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シムダンス「四次元能」

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ここは自己生成の門ーーー宇宙の原理「動的作用反作用」を使って精神革命の臨床実験中!

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  • from: 生成門さん

    2011年03月08日 11時22分57秒

    icon

    テレポーテーションは遠隔作用か?

    テレポーテーションは遠隔作用か?
    <共時性という不思議に迫る>

    時空を越えて「同期する」というのが共時性ですが、手品師が行う「同期させる」とは異なる特別なトンネルの仕組みがあるのでしょうか。

    もし、あるとするなら、それは量子テレポーテーションでしょう。

    テレポーテーションは、人や物を瞬間的に遠隔地に移動させる「同期させる」手法であり、SFの世界ではよくでてくるキータームです。

    工学的な手法としてだけでなく超能力者の技として出てくることもありますが、いずれにしても「同期させる」人工的な仕組みであり、想像の産物に過ぎないのです。

    遠隔的に「同期する」現象は確認されてないのですから、スタートレックの「同期させる」転送技術など実現する可能性は少ないと考えるのは、科学の立場としては当然でしょう。

    しかし、そうとも言えない状況が量子力学の世界に生まれて来たのです。オーストラリアのクイーンズランド大学の量子物理学者S. Jay Olson氏が「ある量子状態を、途中の時間を飛ばして未来へと"送る"ことが可能だ」と話しているからです。http://wiredvision.jp/news/201101/2011012422.html
    以下、編集して引用しました。

    スタートレックに出てくるスコットをビームで遠い惑星にテレポーテーションさせ、即座に冷凍して、エンタープライズ号が数十年後にやってきて解凍させ、年をとっていないスコットが復活するというようなことができる。

    ―――
    これは通常考えられているような時間旅行とは言えないでしょうが、途中の空間の中抜きですから、トンネル効果のようなものと考えてよいでしょう。

    遠隔的に「同期する」現象とは言えないかも知れませんが、絶対にないとは言えない状況が生まれてきたのです。

    実際、量子のテレポーテーションという現象は、「三者間における実験に成功」http://www.jst.go.jp/kisoken/seika/zensen/09furusawa/index.htmlとあるように実験で確認されているのですからスコットのようなSF的な話も頭から否定できないような気もします。

    スタートレックの転送技術のネックは量子レベルの「不確かさ」があるために実現が少ないとされたのですが、実験に成功した量子テレポーテーションではそれを逆手に用いており、「同期させる」ではなく「同期している=量子がもつれている」ことを実証したのです。

    しかし、しかし、です。

    量子レベルでテレポーテーションという現象が確認されたからといって、本当に瞬間移動が可能かどうかは疑問が残ります。

    もし、それが可能なら時空を超えた超能力が存在するということになるからですし、もし、そうならこれまでの近接作用を基礎とした科学って何ということになってしまうでしょう。

    そこで、量子レベルにおけるテレポーテーションが、文字通りの瞬間移動なのか、共時的なのか、遠隔作用なのかを考えるために、否定的な主張をしているブログを取り上げておきましょう。

    「量子テレポーテーション」については
    http://k-hiura.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-2d79.html
    を参照してください。

    以下、編集して引用しました。

    「量子のもつれ」と言われている「量子テレポーテーション」を瞬間移動とするのは間違いです。

    量子テレポーテーション(量子もつれ)とは、あるスピン0の粒子がスピン↑↓をもつ粒子2つに分裂した場合、2つの粒子はそれぞれスピン↑とスピン↓を重ね合わせた状態で生成され、片方を観測してスピン↑だった場合、もう片方はスピン↓ となることを言います。

    それだけなのです。

    観測するまでスピンは確定できず、片方を観測した時、もう片方が何万光年離れた場所にあったとしてもスピンが"同時に"確定するというのです。
    ―――
    観測して確定するというところがミソです。

    また、"同時に"確定するというのですが、これが同期=共時性=遠隔作用と言えるかどうかが、時空を超えた超能力が存在するかどうかの分れ目となるのですが、遠隔作用があるとまでは言っていないようです。

