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from: 生成門さん
2010年05月28日 19時58分19秒
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心理の事象の地平面
心理の事象の地平面
<プラトンとの共振>
事象の地平面の外側は三次元であり、内側とは四次元へのゲートであると言いました。
三次元の仮の内側とは違う真正の内側とは、ブラックホールの内部のことです。
ですから、ゲームをしている人も見ている人も、ブラックホールの内部などではなく、三次元のムジナだったのです。
明治維新の坂元竜馬も、ゲームのレイヤーにすぎませんから、ブラックホールの内部にいるのではないのです。
ということになると「特異点はいつも近い」http://memo7.sblo.jp/article/34660929.htmlで、言っていることは、間違いだということになります。
これで終ってしまうと「特異点にいる」を取り上げた意味がなくなってしまいます。四次元能は、とんでもない反転のシナリオを用意しているのです。
さて、それではその後半を続けましょう。
三次元では、内と外を分けるのは仮にそうするだけだという結論から、激動の中にいる当事者でも、事象の地平の内側にいるのではないということになりました。
つまり、激動の中といっても、その中を切り拓いてみると、体制派・反体制派、保守・革新に別れて、争っている様子が見えてくるでしょう。
見えたということは、内部ではないということです。つまり、その内部があるということですから、その内部に対しては、外部になっているということです。これでは玉葱構造です。切りがありません。
これまでの話を要約すれば、社会とは、三次元の現象世界であり、事象の地平面の外側であり、ブラックホールのような事象の地平面の内側の特異点に「いる」ということは有り得ないのです。
ブラックホールがあるとは、その外側から見て、そこにブラックホールがあると言っているのであって、その中にいて、ここがブラックホールだといっているのではではないのです。
社会をブラックホールの事象の地平面として見立てた場合、その内側の特異点に「いる」というような言い方をするのはおかしいのです。三次元の社会を四次元へのゲートであるブラックホールに喩えること自体が問題なのではないでしょうか。
四次元と三次元は不連続であり、ブラックホールの内部は見えないのだから、それを探求するのは無理であると考えたら、おしまいです。それでも、ブラックホールの内部に近づく方法は無いのでしょうか。
ティトムとの共振では、これには既に答えを出しています。それを想像するために四次元の抽象イメージを提示したところです。これをヒントにして答えを出して見ましょう。
そこで、渦中にいるということの意味を考えるために、社会の激変を「事件」に置き換えてみましょう。
自分を事件の対象の外に置くならば、事象の地平面の内側の特異点に「いる」という様な表現はできません。しかし、事件の渦中にいるなら、事象の地平面の内側、即ち、特異点にいるような「気」もしてきます。
「気」もすると言ったのは、まだ確信が持てないからです。話を続けてみます。
ゲームの表現や医者や科学者が「やること」の例では、いつでも、自分を見る側の位置、つまり、事件の対象の外に置いていました。ゲームの場合では、プレイヤーそのものではなく、それを見ているものの立場に立って表現していました。
ゲームのプレイヤーは見ている人ではありません。ゲームをしている当事者なのです。観客者も見ている人ですから、ゲームの中にいるわけではありません。しかし、見ていることについては当事者です。「見ている人」と「見ていること」の違いを知らなければなりません。
見ている人は観察者であり、「見ている」とは当事者の態度なのです。
医者の場合も同じです。身体を見ているという意味では観察者=外部です。しかし、見ていること自体=手術していることをしている最中は、当事者なのです。
科学者の場合も同じです。細胞を見て、あれこれと分析するという意味では外部=観察者です。しかし、見ていること自体をしている=研究の最中は当事者なのです。
このことは、核心に触れているのです。
見ている人にとっては、自分以外は外部であって、「やっている」ことや「見ていること」は対象を見ている人ではなく、対象と一体になっているのですから、それは内部だと言うことが言えるのです。その証拠に、「やっている」事や「見ていること」を見ることはできないのです。一心不乱にやっている人は、真正の内部のいるのだということです。
