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from: 生成門さん
2011年02月18日 18時46分03秒
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易占いは遠隔作用を利用する
易占いは遠隔作用を利用する
<赤に女王の命令を遂行せよ>
易占いはランダムに卦を選択するといいましたが、その卦が未来を指し示していると解釈しているからです。
どうして卦が未来を指し示していると言えるのでしょうか。
易の本質は陰陽論であり、森羅万象は陰陽の鬩ぎ合いによって生成流転する世界です。
森羅万象を64のパターンに分類したとして、「今ここ」でクリックしただけで、無作為に選んだ卦が未来を言い当てられるなどとどうして言えるのでしょうか。
科学万能の時代に、そのような非科学的なことは信じられないというのが本音のところではないでしょうか。
実際に、どこそこの占い師は良くあたるなどという評判が出るということ自体、占いは主観的解釈だといっているようなものです。
ですから、大概は占ってみても当たったことはないのでしょう。これがたるも八卦、当たらないのも八卦といわれる由縁なのではないでしょうか。
それでも、繁華街には占い師が沢山いて、沢山の占い希望者がいます。何故、占いは廃れないのでしょうか。
この謎を解くことが、未来を言い当てること、遠隔作用の神秘の力の解明に繋がるのではないでしょうか。
易占いが偶然を利用していると言いましたが、別の「占いのページ」http://homepage2.nifty.com/e-EKI/cindex.htmlでは、易を一人で占うに際しては、「ゆっくりと心を込めて易ボタンを押して下さい」という注意書きがありました。
ここに、そのヒントがありそうです。
つまり、心を込めて念じることが大事だと言っているのです。
念じると岩をも動かすと言います。
果して遠隔作用とはそのような超能力なのでしょうか。易は偶然性を持ち込むことでそのような超能力を呼び寄せることを狙って生まれたのでしょうか。
超能力などというと、もはや科学ではなく、神秘主義の世界に入ってしまいそうですが、それでイデア科学とは言えません。SF(科学的フィクション)でもなくSF(科学的ファンタジー)であるためには、もう少し、トンデモと言われない程度に科学の匂いを装ってみましょう。
先ず、人生とは何かを数式で表わしてみます。人生は意思決定の連続であり、決心⇒行動⇒決心⇒行動・・・の連鎖です。
これを短縮して表現すると人生:決心⇔行動となるでしょう。
この場合の決心とは、計算・打算の合理的な判断して心を決めるということであり、結局は自我ことになるでしょう。
しかし、合理的とは言えない決心もあるでしょう。例えば、追い詰められて選択するときやスポーツや芸術などでも、その行動を見れば、無意識的で直感的な選択をしていると見てとれることがあります。
易は中国で生まれたのですが、春秋の時戦国時代は前門の狼・後門の虎、退くも地獄進むも地獄という状況だったでしょう。このような時代を生き抜くには、神とか超越的な力や遠隔的な作用を求めるのは当然でしょう。
中国の任侠ドラマを見ていると、その人間業とは思えない動きが出てくるシーンが多いのですが、超能力の強い願望があるように思えるのですが、私の偏見でしょうか。
生きるべきか死ぬべきかというハムレットのような二律背反的な状況でこそ決心が迫られるのであり、その決心ができないからこそ、易のような占いの存在価値があったことは容易に推測できるのでしょう。
ぎりぎりの選択では、偶然性を持ち込む必要があったのです。それが易の発生の由来なのではないでしょうか。
蝶はランダムな飛び方をしますが、そこに易との相関が見られるのではないでしょうか。蝶に何故、ランダムな飛び方をするのかと聞くわけにもいきませんが、多分、「逃げるためさ」と答えるのではないでしょうか。
蝶は力が弱いですから、まともに飛んだのではすぐに外敵に捉えられてしまいます。ですから、敵の目を晦ますために、ランダムに飛ぶのではないでしょうか。
ランダムの効用があるということです。
そこで、ランダムの効用という観点で、もう一度、心を決める意思決定のプロセスを見直してみましょう。
意思決定のプロセスにランダム性が入ることで、効用があるのかどうかを検証してみることにしましょう。
占いの連鎖式は、