    続けて、引用します。

    そこで、思考実験をして見ましょう。

    その1>赤と白のボール

    スピンが"同時に"確定するというのは、単純に赤と白のボールがあって片方が赤であることを観測して、もう片方は白であると言っているようなものなのです。

    例えば、遠く離れた点A,Bがあり、中間点から、ランダムに赤白ボールをA,Bに投げることを想像してください。

    A・・・・・・〇・・・・・・B
    赤←←赤/白→→白

    「A点で赤を観測すれば」と言うことが重要なのですが、その場合、B点では観測するまでもなく、必ず白となるということを「量子がもつれている」といっているに過ぎないのです。

    これが量子のもつれの本質であり、これ以上でもなく、これ以下でもないのです。

    思考実験2>赤と白の振動するボール

    単純な赤と白のボールではなく、 赤白状態が常に入れ替わる「赤白振動」をしている2つのボールがあり、互いに厳密に反対になる関係があるとします。

    また、A,B点で同じ赤のボールを受けることはできないともします。

    この場合は、極めて奇妙な状況になります。

    片方、例えばAがある時点で赤のボールを受け取ると、それ以降Bは白のボールしか受け取れなくなるのです。

    つまり、Aがボールを受け取ることにより、離れた場所にあるBが受け取るべきボールの赤白振動が"同時に"止まってしまうのです。

    A・・・・・・〇・・・・・・B
    赤←←赤*白→→白(赤*白⇒白:振動が止まる)
    *は振動を意味します。

    沢山のボールを投げ続けた場合、Aが何もしないと、Bは赤と白をランダムに受け取ることになるでしょうか。逆に言えば、Aが赤を観測し始めることにより、Bは白しか受けられなくなるのでしょうか。

    Aが観測しようが、しまいが、Aが白を受けなった場合は、必ず、Bは赤を受け取とり、Aが白を受け損なった場合でも、Bは赤を受け取とるのです。

    赤白振動をしている状態と白固定の状態での振舞いが違うと解釈するのも間違いです。AがBのための同期制御ができているわけではないからです。
    ―――
    最初の引用部分では、赤白の対の関係は、観測によって決まるとしながら、次の思考実験では、観測の有無に関わらず、決まるとしています。

    これをどのように考えたらよいのでしょうか。「量子もつれ」は幻想なのでしょうか。

    以下も引用ですが、編集して要約しています。

    量子は3次元空間に広がった波として存在しているのですから、互いに干渉するでしょう。しかし、スピン、その他、量子もつれに関連する「振動」に関しては、何も互いに干渉はしないのです。

    あくまで、観測をするまで「不明」なだけなのです。

    ですから、赤と白のボールと考えて何の問題もないのであり、ただ、観測するまでどちらともつかないというだけなのです。

    このような二つの波が干渉しているにも関わらず、振動については干渉しない、しかし、「もつれている」というような不思議な関係を、どのように説明したらよいのでしょうか。

    「もつれている」を「同期させる」と考えると、分かりやすいかもしれません。

    コンピュータにはクロックパルスという同期信号があって、この信号によって、全てが動いているのです。

    量子の世界にも、このようなクロックパルスに従い、完全に仕組まれた乱数的振る舞いをし、どれだけ時間がたっても全く狂わないというような仕組みになっているのでしょうか。

    これは、宇宙には全てが同じように進む共通の時計があり、従って、全ての現象は機械仕掛けであるというように考える世界観と同じです。

    当然、このような世界観は、アインシュタインを持ち出すまでもなく間違っています。

    仮に、同期信号のような仕組みがあったとしても、完全に仕組まれた乱数的振る舞いをして、どのように同期させるのでしょうか。

    まるで、かってに動いているように見えても、音楽に合わせて、メンバーの泳ぎが合っているようなシンクロナイズスイミングのようなものです。ここでは音楽が同期信号になっています。

    「量子のもつれ」とは、最初に「もつれ」が決まればよいだけなのです。これを説明するのに、狂わない、遅れない、シンクロナイズスイミングなど想定する必要は全くないのです。

