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from: 生成門さん
2010年09月17日 14時50分25秒
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量子力学をガウス平面に配置する
量子力学をガウス平面に配置する
<PSとの共振>
「主語論理と述語論理をPS理論で解明する」の続きです。
分極による二つの世界と対称性と対称性の破れによる三つの世界、合わせて、六つの世界が生成・形成されるとしました。
-1(凸i) +1(凸i)
-1・・・・・・・・・・・・・・・・・・+1
-1(凹i) +1(凹i)
非在{-1(凸i)・-1(凹i)・・・実在{+1(凸i)・+1(凹i)}
更に、非在も実在も対称性を持っているが、それが破れて生成・形成されると言うことです。
哲学や芸術、宗教や倫理にも、これが当てはまると言うことです。具体的どう当てはまるのでしょうか。
非在(-1)・・・実在(+1)
芸術的思考の世界{ }・・・芸術の世界{ }
哲学的思考の世界{ }・・・哲学の世界{ }
宗教的思考の世界{ }・・・宗教の世界{ }
倫理的思考の世界{ }・・・倫理の世界{ }
としましたが、{ }は、非在{-1(凸i)・-1・-1(凹i)と実在{-1(凸i)・-1・-1(凹i)}という対応があります。これを個々に吟味していきましょう。
ガウス平面を認識の場と解釈すれば、分極による実在と非在の六つの場{+1(凸i)・+1・+1(凹i)}{-1(凸i)・-1・-1(凹i)・-1)、それに認識の発生する無の場、即ち、共立の場(MP1)と共役の場(MP2)、根源としての凸i、凹iを加えて10の場があることになります。
それでは科学について吟味します。
凸i優位:主語論理によるニュートン物理=古典科学
中間状態:曖昧論理による中間物理(これが、トンデモ科学か、それともイデアの科学か?)
凹i優位:述語論理による量子力学=新しい科学
量子力学については、この図式は正確とはいえません。どういうことかというと、量子力学には二つの立場、つまり、「質点の量子力学」と「場の量子力学」があるからです。詳しくは南堂氏の「量子論の根源問題」を参照してください。
http://openblog.meblog.biz/article/1362060.html
以下、編集して引用しました。
-1で生成される思考には、主語論理の基づく古典物理を拡張した実体重視の古典的量子力学と述語的な思考の産物である「場の量子論」があるということです。
ところが、MPプロセスで示したように自我が+1に待ち構えており、-1(凸i)の古典的量子力学が選好されるのが普通なのですが、自我が否定すべき相手である-1(凹i)の「場の量子力学」の方を選ぶというようなことが起きてしまったのです。
初めは、粒子を優先する古典的量子力学を選択していたのですが、粒子とは波でもあり粒子ということになってから不都合なことが起きてきたのです。これは、質点というが概念を基盤とするために起きることなのですが、いろいろと不都合なことが起きてしまったのです。そのことを示すのがシュレデンガーの猫http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/catwja.htmと言われるパラドックスです。
以下、編集して引用しました。
この有名なパラドックスは、量子力学の根源と関わるものです。それは「粒子と波」という問題です。量子を「粒子と波の双方の性質をもつもの」というふうに、あいまいな文学的解釈で理解したことから、この問題が生じたのです。
あいまいな文学的解釈を捨てて、科学的な解釈を取ることにより、パラドックスを回避することができます。
―――
ともかく、その不都合を解消するために呉越同舟という作戦に出たわけです。つまり、自我は主語優位でありながら、このときは、述語優位の場の量子論を選択したのです。そうするとどうなるのでしょうか。
これを、PS理論的にいうと、自我を否定して、他と一体(同一化)となるということです。通常は、自我を肯定して、他と一体(同一化)となるので、自我が主体なのですが、これは他が主体となる反動という現象です。
日本が戦争に負けたときと同じ自我状態です。すべての過去の日本的価値観を捨てて、アメリカナイズに走ったのが戦後の私達だったのです。
これと同じことが、量子力学の世界でも起きたということです。しかし、呉越同舟の作戦は、いいことはありません。長く辛い関係の始まりなのです。
しかし、自我を否定すると言っても、なくなったわけではありませんから、密かに、自我を取り戻そうと虎視眈々と狙っているわけです。
そうすると又おかしいことというか、悲しいことが起きてしまうのです。日本の場合で言えば日米同盟の矛盾です。
質点の量子力学の場合は、場の量子力学を取り入れたことで、場から粒子がいくらでも取り出すことができるので、なんとか、プライドを捨てなくて済んだのです。つまり、質点=粒子という実体=自我を捨てなくてよくなったのです。
ところが、そうは問屋が卸しませんでした。質点の量子力学に場の量子力学を取り入れると、無限大という事態が生じてしまうのです。
例えば、力は距離の自乗に反比例するとします。つまり、距離が分母に来るわけです。質点というのは点ですから、体積がゼロだということです。
つまり、距離を自分に無限に近づけることができます。そうなるとゼロで割るといことになってしまい、無限大になってしまいます。これを発散すると言います。発散したのでは理論そのものが破綻してしまいます。
古典力学では、発散はおきません。何故なら、質点には体積があるからです。つまり、距離がゼロになることはないからです。しかし、量子の世界は余りに小さいし、自己が自己に作用するというようなことがあるのです。
この発散を避けるための方法(繰り込み)は見つかっていて、何とか急場を凌いでいるのですが、このような対処療法は、言って見れば、日本がアメリカンに対して外交的に原子力空母の立ち寄りを認めておきながら、国民には、そのようなことはないと否定し続けてきたようなものです。
このような小手先の繕いは、いつかはもっと大きな破綻を招くことになるのでしょう。結局、原子力空母立ち寄りに関する外交機密文書は発覚してしまいました。
資本主義は、このやり方で現段階は生き延びているようです。すべて、異端な出来事、流行などを記号化(商品化)して消費してしまうからです。この循環で欲望を肥大させているのです。しかし、その結果は、文明のグローバル化、そして、気候変動、そして温暖化という破綻のシナリオが待っているのです。
質点優位の量子力学は大丈夫なのでしょうか。
このことを踏まえて、量子力学を位置づけし直ししましょう。
凸i優位:主語論理による質点の量子力学
中間状態:曖昧論理による中間物理(これが、トンデモ科学か、それともイデアの科学か?)
凹i優位:述語論理による場の量子力学=新しい科学
同じように、芸術も吟味しておきます。
凸i優位:主語論理による芸術(写実絵画、クラッシック音楽など)
中間状態:曖昧論理による中間芸術(印象絵画など)
凹i優位:述語論理による芸術(抽象絵画、バロック音楽、ジャズなど)
となるでしょう。
MP1とMP2の交錯については、哲学で示したメカニズムと同じなので、省略します。
芸術に関する主語論理と述語論理と、それぞれの対称性の対応が、正しいかどうかは自信がありませんが、正確性については今後の検討とします。
ここで、主語論理と述語論理と、それぞれの対称性の対応について、纏めておきます。
1:非在も実在も対称性を持っている2:そして、その対称性が破れる。
3:MP1とMP2の交錯がある。
4:MP2で自我優位なら、MP1からの反転したもの、凸i優位(例えば質点量子力学)が受け入れられる。
5:人間の場合は、MP作用は複雑である。
6:MP1⇒-1を経由しないMP1⇒+1もありうる。
7:MP2では自我優位の反動がおきることがある。その場合、MP1からの反転したもの、凹i優位(例えば場の量子力学)が受け入れられる。
8:大概、7:のケースは破綻する。
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