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from: 生成門さん
2011年05月28日 20時08分11秒
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人間の内部を探検しよう
人間の内部を探検しよう
<観念的同時の認識の理解>
海舌氏から観念的同時の認識の進展を期待されたために、いくつかの事象に応用しようと思って、臨床していたのですが深い樹海に入り込んでしまったようです。この2ヶ月近く抜け出せないでいました。
いつまでも樹海にいると死んだと思われるので、緊急脱出してきました。まだ、臨床に成功したとは言えませんが、とりあえずの報告を兼ねて、観念的同時の認識の応用版を投稿します。
先ずは、海舌氏の「人間の認識図に関するメモ」http://www.edita.jp/platonicsynergy/one/platonicsynergy856.html
を参照してください。
下の図は海舌氏の手書きのメモを参考して、私なりに編集して作成したものです。
この図についての説明は後でしますが、
今回は、とても重要なことをシムハンターの皆さんに申し上げようと思います。
それは精神体という概念の導入によって「観念的同時の認識」の認識を更に深めるという臨床的実験をするということです。
この実験する上で障害となるのは、観念とは何か、同時とは何か、そして認識とは何かということを理解しておくことです。
それぞれを個別に理解して、更に、観念的同時の認識として統合するのは大変な作業になるので、とりあえず、ここではあくまでも簡単に常識的な「同時」とは異なるのだと理解しておきます。
常識的な「同時」とは同じ時刻にいくつかの出来事が同時に起きること同時と言いますが、それと異なる同時とは、要するに時計を捨てることによって生まれる心の同時です。
時計を捨てるということは光を失って闇に中にいるようなもので、時間を気にしないで、この現実の世界では生きることはできません。それだけ時間の習俗(奴隷)になっているということですが、これも光の陰謀なのです。
常識的な「同時」とは異なる「同時」とは時計を捨てた後に来る認識ですが、それを実感するためには時計を捨てて自然の中で生活してみましょう。
如何に文明が時間そのものだと感じるでしょう。時間(時計)がないということは空間(距離)もないということを実感できるのではないでしょうか。
時計がなければ、太陽の位置や明るさといった感じを自己の感性と周りの環境の気配から判断するしかなくなりますから時計(身体)が重要となって来るでしょう。つまり、時計という外的な基準ではなく、私の感覚(精神)と腹(身体)が密接になってくるということです。
腹が減ったと感じると何かを食べたいという欲望が生まれるでしょう。しかし、感じるのが先か欲望が先かの順序はあるでしょうが、実際にはどっちが先であることを認識することはできないでしょう。そこには時計で計れるような時間の認識がないのです。それらは同時生起なのです。
頭の中で考えたこと、つまり、想起したのであれば同時なのです。
頭での中で考えるということは観念するということであり、時空を超越した出来事の認識ですから、かなり乱暴な言い方ですが、これを「観念的同時の認識」と言って良いのではないでしょうか。
感覚(精神)と腹(身体)から「観念的同時の認識」の手掛かりを掴めるような気がしましたので、これより鏡の国に探求に入っていきます。
でも、アリスのように無事、出てこられるでしょうか。
無事に帰還するためには、感覚(精神)と腹(身体)のような喩えを精神体のモデルとして採用していいのかということです。
森羅万象がイデアから生み出されるということをいうためには余りにも安易なような気がするのですが、どうでしょうか。
とにかく、四次元能は全ての根源にイデアであると考えて探求を続けているので、イデアの痕跡の証拠を掴むためならダボハゼのように何でも食いついてしまいましょう。
現象がイデアの痕跡なら、腹が空いたというのは現象ですから、その現象は何かのイデアの痕跡でなければなりません。
腹時計(身体)によって食べたい意欲が湧いてきたのですから、何らかの認識を形成するメカニズムがあることは否定できないでしょう。
腹が空いた⇒食べたい意欲⇒食べるという連鎖が考えられますが、イデアの痕跡かどうかは不明であるとしても、明らかに、食事はどこでするか(予測)⇒腹が減った(身体的現象)⇒食べたい意欲(精神的現象)⇒食べる(身体的現象)となり、精神と身体の間には循環する関係があることは確かです。
現象という言葉は、身体的、物質的現象を示すことが多いので、精神現象と言うと紛らわしいので、今後、断りがなければ現象は前者を指すことにします。
一方、物質現象に対して精神的現象は「心象」と言うことにします。心象とは心のイメージであり、物質現象が+1に対して、-1に配置されるものです。
現象と心象は同時生起すると考えてよいでしょう。腹が減ったというイメージは、食事をする行動に直結するという具合です。
もちろん、腹が減ったからすぐに食事をする行動に移るとは限りませんから、その間にはタイムラグがあります。
しかし、タイムラグは外部の他者がそのように見ているだけであり、内部では+1と-1は同時生起していているのです。
実際には表面に出ない身体現象があり、それが連鎖(ただし、不連続的に)しているのです。
腹が減ったというイメージ⇒分泌物が出る(身体的現象)
・・・
腹が減ったというイメージ⇒腹が鳴る(身体的現象)
・・・
腹が減ったというイメージ⇒食べる(身体的現象)
観察者は表面に出てきた現象だけを見ているのです。
+1と-1の関係は物と鏡に映った虚像とすればよいでしょう。ここで鏡の役割をしているのがMP(メディアポイント)です。
-1・・・MP・・・+1
心象 鏡 現象
ここで、観察者という表現をしましたが、観察者は外部の他者であり、複素平面内に配置しない人であり、PS理論は徹底した複素平面主義であり、従って、私という主体の位置はMPなのです。
もちろん、自己を自己が観察することもありますので、そこから更に、主体の位置はMPを取り戻していくのですが、その場合、複素平面内は多重化していくでしょうし、複素平面的力学は複雑化していくでしょう。
複素平面的力学は単位円という形で内部と外部を区切っていますが、この内部は何を意味しているのでしょうか。
主体はMPとしたのですが、MPは言ってみれば、意識(MP2)と無意識(MP1)であり、地球に喩えるならば、最も深部にあるマグマであると言えるでしょう。
しかし、マグマは活動しており、絶え間なく外部にその心的エネルギーを放出してきます。
その心的エネルギーが放出されたのが、+1の現象や-1の心象として現れるのですが、そこに現れるまでにはマグマがマグマダマリや途中の経路があるように、複素平面の回転によって四つの象限で活動するのです。
これらの四つの象限の活動を解明することが、人間の内部の探検ということになるわけです。
続く。-
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