    従って、「量子もつれ」が、時空を超えて、互いに作用して、関係を保つシンクロナイズスイミングを意味するなら、それは幻想であると言わざるを得ません。

    そもそも離れた位置にある量子がいつまでも影響を与えあっているということそれ自体が幻想なのです。

    別れた後、互いに影響を与えあわないのですから「もつれて」はないのです。

    簡単に言ってしまえば、別れた時に決まり、観測した時に分かるだけなのです。

    量子の特徴として、量子のペアの片方が例えば、赤と分かった場合、もう片方は観測しなくても白なのですが、この白と完全にマッチする赤を人工的に作り出すことはでないということがあります。

    つまり、観測したものと完全に同じ量子の状態を作ることはできないのですから、瞬間移動など有り得ないのです。

    完全に同じ量子の状態を作ることはできないということについてもう少し説明しておきます。

    なにも手が加わらない量子のペアを再び重ね合わせるとピンクになるとして、片方を観測して、それが赤だったとします。

    同じ赤を作り出してもう片方と重ね合わせれば何もなかったかのようにピンクになるかというとそうではないのです。

    この現象をどのように説明するかですが、なかなかうまい方法がありません。

    例えば、「片方を観測した瞬間に、もう片方の量子状態が変化したので、重ね合わせられないのだ」という言い方ができるかもしれませんが、これは正しいのでしょうか。

    これは、間違っています。

    そもそも、ペアとなる2個をそれぞれ別に作り出すことができないのですから、もう片方が分かった所で、それに対応するように都合よく粒子は作れないのです。

    この考え方の間違いは「瞬間に離れた場所で変化する」と言いながら、その確認は両粒子を重ね合わせた時点でしかできないとしていることです。

    「離れた場所での変化」など全く確認することなどできないのです。

    「瞬間に離れた場所で変化したに違いない」では科学になりません。「瞬間に離れた場所で変化した」ことを確認してから「量子もつれがある」と言うべきなのです。

    もちろん、観測することにより状態は変わります。それは、例えば光反応のある物体に強い光を当てて観測すると状態が変わることと同じです。これはいわゆる観測問題や、量子もつれとは別の話です。

    ときどき「量子もつれを確認した」という発表がなされます。

    内容を良く調べれば分かるのですが、これらは、あくまで分裂した後の2つの量子ペアを見つけたと言っているだけなのです。

    もちろん分裂後のペアを見つけるというのは凄いことだと思います。

    しかし、それは単にペアであって、分裂後互いに影響を与えている訳ではありません。「もつれ」てなどいないのです。

    ―――
    以上のことから、一つの結論が出たと思います。

    つまり、時空を超えた共時性と量子テレポーテーション(量子のもつれ)は関係ないということです。

    一見、量子のもつれは遠隔作用があるように見えますが、それは遠隔作用ではなく、遠隔性なのです。

    限られた狭い空間ならシンクロナイズスイミングもできますが、遠くに離れてしまうと、同期をとる音楽も聞こえないでしょうから、それは不可能なように、量子のペアが遠くに離れて時空を超えて連携をとるようなことはできないということです。

    ただ、量子のペアに遠隔作用(非局所作用)がなくても、遠隔性(非局所性)があるというだけも、十分に不思議なことなのです。

    科学は、遠隔性(非局所性)が何故存在するのかをうまく説明ができていないのですから、遠隔作用(非局地作用)など、ましてというところなのです。

    遠隔作用(非局地作用)=共時性を解明明するには、再び、複素電磁空間に戻るしかないようです。

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コメント: 全2件

from: 生成門さん

2011年03月09日 17時57分38秒

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「Re:Re:テレポーテーションは遠隔作用か?」
海舌さん

ありがとうございます。

観念的同時と共時性を結び付けようと思っています。しかし、私の理解がまだ富士山の五合目辺りうろうろしており、登頂に成功するかどうか心配です。

せっかくですので、私なりの理解を以下にREコメントさせて頂きます。

> > 共時性については、不明ですが、観念的同時、という概念を提示しています。 > > > 2007.08.01 Wednesday > 時間の生成に関する若干の考察 > http://blog.kaisetsu.org/?eid=575836 > > > ◆比喩的に説明すれば、煌めく星空を眺める地球上の人は、その多数の星と観念的に同時に存在することを直観可能である。これを「観念的同時」と言うことにする。何万光年遠方の星の光であっても、現在、同時に存在すると観念的に認識可能である。しかし、白紙の上に落ちた墨汁の点と、落ちる前の白紙の状態は、観念的に同時とは直観不可能である。つまり、観念的に不同時である。