念じた心⇒クリック⇒念の心⇒ランダムによって選択された卦⇒卦を受けとった心⇒示された繋辞⇒繋辞を受け入れる心⇒決心したことの表明(占いの終了)⇒意思決定⇒行動
となるでしょう。
この式を見ても分かるように、非在の心と実在の現象が交互に現れています。簡単に表現すると、易占い:心⇔現象ということになります。
ここで重要なところは、念じることとランダムによって選択された卦とが結びつく、念の心⇒ランダムによって選択された卦と表現された式です。
コンピュータの中で行われていることは、クリック⇒ランダムによって選択された卦ですから、このような式が成り立つとことは、物質的な因果だけでは説明が出来ないのです。
では、何故、クリックとランダムの間に心が入ってくるのでしょうか。
易とはこういうものであり、だから迷信なんだといって済ませてしまうのも一つですが、それでは時間が短縮されるメカニズムについての謎を解くことはあきらめるしかありません。
四次元能は未知の探求なのですから、イデア科学を駆使してこの領域を探検しているのです。
念の心⇒ランダムによって選択された卦を認めることは非在⇒実在を認めることと同じ意味をもっているのです。この式はランダム入り現象の系列aと人生という現象系列bが占いという心で結びつくことを式で表現しているのです。
念を入れるということは、念、つまり、気という虚のエネルギーがランダムによって選択された卦に意味を与えるのです。
実在の世界から見ると、ランダムに選択されたように見えるだけなのです。その選択された卦は偶然かもしれませんが、内部では(虚の世界)では必然なのです。
これが非物質的な非在の心が⇒という空(MP)を媒介にして物質的な実在となるカラクリなのです。
MP(メディア・ポイント):PS理論の用語http://ameblo.jp/renshi/theme-10002674224.html
空:仏教の用語、意識と無意識の世界のこと
気という虚のエネルギーがランダムによって選択された卦に意味を与えるといいましたが、実はこれが遠隔作用なのです。
念じた心⇒選択された卦
は
非在⇒実在
であるとも言いましが、この式を平たく言えば、易占いとは無意識の世界と現実の世界を繋ぐことをしているであり、「空」がそれを媒介しているということです。ただし、空は見えないカラクリ「⇒」なのです。
脳の内部にはMPにはMP1とMP2があり、現実化する二つのルートがあります。
1> は虚空(MP1)⇒実在(+1)
であり、無意識的直観ルートです。
2>は一旦、実空(MP2)⇒非在(-1)
となり、そこから非在(-1)⇒実在(+1)に反転する意識的客観ルートがあるのです。
無意識の世界と現実の世界を繋ぐという作用は、念じた心⇒選択された卦であり、1>虚空(MP1)⇒実在(+1)はダイレクトに無意識から卦という現実にダイレクトに結びつく場合をいっています。
また、2>虚空(MP1)⇒実空(MP2)⇒非在(-1)⇒実在(+1)は、念が無意識から意識化され、念というイメージ(-1)が湧いて、卦という現実(+1)に結びつく場合です。この場合は、略して、無意識から間接的ですが、非在を通して実在化(現象化)しますので、非在⇒実在と表現します。
卦が選択されるプロセスは脳の内部では二つルートがあるということですが、易の場合は、64パターンをイメージして念を入れるのですから、2>のケースだとするのが妥当なのではないでしょうか。
では、空とは何かですが、ここはカオスの世界です。三次元ではないので、遠い近い、早い遅いとかいう空間と時間を超越しています。つまり、遠隔作用が働くのです。
空がカオスだということはランダムな世界だということですから、現象化するとはカオス由来、つまり、根源はランダムから始まるという事です。
気という虚のエネルギーが空を介してランダムによって選択された卦にシフトするということであり、それが「偶然の一致に意味を与える」ということの意味なのです。
異なる二つの現象系列が意味のある一致を偶然であるように仕向けるのは、カオスの空からランダム性を取り出すからなのです。
易占いは、脳の空というランダム性を持った無意識の作用を遠隔作用として利用しているのです。
このような遠隔作用のことを意味のある偶然の一致と言い、共時性=シンクロニシティ)とも言います。-
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