もし、自分のやっていることをビデオにとって、見ているとしたら、その態度は、見ている人になるわけです。しかし、そのビデオを見ている最中は内部なのです。同じ人が対象を外部としたり、内部としたりするのです。つまり、内部と外部はいつも同伴しているということです。
当事者視点に立っている人は、見ていることを見ることができないのですから、その人はブラックホールだということです。
この論理を事件に当てはめて見ましょう。
渦中にいるのは事件の当事者ですから、観察者=目撃者や刑事から見ると、その事件当事者の内面は、間接的にしか知ることは出来ません。つまり、心情などを押し図かることは出来ますが、直接触れることは出来ないということです。
観察者の立場ではなく、自己が自己を見る=自己観察者、内面を見る内観的・瞑想的観点、即ち、当事者視点で見るとどうなるでしょうか。
事件の当事者の内面には、現在進行形の出来事として現れるでしょう。当事者視点に立ったことを、禅では人馬一体、無心、無我夢中、心頭滅却すれば火もまた涼しいなどと言いますが、その様な心境になっているときが、真正の内部であり、外部ではないという意味です。
その内部は心という意識や無意識の世界であって、物質の外部世界とは連続していない不連続な世界なのです。
ただ、この関係は複雑です。その意識は自我ですから、観察者視点に立ち自分以外を対象化して外部と見ますが、無意識は無自我ですから、当事者視点に立ち自分と対象を一体化して内部と見るのです。つまり、外部を連続した世界と見るか不連続した内部世界と見るかは、心次第ということになりました。
さて、どの心にしても物質世界とは不連続ですが、その関係はどのようになっているのでしょうか。
ブラックホールでは、入るものを拒まず、出て行くものは許さずですが、人間の場合は、そうではありません。
心は出来事を認識するのです。つまり、で、内部は外部を映す鏡なのです。ところが、心は意図を持って外部に働きかけます。つまり、出て行くものは許さずではなく、出て行くものは許すのです。外部には内部の意図が反映するのです。
このことは、出てこられる蟻地獄で述べた通りです。http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100094071603
人間の場合は、どのようにして、内部と外部を連結しているのでしょうか。
事件を犯した人には動機があるでしょう。その動機とは欲望でもあるでしょう。そのよう欲望が引き金となって、事件を起こしたということになります。しかし、その欲望=動機は、外部からの刺激や圧力が原因であるでしょう。
そのような事件を調べる観察者=刑事は、犯人の内面=動機を特定するために証拠を探したり、自白させたりするでしょう。しかし、いくら、名刑事コロンボでも、その犯人の内面に入っていけないでしょう。内面に近づくことは出来ても、内面を触ったりすることは出来ないのです。
観察者と当事者に間には、犯すことの出来ない境界があるのです。この境界を、観察者から見ると事象の地平面と言えるでしょう。
事象の地平面をこのように考えれば、観察者=刑事は、犯人の内部=事象に地平面や特異点に入ることは出来ないのでしょう。言い換えれば、犯人は特異点にいて、刑事は特異点にはいないということです。
これを反対側から見るとどうなるでしょうか。つまり、刑事を当事者として、犯人を観察者とするということです。そうすると、刑事がどのような方法で、自分を追い詰めるのかということを、犯人自身から見たらどうなるのかということです。当然、犯人は刑事の内面を見ることも触ることも出来ないのでしょう。
観察者としての犯人は、刑事の内部=特異点に入ることは出来ないのです。言い換えれば、刑事は特異点にいて、犯人は特異点にはいないのです。
結論として言えば、観察者=見るものは、特異点にはいない、当事者は(見るもの=見られるもの)は、特異点にいるということです。
坂本竜馬は、事件の当事者ですから、特異点にいて、歴史家はその特異点にいないということです。しかし、歴史家は自身の特異点にいるということです。
このように立つ位置を当事者に置くか、観察に置くかで、事象の地平面との関係が変わってきます。
ですから、特異点にいると言ったときは当事者の位置を観察者の位置から言っているということです。
観察者が当事者の特異点にはいないというのは、歴史家が、坂本竜馬の時代にはいないのですから、その当時の特異点を共有することはできないのは、当然と言えば当然なのです。仮に同じ時代だとしても、刑事と犯人の関係のように、特異点を共有することはできないのです。
しかし、ここで新たな問題が起きるでしょう。同士や恋愛関係なる二人は心を共有していますし、坂元竜馬達は同士ですから、特異点を共有していたと思うのです。これはどう考えたらよいでしょうか。