最後のくだりを除いては、星の喩えは分かりやすいです。しかし、分かりやすいことと、観念的同時と不同時を、私の文脈で簡単に応用できるかと言うと違うようです。

そこで、臨床実験として解釈してみます。

事象AとBがあるとします。
事象A:私が対象を見ている出来事
事象B:対象の出来事
AとBの間には
A(現在)・・・・B(現在)
という関係があります。

Aは「今ここで」を生きている私、星やコップを見ている私などです。
Bは、星やコップが「今そこ」にあるという現象です。

・・・はAとBの間の距離(空間)です。

A(私)がB(コップ)を指し示している状態です。

これは、私が今ここでコップを見てるし、同時に、コップは私がいるこの場所に、同時に存在しているという絶対的な確信があります。これが普通の感覚です。

この感覚がなければ、何も信じられないでしょう。

しかし、この絶対という確信が揺らぐときがきました。それをこれから話します。

見ているものが「今ここ」にあるという確信を、観念的同時と区別するために、物理的同時ということにします。

物理的同時とは、AとBの間の空間(距離)を無視して同じ時刻に、私とコップが「そこに」あることを、何の疑いもなく、暗黙の了解にしているということです。

問題はここからです。

本当に、AとBの間の空間(距離)を無視できるのか、本当に、同じ時刻に、私とコップが「そこに」あるのかということです。

最初に示した、AとBの物理的同時の関係
A(現在)・・・・B(現在)
をもっと厳密に表現しておきましょう。

私はBを見ているのですから、私という物理的存在にBのイメージが付帯しています。これがBを認識しているということの構図です。従って、
A(現在):私が認識しているBのイメージ・・・・B(現在?)
となります。

Bには時間に?をつけました。

これは、私が見ているBが本当に「そこにあるのか」ということを示したいためです。「そこにある」として、どうやってそれを確認できるのかです。

ここで、二者間の距離・・・・が問題となります。・・・・を・・・・・・・・としましょう。

具体的にBを1万光年遠方の星とします。すると、認識の構図は
A(現在):私が認識している1万光年遠方の星のイメージ・・・・1万光年遠方の星(現在?)

となります。

この場合、私が認識している星は1万光年先にある星の姿です。ですから、1万光年先は私の現在ではありません。従って、現在?としたのです。

しかも、ここが重要です。

1万光年先といえば、私はまだ生まれていません。私が生まれる前にその星から発せられた光が、今やっと私に届いたのです。そして、私がそれを見ているのです。

私が今ここで、見ているその星は1万光年前の姿なのです。

これが何を意味しているのかです。

私達は物を見るという場合、光を媒介にしているということです。光がなければ、物を見ることはできないということです。光がなければ、世界は開けないのです。

確かに、光は物凄く早いですから瞬時です。

しかし、光がどんなに早くても、広大な宇宙空間では余りにも遅いのです。近くでは距離を無視できても、遠くなると無視できなくなるのです。

光がなくても、物がそこに存在すると言えるでしょうか。確かに、目の前にあるコップは手で触ることができますから、物がそこに存在すると言えるでしょう。
物がそこにあるということを確認することの背景には、電子と電子の相互作用があるのです。

光の場合でも、最終的には光から網膜の電子に相互作用して変換されるのですから、認識すると言うことの裏には、必ず、光と電子が介在しているのです。光と電子は電磁空間で振舞う同じ仲間であり、光は電子であると言ってもよいのです。

ですから、触覚を使う認識でも、現在、本当に同時に認識しているのかという疑問があるのであり、光と同じ問題があるのです。

そのことを明確にしておきましょう。

コップを手の届かない位置まで離して見ましょう。コップがそこにあることをどうやって確認するのでしょうか。

手で触る代わりにロボットに触覚装置を使って、それを私の手に伝えるとしましょう。その場合、今度は離れている分、時間がかかります。もっと離すと、有線系の装置では無理ですので、やはり光を使うことになり、話は元に戻ります。

