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from: 生成門さん
2010年06月19日 20時47分47秒
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PS理論の基本3=オイラーの公式の変形
PS理論の基本3=オイラーの公式の変形
<PSとの共振>
この図は海舌氏が世界に対して認識していることを描いた概念図です。元の図はhttp://photozou.jp/photo/show/240326/40405552です。
PS理論の中核である自己認識方程式、即ち、(+i)*(-i)⇒+1はオイラーの公式を活用したものです。自己認識方程式の諸要素、+i, -i, +1, -1, *, ⇒(Media Point)の説明は
http://ameblo.jp/renshi/entry-10221750748.htmlに詳しく述べられています。数学的な説明はこちらです。http://ps-theory.kaisetsu.org/
以下、編集して、引用しました
オイラーの公式を変形する理由を説明するために、超越数を説明しようとして、手間がかかってしまいました。しかし、その背景には超越性が隠れているということを感じてもらえたでしょうか。超越数と超越性とは親戚なのです。
そこで、話を精神性=超越性に戻します。
オイラー公式を
e^iθ-isinθ⇒cosθ
(⇒は次元の違いを表す。)と変形しました。
オイラーの式を変形したのは、精神と物質を=で繋ぐと言うのは、常識の世界でなくても、いきなりでは無理があるからです。
精神と物質の世界では土俵が違うのです。ですから、=ではなく⇒で繋いでいるですが、その本当の狙いは、次元が違うということなのです。
次元が違うことを土俵が違うことに置き換えて理解するために、長い遠回りをしたのですが、無駄ではなかったと思うのですが如何でしょうか。理解できなかったとしても、当方に責があります。もう少し頑張ってみましょう。
さて、いきなり、精神世界と現象世界を=で結びつけられたら、オイラーさんも困ってしまうのでしょうから、オイラーさんを安心させるために、
超越性=現象性
ではなく、
超越性⇒現象性としましょう。
超越性にまだ抵抗がある人は精神性と言い換えても良いでしょう。
どちらにしても超越性=精神性と現象性(物質)はまるで水と油のように溶け合わない、異なるものどうしです。それを=で結んでしまったら、A=Bでなければならないという=の使用ルールに違反してしまいます。
Y=X+1という式があります。この場合、Y=3とすると、3=X+1ですから、X=2が決まります。これがルールです。これと同じように、水=油+xとして場合、Xには答えがありません。つまり、ルールが成立たないのです。
精神と物質が交わらないと言うことを言いたいがために、水と油は交わらないというメタファを持ち出したのですが、最近では水と油を混合させる技術があるようですから、このメタファは適切ではないかもしれません。
⇒が、精神が物質になるという意味なら、尚更、水は油にはならないのですから、メタファとしてさえ使えないでしょう。
水も油も分解すれば、電子と陽子と中性子になるのですし、さらに分解すれば見分けの付かない素粒子になってしまします。素粒子できているのが物質ですから、水も油にならないとは言えないのです。一億年前の水の素粒子が、その後に油の素粒子となっているかも知れないからです。
将来では、スピンエレクトロニクスが発展して、自在に素粒子をコントロールして水から油を生成できるかもしれません。それは物質という次元の話し、つまり、土俵が同じだから言えることなのです。
精神が物質になるという話になると、同じ土俵では無理があります。いくら、魂が乗り移るという話しが本当でも、同じ土俵、例えば、この世の身体同士では無理があるでしょう。
それで精神と物質を=で結ぶということは、精神が物質になることを意味するのですから、水が油になるよりもっと酷いルール違反なのです。
しかし、精神と物質を=で結ぶということがおかしいのは、それが数学の世界のことだからであり、精神が物質になるというのは事実なのです。魂が乗り移るという話しは「事実ではない」ということは「ない」のです。
同じ物質の土俵なら、魂が乗り移るという事実はないのですが、土俵を変えさえすればそれは可能なのです。
そのことを示して見ましょう。
私が気合を入れるとします。するとその結果は溌剌とした行動に現れるでしょう。これが、精神が物質になるということの簡単な証拠なのです。事実は理論より奇なりなのです。
これを古典科学という立場で、つまり、同じ土俵で説明しようとするから、どうにも説明できないのです。
ですから、ルールの方を変えなければなりません。そこで、左辺の霊的世界=精神性から現象界に現れる様を「指し示し⇒」という記号を用いる解釈を採用したのです。これならオイラーさんも許してくれるでしょう。
又、又、難解な言葉が出てきました。これでは、先に進めません。「指し示し」とは何でしょうか。海舌氏に助けてもらいましょう。「質と量の反転」http://blog.kaisetsu.org/?eid=810771を編集して引用しました。
これが、又、難解なのですが、やっていきましょう。塩水の話が指し示しの例になるとは驚きです。
普通、指し示しとは、指差しですから、指で対象を示すことです。駅員がやっているあのポーズです。弓矢のポーズも指し示しでしょう。弓で射るという行為は指し示しなのです。的が指し示す対象です。
弓で射るとして構えた手には、弓と矢があります。弓はエネルギーを矢に伝える媒体であり、矢は弓を引く人の意思を伝える媒体です。弓矢という物質=媒体と身体と心が一体になって、矢を放した瞬間、意志とエネルギーが矢に移って的に向かって飛んでいきます。
物理的には矢は手から放れますが、身体と心と矢は一体です。
的に突き刺さった瞬間に、心と的がつながります。つまり、指し示しの完成です。
これを図示すれば、
●⇒◎
●:身体・心・弓矢、場
⇒:矢、空気、場
◎ :矢、的、場
と表わせるでしょう。
ここで、●から、心だけを抽出して〇とします。的場には、矢が来ますが◎のままでよいでしょう。
●⇒◎は、〇⇒◎
となりました。
何をしたのかということですが、オイラーの式の変形したことと同じことをしただけです。厳密には、右側には身体も持っていかなければなりませんので、
●⇒◎は、〇⇒◎+矢+身体ですが、◎を物質の代表なので、表現としては〇⇒◎で良いということです。
弓の指し示しは、
心⇒的
となりました。
これは、
精神⇒物質
ということです。
ここから言えることは、指し示しはオイラーの式で表せるということであり、精神⇒物質という一般的な形をしているということです。
普段の生活でも、指し示しは良く使われています。良く使われているというより、すべてが、すべての行為が指し示しの連続であると言えるでしょう。
「おい!お茶」と言ったとします。これはどのようになるでしょうか。
心:お茶を飲みたい
⇒:「おい!お茶」
現象:意思を理解した奥さん
心:お茶を入れる
⇒:奥さんがお茶を注ぎ、手元に運ぶ
現象:手元に運ばれてきたお茶
こうしてことが日常会話では延々と繰り返されるわけです。
贈答ではどうでしょうか。
心:お祝いしたい
⇒:プレゼントする
現象:贈り物を受け取った人
この後の返礼などと続きますが省略します。
交換というのは、普通の感覚では、
交換したい心⇒交換したもの
で表現されますが、
経済学では、
交換したいもの=交換したいもの
となり、これを等価交換と言います。
何が、どこが違うのでしょうか。経済学では、交換したい心がないのです。指し示しがあるのですが、無視しているのです。古典科学とは指し示しを無視しているのです。
指し示しとは、心⇒物質、精神⇒現象、魂⇒身体、気⇒身体などのように物質ではないものと物質を繋ぐ行為なのです。
これで、指し示しを理解する準備ができました。海舌氏の海水の例を取り上げて見ましょう。
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