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from: 生成門さん
2010/10/05 09:30:21
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自我は偽装する
自我は偽装する
<PSとの共振>
上の図は、偽装空洞http://t-walker.jp/eb/html/world/1w06_status.htm#01から引用しました。
PS理論では、内部の自己がMP作用(凸i*凹i⇒+1)によって、+1に出てくると外部の自己となり、それが自我になると言いました。
しかし、実際は対称性を持って出てくるので、+1(凸i)と+1(凹i)の二つの自己となります。+1(凸i)が凸i優位の+1の自己であり、これを自我と呼んでいきます。
一方、+1(凹i)もあり、これも外部の自己であることには変わりがありません。何故、外部の自己が二つも出てくるのでしょうか。自己に対して非自己となるのでしょうか。
これについては、既に述べましたように、MP共役(共振)作用の結果、実軸+1を挟んで、第一象限側を+1(凸i)、第二象限側を+1(凹i)、更に、中間の自己を+1というように、三つのパターンで現れるのです。
正確には、分極による二つの世界と対称性と対称性の破れによる三つの世界、合わせて、六つの世界が生成・形成されるとしました。
-1(凸i) +1(凸i)
-1・・・・・・・・・・・・・・・・・・+1
-1(凹i) +1(凹i)
非在{-1・(凸i)・-1(凹i)・・・実在{+1(凸i)・+1・(凹i)}
ところで、+1(凹i)は凹i優位の+1であり、自我に対する対称性ですから、非自我、ないし、非自己といってもよいのですが、虚軸の自他(自己と非自己=他者)との区別がつかなくなるので、仏教の用語を利用して無我としておきます。
纏めると、外部の自己の現れは
第一象限側:+1(凸i)=自我
中間:中性=+1
第二象限側:+1(凹i)=無我
となります。
PS理論では、「現れ」については注意すべことがあります。「現れ」には、-1への内部の現れと+1の外部の現れがあり、-1は非在としての精神現象であり、+1は実在としての記号化された現象なのです。
物質といえども観測された事は表現されて初めて実在として認識されます。認識されるということは何らかの記号で表現されるのですから物質=記号なのです。
ですから、表現されるまではどんな認識でも、-1の非在なのです。実際、私達は殺人を「思う」(-1)ことと、実際に「やる」(+1)ことの違いには天地の差があることを知っています。
しかし、-1の非在(思うこと)と+1(言うこと)の実在は表裏一体であり、舞台裏では、MPが活躍しているのです。
PS理論では、この精神作用の結果である精神現象と物質現象を厳密に区別しているのですが、表裏一体であることと、その関係がどのようにして行われるのかのMPの作用の詳細がまだ明らかになっていないために混乱することもあります。
しかし、+1と-1の区別を明らかにすることは、主語と述語の関係を明らかにすることと同じだと思っています。何故なら+1と-1の分岐は虚のイデアに由来があり、主語と述語の思考(-1)への分岐も、虚のイデアに由来があるからです。
凸i*凹i⇒+1(自我と無我)
凸i♯凹i⇒-1(自我意識と無我意識)
凸i*凹i⇒+1(主語言語と述語言語)
凸i♯凹i⇒-1(主語論理と述語論理)
凸i♯凹i⇒-1の-1の非在(思うこと)には、主語論理の思考(凸i優位)と述語論理の思考(凹i)に分岐するのですが、それが+1に反転して、凸iないし凹i優位の+1の文化や宗教やその他現象となるのです。そのことは「主語論理と述語論理をPS理論で解明する(2)」http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100097304220で、既に述べましたので参照してください。
以下、引用しました。
MP2から形成された科学や哲学があり、MP1から生成された-1(科学や哲学の思考)があり、それが反転して+1に形成された科学的、哲学的産物があり、それらが+1で交錯するのです。そのとき、自我はこれをどう自覚するのでしょうか。
―――
ここで問題になるのは、自我が+1で形勢不利になったときの自我の振る舞い方です。「量子力学をガウス平面に配置する」
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100097416751
で述べたように、自我の反動があり、偽装があるのです。以下、引用しました。
MPプロセスで示したように自我が+1に待ち構えており、-1(凸i)の古典的量子力学の思考が選好されるのが普通なのですが、自我が否定すべき相手である-1(凹i)の「場の量子力学」の方を選ぶというようなことが起きてしまったのです。
初めは、粒子を優先する古典的量子力学を選択していたのですが、「粒子とは波でもあり粒子である」ということになってから不都合なことが起きてきたのです。
つまり、質点という概念を起因することで不都合なことが起きてしまったのです。そのことを示すのがシュレデンガーの猫http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/catwja.htmと言われるパラドックスです。
その不都合を解消するために呉越同舟という作戦に出たわけです。自我優位とは主語優位のことですから、質点の論理を選択するのが当然なのですが、形勢不利と見るやライバルである述語優位の場の量子力学を選択したのです。これは青天の霹靂と言われても仕方のない選択です。
この選択をPS理論的に説明すると、自我(自己)を否定して、他と一体(同一化)となることを意味しているのです。通常は、自我を肯定して、自己と一体(同一化)となるので、自我が主体なのですが、これは他が主体となる反動という現象なのです。
自己を否定しなければならない状態とは深刻な状況のことです。企業なら競争に負けたとき、青年なら失恋したとき、戦争なら戦いに負けたときがそうでしょう。
特に、日本が戦争に負けたときは、その自己否定の様子が顕著に現れました。要するに、自我喪失状態になったのです。自我喪失とは自信を喪失することですから、自己の否定となるのです。ですから、戦後の日本人は、それまでに良いこととされてきた価値観のすべてを捨てたのでした。
価値観の廃棄の次に来るのは、その反動です。反動とは他者と一体化することです。実際に、日本は敵=他=アメリカの価値観と一体化することになったのです。
戦後の日本を見れば、よく分かるでしょう。日本全体がアメリカナイズされたということです。すべてが一目散にアメリカの方に向って走ったのです。生活様式、思考様式のすべてが、アメリカナイズされたのです。
実際には、和洋折衷となったのですが、完全な自己喪失ではなく、辛うじて自己を維持したともいえますが、偽装戦略が功を奏したとも言えるでしょう。
いずれにしても、自他同一化の現象が起きたのです。これはレミングの集団自殺のように見えます。(この説には誤解があります。)
さて、質点重視の量子力学が、述語優位の場の量子力学を選択したということは、自他同一化が量子力学の世界でも起きたということを意味しています。この自他同一化を呉越同舟と称したのですが、この選択は延命であり、偽装なのです。
実際の呉と越の戦いでは、呉に負けた越が屈辱的な降伏したのですが、それでも賞嘆して復讐の機会を狙っていたのです。当然、その間は、越の王はもちろん、民にとって、少しも良いことはありませんでした。
長く辛い屈辱的の始まりだったのです。その戦略が実って最後は越が勝利するのですが、いつもこう巧くいくとは限らないでしょう。
この偽装戦略の本質は、自我を否定することですが、本心の自己否定ではないということです。密かに、自我を取り戻そうと虎視眈々と狙っているのです。復讐とは本来そういうものでしょう。
PS理論が強力なのは、偽装や復讐の本質を明確に解明できるということにあります。
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