やはり、光の速さと距離が問題になるのです。

これは、聴覚、味覚、臭覚についても同じことが言えるのです。

要するに、私達が認識するということの背景には、同時とは何かという時間と空間の問題があるのです。

近くでは、私達は電子や光の速度は速いので、その距離の差が出てこないので、認識したイメージと対象とが同時にそこに現実にあると思ってしまいますが、それは錯覚なのです。

現実にあるとしても、電子と光とを介してしか確認できない以上、そこにあるものは、現実にある=現在ではないと言うことです。

つまり、私達は常に過去しか見ていないということです。

結論としては、最初に示した認識の構図
A(現在)・・・・B(現在)
は、近いところでは、近似的には間違っていないのですが、正確には遠近に関わらず、
A(現在)・・・・B(過去)
とすべきなのです。

A(現在):私が認識している星のイメージ・・・・星(過去)
A(現在):私が認識しているコップのイメージ・・・・コップ(過去)

さて、ここまでは無事にきましたが、「何万光年遠方の星の光であっても、現在、同時に存在すると観念的に認識可能である。」は、少し難解ですね。

これは、「同時に存在すると思うことは錯覚である」と解釈してよいでしょうか。

過去:-A(私は存在していない)・・・B(星は存在していた)
現在:A(B`=過去のBの姿)・・・・+B(Bの現在の姿=未来)

この認識の構図に於いて、+B(Bの現在の姿)は、崩壊して存在していないかも知れませんが、この時点で私は確認できません。ですから私にとって確認できるのは、未来ということになります。

「観念的に認識可能である。」というのは、

現在:A(B`=過去のBの姿)・・・・+B(Bの現在の姿=未来)

という構図に於いて、

「A(私)が過去のBの姿をB`として認識することだけが可能である」
逆に言えば、
「A(私)が現在のBの姿を認識することは不可能である」

と理解すればよいでしょうか。

このように星の場合は理解できるのですが、近くの現象では常識とは違ってくるので、理解が困難になってきますね。

そこで、

「しかし、白紙の上に落ちた墨汁の点と、落ちる前の白紙の状態は、観念的に同時とは直観不可能である。つまり、観念的に不同時である。」

ですが、この解釈に苦しみました。
そこで、くどくなりますが、認識の構図に当てはめてみると、

紙の事象:白紙→→→→墨汁のついた紙
私の事象:白紙を見ている私→→→→墨汁のついた紙を見ている私

これは、二つの異なる事象の系列ですね。→→→→は時間の経過を示しています。

そこで、この二つの事象を関係させますと、
関係1(現在):白紙を見ている私と白紙イメージ・・・白紙そのもの(現在あるものは私が見た白紙ではない)

関係2(現在):墨汁のついた紙を見ている私と墨汁のついた紙のイメージ・・・墨汁のついた紙そのもの(現在あるものは私が見た墨汁のついた紙ではない)

となります。

関係1又は関係2の、見ている私と私が見たものの関係は、先に述べた観念的同時ですね。

ここで問題となっているのは、墨汁の付いた紙と白紙を同時に認識できるかという謎解きだと思いますので、
紙の事象:白紙→→→→墨汁のついた紙
を無視します。

私の事象:白紙を見ている私→→→→墨汁のついた紙を見ている私

という認識の構図において、私がどちらの時間にいるのかということが、鍵となりますので、時間を表現すると、

私の事象1:白紙を見ている私(現在)→→→→墨汁のついた紙を見ている私(未来)

私の事象2:白紙を見ていた私(過去)→→→→墨汁のついた紙を見ている私(現在)

となります。

ここから言えることは、白紙と墨汁のついた紙を私が同時に認識できるとすると、事象1では、白紙を見ている現在の私と墨汁のついた紙を見ている未来の私が同時に存在することになってしまします。また、事象2では、白紙を見ていた過去の私と墨汁のついた紙を見ている現在の私が同時に存在することになってしまします。

