしいものであることは、誰でもわかっているのですが、二分法的な思考のパンデミック(世界流行)=パラノパンデミックについては、殆-
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