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from: 生成門さん
2010年09月18日 15時34分36秒
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現象からイデアを見つける
現象からイデアを見つける
<PSとの共振>
Renshi氏のHPから「スピノールは原イデアである」というくだりを見つけました。「現記(うつつのき):縁起とスピノール」http://ameblo.jp/renshi/entry-10016733870.html
これは私にとって興味深い発見です。
というのは、私達が生きている世界は、背景にある何かから生まれてきていると考えているのですが、その背景の世界は直接見ることができないので、想像するしかないのですが、そのためには考える道具立てが必要なわけです。
見ることができない典型が人の心です。私達は人の心を覗くことができません。ですからあれこれと、小細工をして知ろうとするわけです。そのための道具が言葉です。
つまり、会話をして、その反応を見て、知ろうとするわけです。しかし、どんなに苦心しても、心は掴めないという現実があり、その壁を破ることができないので葛藤が生じて来るのですが、それはそれで妥協しながら生きているわけです。
ところで、これと同じ状況にあるのが、量子力学の世界なのです。量子力学はとても小さな世界を相手にしているので、直接見ることができない世界です。
そこで、物理科学者も、その世界を知るための道具(概念)を考えているのです。どのような道具(概念)を使うかで、それに見合う世界観が導き出されてくるのです。
今、問題にしたいのは、どのような道具(概念)かということではなく、概念を作り出す行為とは何かということです。
これは、虚(イデア)⇒実(物質)と違う方向を持っているということです。この方向は、私達の日常の世界が虚の世界から凸iと凹iの共振によって、形成されるということを意味しており、これまでも繰り返して述べてきたことです。
しかし、反対の方向の実(物質)⇒虚(イデア)については、余り触れてきませんでした。
人間で言えば、心の裏を探るとかの意味になるのですが、それでも、大概は、実(物質)⇒虚(イデア)ではなく、実(物質)⇒実(物質)の範囲に留まっているのです。
つまり物質的な因果関係を明らかにする行為でしかないのです。分かり易くいえば、刑事が犯人を捕まえるために、手掛かりを探すという行為は、物質的な因果関係をつけようとしているということです。科学者も、実験して結論を導くというような行為もまた物質的な因果関係をつけようとしているのです。
ですから、見えないものを相手にするときは、まず、概念(モデル)を作り出してから、始めなければなければならないのです。これは、明らかに、実⇒実ではなく、実(物質)⇒虚であり、方向が逆なのです。モデルがイデアかどうかの吟味は今はしばらく保留しておきます。
では、実(物質)⇒虚(イデア)とはどのような場面に現れるのでしょうか。
それは、既にRenshi氏が「スピノールは原イデアである」と表現したことに現れているのです。スピノールとは回転する螺旋のことです。
これまでの文脈でいうと、「光が世界を作った」といってきましたし、実際に、虚軸に光と闇を配置しましたが、この言明は、それより、もっと根源的なイデア、つまり、スピノールがあるということを言っているのです。つまり、スピノール⇒物質世界と言っているのです。
更にいえば、この世界は回転が作ったともいえるのです。端的に言えば、回転⇒世界と言っていることになります。
ここでは、スピノールのことを説明することはしません。もっと、重要なことをここでは言いたいからです。
何故、⇒イデアという「方向」でイデアを発想するのかということを吟味したいのです。
つまり、なぜ、現実の因果の世界に留まらないで、因果を超えて、超越して、虚のイデアの世界に飛び込むのかということを問題にしたいのです。
そうすることで、何が見えてくるのかと言うことです。もし、スピノール=イデアが正しければ、スピノール⇒物質世界という論理が成立するのからです。そうなるとと光と闇の虚軸との関係はどうなるのかも問題となるでしょう。
ただ、今は、スピノール⇒物質世界が正しいかどうかは問題にしません。今は、この発想の方向性を重要視したいと思います。
これと似た方向の発想は日常ではないのでしょうか。実はそれがあるのです。つまり、仮説を立てると言うやり方です。
仮説とは、「もしかしたらこうではないか」と言うように考えることです。なーーんだ、それなら誰でもやっていることではないかと思うでしょう。
そうです。それなのです。誰でもやっていることなのです。刑事だって、現場のデータから犯人を想定します。科学者なら、現実の現象から法則の種=つまり仮説を立てます。
それを現象⇒仮説というなら、物質世界⇒イデアとどう違うのでしょうか。
冒頭で述べたように、問題にしたいのは、どのような道具(概念)かということではなく、概念を作り出す行為とは何かということです。
概念と仮説とイデアという三つ巴となりましたので問題を明確にしておきます。
先ず、現象⇒イデアという方向についてです。次に、概念と仮説とイデアがどう違うのかということです。
対象が見えない場合で、観測できない場合は、いつもこのような現象⇒という方向に意識が働くことは確実でしょう。
そうなると、概念と仮説とイデアとが同じなのか違うものなのかということに絞られます。概念とはモデルですから、現実を抽象したものであるでしょう。りんごの概念とは、りんごという記号のことです。仮説とは、「もしこうだったら」という、「もし」がつきます。つまり、現実にはないが、もしあるとするとこうであるというモデルであると言えるでしょう。しかし、モデルですから、やはり概念とそう違わないということです。
つまり、概念も仮説も心で思ったことですから、非在だということです。非在、つまりー1に位置づけられるものです。
では、りんごのイデアと言った場合はどうでしょうか。この場合は、りんごの概念や実在としてのりんごのイメージを生むという意味があります。つまり、生むという述語的な意味があるということです。
非在としての概念や仮説を生成するのがイデアであり、実在する実体として形成する作用するがあるということです。これをMP作用とします。
纏めると、
MP2作用:イデア⇒物質現象(実在+1)
MP1作用:イデア⇒非物質現象(非在-1)・・・概念・仮説
対象が見えない場合で、観測できない場合の代表は量子力学の現場です。そこでも、現象⇒イデアという方向に意識が働く様なことが起きているのでしょうか。
そうです。おきているのです。
ですから、心の内部を探求するためには、量子力学の現場で何が起きているのかを知らなければならないのです。
量子力学は、見ることができない内部を見ようとして四苦八苦しているのです。何故なのかを知らなければならないのです。そこには、私達が心を見ようとすることの間に何かしらの相似があるからです。
心を見る科学や宗教が停滞しているのは何故なのかを知る手掛かりもそこにあるのです。
renshi氏が概念にすぎないスピノールをイデアに格上げしたのも、そのような背景があるからでしょう。砂漠(概念)で砂金(イデア)を探すようなことかもしれませんが、ときには、そういう幸運があるかもしれないのです。
では、量子力学は、どのような概念装置を作り出しているのでしょう。ちょっと覗いてみましょう。
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