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from: 生成門さん
2011年06月02日 05時11分17秒
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+1と-1の違い
+1と-1の違い
<観念的同時の認識の深化>
小堀遠州が石庭を造形した意図した二番目は、「地表に白砂を敷き15個の自然石を配している」ことです。
これがフラクタル次元、トラップの仕掛けなのでしょうか。この謎を解くためには、いくつか準備が必要です。
石庭が現実を抽象した位相空間だとすると、PS理論ではそれをどこに位置づけるのでしょうか。
認識する主体、観察する他者、内部の他者、+:物質現象、-1:心象、+1:実在としての存在、-1:超越的存在、+1:認識されたもの、+1:表現されたものなど、いろいろな用語がでてきます。
これらを簡単に整理するために海舌氏の「人間認識の区分(概念図)」
http://blog.kaisetsu.org/?eid=811244
を参考にします。
下図を引用しました。
―――
認識する主体がいるといないとに関わらず物が実在すると考えることができ、認識する主体がいるからこそ物が実在すると考えることもできます。
どちらが正しいかを議論しても始まりません。そう考えてしまうのが人間の性なのです。
ですから、何故、そのように考えてしまうのかを説明しなくてはなりません。それを複素平面を駆使して簡単に説明します。
基本的区別として、現実的存在(物質世界)を+1、超越的存在を-1とします。人間が「物がある」と認識すれば+1であり、それを心で思うなら-1だということです。
-1:非存在(超越的存在)・・・・・・・・・・・・・・・+1:存在(実在)
認識の主体がいる場合 心象又はイメージ 現象
例 非言語的思い 表現された物・認識され物
認識の主体がいない場合 反物質 物質、物質的現象
例 暗黒物質 反水素など 水素
思うためには思う人がいななければならないのですが、思う人がいようといまいと、そこに物があると考えることもできます。
この考え方が普通なのですが、その物があることを+1としますが、その場合、その物があると思う主体がいないのですから、その物のイメージ(心象)も無いことになり、-1に相当するものがなくなります。
すべての森羅万象には陰陽イデアの対があることから現象が生成されるとするのが四次元能の基本原理ですから、人間と言う主体がいようといまいと、-1を生む精神性(イデア)があると考えます。
ですから、全ての物質(現象)にはその反対の現象としての反物質があるのです。この反物質を-1に配置させることにします。
暗黒物質という見えない物質があると言われていますが、これは物質といっても、見えないのであり、不思議な非存在の何かなのです。何かといっても始まりませんので、反物質的存在、つまり、超越的存在という言い方にします。
すべてには±1の対があるのですが、その根源は虚軸の凸i凹iにあるのです。
例えば、光の場合、虚軸には凸の光と凹の光があり、それを光イデアと闇イデアと言ったりしますが、その共立と共振の結果、陽光(+1)と陰光=闇(-1)となって、片や光の現象として現れ、片や闇の非存在として出てきます。
非存在として出てくるという言い方は変ですが、「ない」ものとして「ある」と理解しましょう。
従って、暗黒物質は、陰光を闇(見えない光)として-1に配置しているのですから、それに習って、暗黒物質も見えないので、「ない」ものとして「ある」というのがふさわしい非存在(反物質)なので-1に配置します。
認識の主体がいない場合、物質と反物質、認識の主体のいる場合は、現象と心象としますが、どちらも存在を+1、非存在をー1として、基本は守っているので一貫性は保持されているでしょう。
この一貫性が、石庭が何を意味するのかを考える上で大変重要なのです。
続く。-
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