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from: 生成門さん
2011年06月15日 08時44分02秒
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観察者は座標の外の位置している
観察者は座標の外の位置している
<観念的同時の認識の深化>
物が見えるということは、光が私の目に飛び込んだときに始めて物が見えるという事実があり、その瞬間だけが私にとっての確かな現在と言えるでしょう。
遠くの星から来た光は、それだけの旅をしてきたのですから、時間がかかっているのですが、私にはその旅のことは認識できません。遠かろうが近かろうが、私には全く関係のないことです。
これが、「私が見ている」という当事者の認識です。
光によらない内的な認識もありますが、これについては後で検討します。
一方、私は観察者(観測者)として、その見た物を「見た」と確認します。この確認とは「見た」ことの認識ですから、「私が見た」とい観察者の認識です。
見た物のイメージ(-1)と見た物(+1)は絶対に同じと看做せない違いがあると同時に見た物のイメージ(-1)と見た物(+1)の間には-1⇔+1という「疑いのない接続」があることも確認しましたが、これに続き、見ている者は誰なのか、確認しているのは誰で、どこにいるのかという認識の基本について確認しておきましょう。
見ることと見たことは現在と過去の違いがあるようです。「見た」ということは過去のことから観察者の認識としましょう。「見ている」ということは現在の進行形のことですから、当事者の認識としましょう。
この観察者の認識と当事者の認識について探求することが、観念的同時の認識を理解する次の段階に入ることになります。
観察者は「見た」ことを、確認するためには、それを紙に記すことになるでしょう。
紙に記すとは、座標にどこかに位置づけるということです。その場合、紙の左端を基準にして時刻を横軸に刻んでおきます。例えば今見ているものをボールの落としたときの高さとしますと、縦軸は高さとなります。こうしてボールの観察を続ければ、時間と高さの相関を示す時系列のグラフができます。
観察はいつでもできますので、任意の時刻を原点として指定できます。
観察したことを座標に記入することは、過去の時刻となります。従って、現在は次の観察で記入されるで「あろう」ということ空白になっています。
しかし、「あろう」ですから、空白は未来のことを意味しています。現在が未来というのは変ですので、常識的には、直前に観察したことを座標に記入した時点を現在とし、次の観察で記入される「であろう」空白は未来として区別しています。
要するに、観察者にとっては過去と未来の間が現在であり、認識上ではある程度の時間の幅があるのです。
既に記入された出来事<直前に記入された出来事><空白><空白>
過去過去過去過去過去(現在・・・・・・・)・・・・未来
ところで、「見ている」という現在の進行形の当事者の認識としての現在はどうなるのでしょうか。
ボールが跳ね返って頂点に達するのは一瞬であり、それを見るのは瞬間です。
その現在(t)は座標のどこに位置するのでしょうか。
観察した後に位置づけるのであれば、観察者の現在となります。既に述べたように、厳密には、それは全て過去になります。現在という時刻は流れているのですから、もうそのときは現在ではなくなっているのです。ただ、次の観察をするまでは、直前の記録を現在の出来事として認識(表現)しているに過ぎないのです。
ここで、問題にしたいのは当事者の現在です。
当事者の現在を(t)と表現することにします。
観察した出来事(ボールの高さ)を-としてグラフに描くと、座標-x------となるでしょう。-にはそのときの時刻tが含まれているの- tと表記すべきですが、-(t)と混同するので、省略して-とします。
従って、座標-x------に当事者の現在(t)を表現すると座標-x------(t)となります。
-x 観察の始点であり、---は過去の記録です。
tを(t)としたのは、「見ている」のですから「見た」とはなっていないので、未だ未記入なのです。しかし、未だ出来事が起きていないわけでもないので、未来でもないのです。ですから、空白であっても未来ではないのです。
記入してしまえば-となり、過去の記録となってしまうのですから、記入できない現在があるということです。しかし、観察者は現在と言います。現在とは厄介な時間なのです。
過去でもない、未来でもない、観察者の現在でもない、瞬間の現在があるということは、紛れもない事実であり、当事者の私はそれを確信し、認識しているのです。
ですから、瞬間の現在tを(t)としたのは、決して、座標には位置づけることができないという意味で( )としたのです。
つまり、瞬間の現在(t)の出来事を「見た」ら、それは過去となってしまい、-として位置づけられる、当事者の現在は次の瞬間にシフトとしているのです。これを表現すると- (t)となるでしょう。(t)に対応する-はなく、- とtは同時に表現できますが、- と(t)は同時には表現できないのです。
瞬間の現在(t)は、その瞬間に次の瞬間の現在(t+1)になって、認識をすり抜けてしまうのです。
観察者の現在には幅があるのですが、当事者の瞬間の現在(t)には幅があるのでしょうか。
時系列のグラフでは、基点(原点)-xをはるかの過去として、その間の出来事を点として抽象して位置づけしますが、全ての出来事を位置けるためには、時間の目盛りを荒くとらなければならないでしょう。年代毎の歴史年表のようなものです。一秒毎に表現したのでは、いくら用紙があっても足らなくなるでしょう。
