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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2010年05月05日 07時05分04秒

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    仏教と同じ負け犬にならないために

    仏教と同じ負け犬にならないために
    <プラトンとの共振>

    奇人変人=シムピープル=芸術的科学者の立つ位置は、見るものと見られるものという二分法思考を脱した共振人間=複素数人間であると言いました。彼らは必要に応じて、虚空からの裏ポートを開放して、いつでも三次元脳パラノ人間から四次元脳スキゾ人間になれることです。果たしてそんな巧い方法があるのでしょうか。

    人間には自分をモニターしている脳があるということが脳科学の研究で分かってきたのですが、私達は、そんなことは昔から分かっていたのです。危機的状況で何かをしているときに、自分を冷静に見てくれているもう一人の自分がいることを感じることがあります。唯識では、もっと複雑で、相分(見るもの)、見分(見るものを見る)・自証分(更に見るものをみる)の三段構造になっています。唯識については、これ以上深く立ち入りませんが、仏教では、この関係を孫悟空(自我)とお釈迦様(無我)の関係で表現しています。

    仏教で言うならば、三次元脳人間=俗人=孫悟空、四次元脳人間=仏=お釈迦様ですから、三次元脳人間から四次元脳人間になるということは、即身成仏(仏になる)であり、悟りを開くということになるわけです。

    そんな巧い方法があるのかという疑念に対しては真言密教に答えてもらいましょう。詳しくは以下を参照してください。
    http://www1.plala.or.jp/eiji/sub6.htm

    以下、編集して引用しました。

    密教の目的とは、仏になることであり、人間に秘められている超能力を開発することです。その超能力の中でも全てに働きかける力を持つ念力が密教の本髄、極意です。密教修行をした密教者は仏心の悟りとともに、超能力を開発しており、必要に応じてそれが使えるのです。密教は五つに分類する事ができます。                

    無我力:これは超能力の開発に絶対欠かせない力です。

    念力:精神力によって、超常現象を起こし、人を動かし人を内面からも変えます。         

    遠知力:浄化された精神力を持った人には、とぎすまされた不思議な力が湧くと言われています。それは未来を予知したり、遠くの物音や声を聞き分けたりする事ができるのです。

    心眼力:全身を心に眼にする事によって、人の心を読み取り遠くでの出来事を透視するとともに、目の前の、または遠くの人も金縛りにする事ができるのです。          

    通神力:神に通じ仏に通じる力です。すなわち、神仏を自由に招く事ができる力で、         死者の声を聞かせたり死者と対話したり、神仏の力を現世の人間に与えたりする能力です。
    ―――
    真言密教はすごいことをやっているのです。もし、これが簡単にできるのなら、温暖化問題など、直ちに解決できるのではないでしょうか。

    密教の原点は仏教にあるわけですから、その起源はお釈迦さんの生まれた紀元前5世紀頃になるでしょう。それから2500年は経っていることになるわけです。これを2500年しか経っていないと見るか、もう2500年も経ったのかと見るかで評価が分かれるところでしょうが、四次元能的に解釈すると、評価できないという結論になってしまいます。その理由は、実現性がないということです。つまり、密教の無我を基本とする超能力は、自我の力の対しては無力なのです。自我の力は、仏教より少ない、2000年しか経っていないのに、科学的な知性となって、物質文明を開花させたという素晴らしい実績があるのです。

    自我の力が凶暴化した今こそ無自我の力の出番なのですが、密教の神通力でも、どうにも、ならならないようです。何故、仏教は無力なのでしょうか。「教え」としては、最高なのですが、その「教え」を行動に移すとなると、途端に無力化するのです。その証拠は仏教が末法化していることに現れています。密教は末法になったのではないにしても、その故郷であるチベットでは、自治の問題で揺れていますし、インドでは、車社会に傾いていきつつあります。このような現象は、いずれも、経済力=幸せという基準を持つ自我の勢力に押されているということを意味しているのです。

    四次元能は、まだ、末法化していない仏教=密教であっても、その方法では自我勢力に打ち勝つには無理があると考えています。それは自我の二分法思考が、超能力によって得られる御利益に比べて、はるかに巨大だからです。

    ですから、単に二分法思考を否定するだけでは、問題の解決にならないことは、今日の仏教が葬式以外に何もなしえていないことからも言えるのです。今日の文明的な生活を捨てることなどできないことは、猫に聞いてみなくても分かるでしょう。

    では、どうするのかですが、結論を言えば、仏教的な視点を維持したまま、自我と仲良くすること(共振)を考えなければならないのです。仏教のように社会のあり方に無力では何も変わらないのです。だからといって、政治に依存する、関係するのはもっとだめなのです。利用されるのは定番だからです。

    大乗仏教では、誰でもがその教えを会得できるようにしていると言いますが、在家の人で、悟りを拓いたという報告は聞いたことがありません。信者は沢山いると思うのですが、信者は、いつもでも文明を愛する俗人のままなのです。それでは、環境の問題など始めから解決できないのは火を見る明らかでしょう。

    ガンジーが無抵抗主義を貫いて、亡くなってから、その後を引継ぐ人達が現れないのは何故なのでしょうか。やはり、食べなければ、生きていけないからでしょう。犬や猫はペットとして飼われていますが、彼らは既に文明に組み込まれているのです。猫は缶詰で生きているのです。

    インド自身が自我文明の象徴である車社会に突入しようとしていることの現実は、仏教の敗北を象徴しているのではないでしょうか。自我の前には仏教は余りにも無力だということではないでしょうか。

    温暖化の進行を考えると、仏教がどうであれ、どうにかしてパラノパンデミック(資本経済のグローバル化)を抑えなければならないのです。脱二分法思考を普及しければならないのです。密教にかかわらず、仏教には、普及の視点が欠けているのです。

    勿論、仏教では布教という活動をしていますし、世界的にも大きな勢力であることは間違いないのですが、その仏教が目指すことと、世界の有り様がまるで反対の方向に広がる一方であることに、何かしら大きな違和感を覚えるのです。

    仏教を基盤とする政治的な団体がありますが、彼らの布教戦略は矛盾しているのです。無自我=幸せを基盤としながら、経済力=幸せを実現するために、自我を味方にしようとしているからです。

    これは、一見、二分法思考と仲良くして、無我の力を復権し、脱二分法思考を普及させようとするかに見えるのですが、内実は、逆で、反動的な二分法思考に依存して、文明的な生活を享受したいだけなのです。

    そのような反動的なやり方は、多くの仏教の歴史を見れば分かるように、ほとんどが末法化、形骸化してしまったように、先が見えているのです。

    超能力を持って得られる御利益に比べて、はるかに巨大な利益が得られる自我の力の本質を知るべきなのです。仏教は、自我の力を執着する心という面でしか捕らえていないと思うのです。自我はパラノパンデミック(資本経済のグローバル化)をもたらすウイルス様の感染力を持っているのであり、森林火災のように、全てを焼き尽くすというところに、その恐ろしさを隠し持っているのです。

    そうはいっても、最も古くから自我の弊害を警告してきたのは仏教ですから、仏教の視点を大事にして、その先に、進まなければならないと思うのです。何故、仏教が自我の凶暴化を抑えることが出来なかったのか、その仏教の弱点を徹底的に解明できなければ、四次元能も同じ轍を踏むでしょう。仏教のように負け犬にならないために何をすれば良いのでしょうか。

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