これは、実空=原点=自我意識と虚空=特異点=無我意識の区別を持ち出さないと説明が出来ないでしょう。
すべての人の内面には、自我と無我があり、無我は集合意識として共有しています。これが、実空は偏在し、虚空は遍在するという意味です。「特異点は近い」で使っている特異点は、四次元能の文脈で言うと、個々人に偏在する実空=意識のことなのです。
どちらの位置から見るにしても、事象の地平面とは認識の境界だということです。このような見方の違いを示すのに、わざわざ事象の地平面という概念を持ち出す必要がどこにあるのでしょうか。主観的とか客観的な見方と言えば済むことではないでしょうか。
実は、これは本質的な問いなのです。
四次元能では、マクロからミクロに至るまで、一貫した法則性=宇宙の法則で貫かれていることを示したいと思っているのです。ですから、物理の概念である事象の地平面を認識の境界として見たてて、脳が宇宙の法則に貫かれていること検証してみたいのです。
これまでの結論を要約します。
人が内と外を分けるのは、便宜的なものです。しかも、その内側はいつも開かれるのを待っており、開かれた瞬間に外部となるのです。ですから、真の内部とは言えないのです。
一方、当事者の心は内面であって、見ることは出来ないから、心はブラックホールであり、そこに事象の地平面があるのです。従って、当事者の内面を特異点というのです。
観察者の立場ではなく、自己が自己を見る=自己観察者、内面を見る内観的・瞑想的観点、つまり、当事者の視点で見ることが、四次元のゲートであるブラックホールの内部を見ることになるのでしょうか。
果して、それが心の内部を見たと言えるのでしょうか。「見た」とは、既に観察者の立場に立っているのですから、矛盾しているのではないでしょうか。
見ることのできないものを見たといったら自己矛盾です。芸術家が作品を仕上げているときは、見ていることを見ていないでしょう。それをした瞬間に芸術家から評論家になった瞬間です。
見ることを見ないで、見ることができるのかという即非の状況に追い込まれました。しかし、即非の状況こそが、空であり、四次元へのゲートなのです。
見ることを見ないで、見るというのは、ゲームをしている選手が、プレーの最中に、自分のプレーを実況中継するようなものです。絶叫マシンに乗って、マイクを手にしながら、絶叫しているようなものです。余り品が良くないことは事実です。
四次元能では、そういうことをやっていると思ってください。観察者でもなく、行為者でもなく、観察者でもあり、行為者でもあるという、中途半端な態度、中性子のような雌雄同体、ゲイのような振る舞いが即非=空なのです。
そう、四次元能はそういう態度で貫かれています。このブログは即非の臨床実験なのです。即非のシム方程式があり、それに則って進行しているのです。
四次元能を舞うこと自体が、即非の共振というスタイル=シムダンスなのです。探究することと分析することを同時にやっているのです。それがシムダンスであり、アクロバットなブログの方法なのです。
芸術家が曲をつくりながら、絵を書きながら、この曲とはこうであると言い、絵について評論すると言うわけです。
禅のお坊さんが、座禅をしながら、悟りについて「こうである」と、説教をするようなものです。
即非とは、タイムシェアリングとは異なる、同時共生のアクロバットなのです。
事象の地平面が内と外を分ける境界であり、内部は見えない四次元のゲートであり、それはどこにあるのかということを問うてきて、それが脳にあるということになりました。
宇宙にはブラックホールがあると言うことですが、それはまだ見つかっていないようですし、もし、見つかったとしたらそれは、ブラックホールでは無いことになるかもしれません。
見えないものが見えたということは四次元ではないからです。しかし、四次元ゲートなら、見る方法はあるかも知れません。四次元能はそれにチャレンジしているのです。
宇宙では見つかっていないのですが、身近なところにブラックホールがあったということです。それが私達の心です。ブラックホールとは心だったのです。確かに心は見ることもさわることもできません。
心がブラックホールなら、外部と内部を区切る事象の地平面もありそうです。その区切りは、三次元の便宜的な区切りとは違います。何故なら、三次元の便宜的な区切は、内部を見ることができるからです。仮の内部なのです。
心は直接見ることができません。ですから真の内部なのです。
これを、どうすれば、見ることが出来るのでしょうか。内観したものをどう報告することが出来るのでしょうか。
見ることに出来ないものを見るというのは、どうすれば出来るのでしょうか。
それにはアクロバットな展開が必要でしょう。
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