これは矛盾です。

量子力学の世界なら、ありそうですが、私達の認識では能力ではありそうにもありませんね。

この場合も、星の喩えの方がよく分かりますね。

星が1万光年前に光を発したときに、私はこの世にはまだ存在していないのですから、その星(過去)を見ることができません。

過去と現在を同時に見ることができないのは自明ですから、白紙と墨汁のついた紙の例でも、同時に見ることができないのです。これは、光が介在していることがそうさせているのであり、近いときは光が早いので同時だと錯覚しているのですが、それでも生活に困るわけではないので物理的同時としても問題はないのです。

しかし、よくよく考えると存在とは何かを教えてくれます。

一般的に私達が犯しやすい間違いは、

白紙が墨汁のついた紙になるという事象を時間の経過を無視して同時に認識していると錯覚してしまうことです。

これは客観的な事象などではなく、推論であり、解釈された認識なのですね。つまり、時間的な経過を暗黙に含んでいるのですから、物理的な同時ではないことはもちろん、認識的な同時=観念的な同時ではないのですね。

木が燃えると灰になり、春が終わると夏になるように、木と灰、春と夏が同時には存在しないのですから、こちらは、因果的同時といったらよいでしょうか。

以上によって、現在と未来、過去と現在の事象を、観念的に同時に認識することは、直観的にも不可能であり、観念的にも不同時であるという、海舌さんの言う通りの結論になりましたが、こんな解釈でよろしいでしょうか。

> >  ◆時間の概念は、或る「観念的同時の時空間」と、それと異なる「観念的同時の時空間」との境界時空間である、と定義できる。

XさんとYさんという地点では見る時刻が異なりますね。Xの同時とYの同時では、時刻が違うことになります。

例えば、競馬の結果を知るタイミングは、XとYは近くにいますから問題になりませんが、1万光の位置にある競馬場の場合は可笑しいことになりますね。

その競馬場から、Xが1万光年、Yが2万光年、離れているとすると、XとYの観念的同時がまるで違ってきてしまいますね。

競馬の結果をどのようにして確認すればよいのでしょうか。2万光年のYは、Xより1万光年送れて知ることになります。

この違いが境界時空間なのでしょうか。

> >  ◆つまり、時間とは、Media Pointである。 > >  ◆さらに、或る「Media Point」と、それと異なる「Media Point」との境界空間を「時間」と考えることも可能である。この場合、観念的同時の時空間の存在幅が時間となる。

一万光年も離れていると連絡した後で確認しようにも、互いに死んでしまいますので、例を月にします。

月の場合は、1.3秒ぐらいだそうですので、月に棲んでいる兎と地球にいる兎との時間差1.3秒が観念的同時の存在幅なのでしょうか。

つまり、同じ時間と空間を生きていると感じられる、或いは、共有していると感じられる程度の、つまり、許容できる時空を存在幅というのでしょうか。

> > 2006.08.06 Sunday > 観念的同時性の概念を提唱する > http://blog.kaisetsu.org/?eid=428923 > > 「観念的同時性」と言う概念を示した。 > これは、同時認識の可否によって判断される「同時」の概念である。 > この「観念的同時性」の概念は、純粋に、思索認識として同時に存在認識を為しうるか、を判断基準にしている。 > > 我々は、多数の異なる点が空間に同時に存在することを認識可能である。 > しかし、平行移動の場合、始めの線分(直線)と、他の異なる線分(直線)で始めの線分と並行である線分(直線)とは、決して「同時」とは言えない。始めの基準となる線分の後に、創造された線分が存在するからである。 > > この、「観念的同時」の概念を用いると、角の三等分の条件は、観念的同時の概念を保持する世界で、任意の角の三等分が可能か、という問題となる。 > > 海舌

