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from: 生成門さん
2010年05月19日 07時34分26秒
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連続と不連続
連続と不連続
<プラトンとの共振>
量子力学は、連続した因果の現象を探求するために、二分法を得意とする自我思考を武器にして、究極の物質であるミクロの世界に入ったら、不連続な即非の無我に反転する現実を発見してしまったのです。
連続の果ては無限ですが、無限に先は、反転して不連続=ゼロ次元になるというのが四次元能の主張する四次元の誕生の秘話でした。「四次元の誕生の秘話」の秘話を参照してください。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082056787
では、何故、連続を追及すると不連続に反転してしまうのでしょうか。
その前に、連続と不連続とは何かを、明確にしておかなければなりません。
量子力学を発見した現場では、光が連続した波であると思っていたのですが、不連続な粒子であることがわかって仰天したのです。これが連続と不連続の本質を象徴していることになるのでしょうか。
光は波であり、粒子であるのですから、光は連続でもあり不連続でもあると言うことになります。この場合の連続・不連続とは、エネルギーが連続という意味です。エネルギーには流れるイメージがあるので、水に喩えて見ましょう。川は流れますから連続です。しかし、その水が、少なくなってくるとどうでしょうか。ちょろちょろと流れ、やがては枯渇してしまいます。葉っぱに付いた水滴は小さく丸い形をしています。これが水の正体です。
もっと、小さくすれば、H2Oで表現される分子になるのですが、喩えですから、水滴がエネルギーの最も小さい塊とします。光も同じように太陽から発せられているときは、まぶしいほど沢山あるので、連続して飛んでいるように見えるのですが、実は、その最小単位があって、水滴のような塊=粒なのです。これで光のエネルギーは不連続であると言うことになったのです。
連続に見えても不連続だと言うことです。逆に言えば、不連続に見えても連続だと言うことです。
連続とは、現象の連続を意味しますから、因果の関係を保証するでしょう。しかし、例えば、生と死の関係はどうでしょうか。生と死は切断されていますから、生の論理はすべて破壊されます。従って、不連続と言えるでしょう。
一方、死体は分解されて、原子に戻りまた、結合して、別の固体を作ります。物質は循環しているのです。循環とは連続を意味しています。このように不連続と連続の違いは単純ではないようです。
ここまでは物質世界の連続・不連続だけが問題となっていますが、死んだ後の魂はどうなるのかでしょうか。それを考えると、話は更にややこしくなるでしょう。既に魂はどこに行った(1)(2)で述べましたので参照してください。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082585608
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100082616596
現象の連続・不連続以外に、次元間の連続・不連続があるということです。不連続の程度としては、精神と物質の不連続の方が深刻でしょう。
プランクの発見が革命的であるというのは、光のエネルギーが不連続だというにあるのでしょうか。それもありますが、波と粒子という異質で相反する状態が同時に存在していることの方が革新的だったのです。
波は連続、粒子は不連続ですから、連続と不連続が一つの実体の上で同時に存在しているということが、より問題だったのです。
連続して「ある」とは、自己が保持されて「ある」ということ、即ち、自己同一性です。自己同一性とは、実体として存在するということですから、粒子のようなものです。ところで、粒子は不連続です。連続して「ある」はずのものが不連続となってしまいました。
一方、連続して「ない」のは、非自己同一性であり、非実体として存在する非粒子のようなもの、つまり、波ということです。ところで、波は連続です。連続して「ない」はずのものが、連続となってしまいました。
何かおかしい展開になっています。連続が不連続となり、不連続が連続となってしまいました。
波と粒子だから分かりにくいのでしょうか。実体を人間としてみましょう。今日の私は明日も同じ私ですから、自己同一性=連続を保っています。不連続な実体としての私は、波のように綱がっている、つまり、連続しているのです。
一方、今日の私と明日の私は同じではありません。自己同一性=連続を保っていないのです。連続な実体としての私は、不連続としての実体なのです。
もっと分かりにくくなってしまったかもしれません。
要するに、私は私であり、私ではないということであり、私は連続であり、不連続だということです。もっと言えば、私は波であり、粒子だということです。おや、光は波であり、粒子だということと同じになりました。
この連続と不連続の話は、もっと、面白いところの導いてくれます。
その面白いところとは、プラトンのイデアの世界です。イデアの世界が不連続についての本質を教えてくれるのです。
既に、イデアの世界は、もう一つの世界だと言いました。もう一つとは、この世界には、二の世界があるということであり、一つは三次元の物質世界、意識現象の世界、記号化された世界であり、もう一つは、三次元の世界を生成する四次元の精神作用の元である虚のエネルギーを供給する世界であるとしました。
更に、この二つの世界を複素平面で表現して、前者を実軸として、後者を虚軸としました。実軸と虚軸が交差する点を空として、精神作用がなされるところであるともしました。
交差する点は、単なる点ではなく、三次元サイドから見ると原点=実空であり、四次元サイドから見ると特異点=虚空であるとも言いました。この二つの顔を持つ点が空であると言いました。原点であるとは、ゼロポイントであり、実軸上では不連続であり、特異点であるとは、虚軸上の不連続点であり、更に空全体として、実軸と虚軸が不連続であるということを意味しています。
ここで言う連続と不連続は、波と粒子の連続と不連続とは違った意味です。
ここで言う不連続とは、三次元と四次元の世界の不連続性のことなのです。波と粒子の連続と不連続、私の連続と不連続は、それらが同時に存在するということは、この世界のどこに、どのように収まるのでしょうか。それは後のお楽しみとします。
三次元と四次元の関係は、不連続ですが、全く、遮断されて交通がないというわけではありません。次元の誕生でも述べたことですが、無限を畳み込んで原点として、反転すれば、次元が上がることを示しました。
次元化とは、切ったり張ったりしての連続化とは違いますが、三次元と四次元は反転して繋がっていると言えるのです。このことは空のダイナミズムとして説明しました。
四次元能で不連続だという場合の意味は、三次元的な因果の系列が切断されているということです。空のダイナミズムは因果的な論理ではないので、三次元サイドから見ると、実軸と虚軸で示される二つの世界は不連続であるでしょう。
このイデア世界と物質ないし、観念の世界、精神作用の元と精神作用の結果としての、二つの世界が不連続であるということについては、四次元の基本でありますので、もう少し、吟味しておかなければならないでしょう。
特に、不連続な特異点=虚空について説明するのは、日常的には四次元との接点がないので、説明に困るのですが、何とかやって見ましょう。
注意すべきことは、四次元での不連続と三次元的な意味で使われる不連続とを区別しなければならないということです。
四次元での不連続とは虚と実の間のことであり、三次元的のそれは実と実との間のことなのです。先に吟味した波と粒子についての連続と不連続は、三次元的のことなのです。それでは、光の連続と不連続の問題が解決したことにはならないでしょう。
そこには、何故、波であり粒子であるのかという、三次元の因果を否定する謎が解明されているわけではないからです。これを解明するには、四次元というもう一つの世界を想定しなければならないのです。その上で、実の連続と虚の不連続の問題を解決すれば、自ずと波と粒子の同時存在も明らかにすることができるでしょう。
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