平行線は=として、二つの線分を同時にイメージしますから、二つの線分を同時に認識していると思い込んでいます。しかし、それは錯覚だということですね。

平行に描かれたものを見ることと平行に移動することには違うということでしょうか。

二つの事象の同時とは何かを説明しているのですから、平行に描かれたものでは、一つの事象でしかないので、同時を説明できないわけですね。

そこで、平行に移動するのですが、当然、ここには順番があります。

始めの線分(過去)と並行である線分(現在)ですから、それを認識する私も、過去と現在に同時には存在できませんので、決して「同時」とは言えないということになります。

この場合は、平行線=のイメージが先入観としてありますので、同時に認識していると思い込んでしまいますが、決してそうではないということ重要だと言うことですね。

ここまでの探求によると、同時には物理的同時、因果的同同時、観念的同時の三つがありそうです。平行線の認識についても、厳密な思考を展開すると、次のようになります。

事象1:平行線の最初の線分―を引く
事象2:平行線の最初の線分―を観察する
事象3:平行線の次の線分―を引く
事象4:平行線の次の線分―を観察する

物理的同時1:事象1と2
物理的同時2:事象3と4

因果的同時1:事象1と事象3
因果的同時2:事象2と事象4

観念的同時:事象1と2
観念的同時2:事象3と4

物理的同時1:錯覚(近接では許される)
物理的同時2:錯覚(近接では許される)

因果的同時1:因果関係はあるが同時はなく、確認のしようがない
因果的同時2:因果関係はあるが同時はない観念的不同時


観念的同時1:見る者と対象の関係の物理的同時はないが見る者の認識と対象の関係は同時、しかし、現在(見る者)と過去の同時(対象)

観念的同時2:見る者と対象の関係の物理的同時はないが見る者の認識と対象の関係は同時、しかし、しかし、現在(見る者)と過去の同時(対象)

同時ということを考えただけでも、これだけ複雑になるのは意外です。因果と認識と時間と空間が絡み合っているからです。

やはり、観念的同時を明確にするには、認識が光に依存しており、時空は光が作り出だしていることをはっきりさせないといけないということになりそうですね。

それには地球という狭い空間だけでは、先入観が邪魔をしてしまいますので、光の作る宇宙という広大な電磁空間を想定してみると、もっと、はっきりとすると思います。

以上、私なりに理解したことを長々と述べましたが、正しく理解できているでしょうしょうか。

まだ、境界空間の辺りは、自信がありませんが、時間とは、Media Pointであることをヒントして、共時性の概念に繋いでいけたらと思っています。

時間がMPから生まれるなら、虚数時間があるということですよね。この虚数を使うと共時性=複素的観念同時があるのではないでしょうか。

生成門

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from: kaisetsuさん

2011年03月09日 05時41分54秒

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「Re:テレポーテーションは遠隔作用か?」
生成門さん

共時性については、不明ですが、観念的同時、という概念を提示しています。


2007.08.01 Wednesday
時間の生成に関する若干の考察
http://blog.kaisetsu.org/?eid=575836


◆比喩的に説明すれば、煌めく星空を眺める地球上の人は、その多数の星と観念的に同時に存在することを直観可能である。これを「観念的同時」と言うことにする。何万光年遠方の星の光であっても、現在、同時に存在すると観念的に認識可能である。しかし、白紙の上に落ちた墨汁の点と、落ちる前の白紙の状態は、観念的に同時とは直観不可能である。つまり、観念的に不同時である。

 ◆時間の概念は、或る「観念的同時の時空間」と、それと異なる「観念的同時の時空間」との境界時空間である、と定義できる。

 ◆つまり、時間とは、Media Pointである。

 ◆さらに、或る「Media Point」と、それと異なる「Media Point」との境界空間を「時間」と考えることも可能である。この場合、観念的同時の時空間の存在幅が時間となる。


2006.08.06 Sunday
観念的同時性の概念を提唱する
http://blog.kaisetsu.org/?eid=428923

「観念的同時性」と言う概念を示した。
これは、同時認識の可否によって判断される「同時」の概念である。
この「観念的同時性」の概念は、純粋に、思索認識として同時に存在認識を為しうるか、を判断基準にしている。

我々は、多数の異なる点が空間に同時に存在することを認識可能である。
しかし、平行移動の場合、始めの線分(直線)と、他の異なる線分(直線)で始めの線分と並行である線分(直線)とは、決して「同時」とは言えない。始めの基準となる線分の後に、創造された線分が存在するからである。

この、「観念的同時」の概念を用いると、角の三等分の条件は、観念的同時の概念を保持する世界で、任意の角の三等分が可能か、という問題となる。

海舌

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