この場合、-x----ですから、右端の-が現代となるのですが、現在の瞬間(t)は、その幅のある現代の右端に来るでしょう。つまり、-x----(t) です。
どんなスケールでも現在の瞬間(t)は表現できないのです。現在の瞬間(t)は3次元座標上には存在しないのであり、それをあたかもあるかのように座標上の現在として表現するのが、観察者の表現方法なのです。
この観察者の現在は幅のある現在ですが、結局、現在であると認識(仮定・解釈)したのですから、仮想された現在でしかないのです。
仮想された現在という概念を使えば、どこを基点(原点)としても、確かに、現在があるように表現できます。
現在を原点とすることさえできます。
それが、-x------0??????xであり、現在を通過して未来までも表現できます。?は事実ではない空白か予定を意味します。
これは時間が過去から未来に負かって流れていると仮定しているのであり、当然、現在(原点)もその連続の中に含まれているということになります。
これが時間に対する常識的な考え方であり、例えば、具体的には、生産スケジュールであり、日記のような表現形式で示されるものとなるでしょう。
日記の場合は、未来の部分は白紙ですから出来事は起きていないのですが、日付は記されているのですから、時間は存在しているかのような錯覚をしてしまいます。
ですから、2012年5月21日には金環日食と表示されているのです。
しかし、観察した瞬間の現在は表記できないのに、時間が流れていると考えると、過去から未来のどこかに現在を表記しできるというのは、どう考えても矛盾です。しかも、現在(原点)はどんどん移動していくのです。
何かおかしいと思いませんか。
そのおかしさを生み出している原因は、人間自身にあります。
人間は観察者として振舞うこともありますが、一方、事件(行為)の当事者でもあるからなのです。
自分とは関係ない出来事でも、それを認識するときは当事者なのです。
何かを観察する場合は観察者ですが、観察する瞬間は当事者なのですから、対象とどっぷりとつかっているのであり、対象と切り離しては考えられないのが当事者のスタンスです。
ですから、当事者であり続ける内は、現在の瞬間しかないのですから、時系列グラフのように座標上に-x------0-----+xとは表現はできないのです。
観察した出来事を座標上に表現(認識)することと座標上に表現はできない体験しつつある出来事、つまり、観察した瞬間の現在(t)は同時に扱えないであり、無理に考えようとすると混同してしまうのです。
この混同を回避するには、当事者としての観察した瞬間の現在(t)を無視することしかありません。つまり、観察対象と観察する主体(当事者)を切り離してしまうのです。
つまり、観察者は、当事者である身分を捨てて、観察対象とは別に存在すると看做すのです。
これを、現象を客観化する、対象化するなどと言いますが、科学的方法は、これを前提としているのです。
客観化するとは、観察者が認識の主体ですから、観察する座標からその主体をはずすことです。そうすれば、当事者の現在の瞬間の問題は生じてきません。
このあたりは、「主体には現在しかなく、観察者には現在はない」
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100103437824で、既に考察したので参照してください。
ただし、この考察では、何の断りもなくいきなり複素平面を持ち出して説明をしています。何故、複素平面なのかと言う説明がないままきています。
今、私達がやっていることは、脳の中の能、つまり、観念的同時の認識の謎を解くことです。
そのために、何故、遠くにある星と近くにある星が重なって見えるのかという金環日食の謎、何故、フラクタル空間では光をトラップするのか、何故、石庭は人間をトラップするのか、その謎をとこうとしているのです。
そのためには、どうしても3次元空間(4次元時空)から飛び出さなければならないのですが、そこで問題になるのが時間と空間の認識です。
3次元空間(4次元時空)脱出するためには、複素平面を持ち込めばよいのですが、その持ち込む理由を明確にしなければ、3次元を超えた現象、例えば、光のトラップや石庭の謎、共時的な現象、神秘的な現象など、観念的同時の認識に関わる様々な応用問題を解くことができないのです。
ですから、何故、複素平面を持ち込む必要があるのかを明らかにするために、逆説的ですが、3次元空間における観察者と当事者の時間認識の矛盾を解明することが重要だと思っているのです。
これは、当事者の心は-1であり、観測したことは+1ですから、疑いようのない接続(-1⇔+1)とも関わってくる問題であり、それらを同時に扱う必要があるのです。
説明がくどくなっているとは思いますが、これはあくまでフラクタルな再入力(繰り返すこと)の臨床ですので、お付き合いください。
フラクタルな再入力の効果は、それが予想も出来ない地平に出てしまうことがあるということです。
一方で、無限に発散してしまい、ゲームオーバー(臨終)となるときもあるかもしれません。そうならないことを祈って探検を続けましょう。
ここまでで明らかになったことは、当事者の現在(t)と観察者の観察した現象(出来事)の時間(認識)には、根本的な断絶があるということです。
これは、-1(心象=非存在)と+1(現象=存在)の違いの原則に当てはめると、当事者の現在(t)は、心の中の時間ですから-1、観察者の観察した現象(出来事)の時間(認識)は+1となるでしょう。従って、根本的な断絶は当然ということになります。
時間が流れ、観察したことをすべて平等に(連続的に)位置づけるためには当事者の現在は座標の中に含めることはできないのです。
従って、座標に出てくる現在は、真正の現在ではないということです。この理由から「観察者には現在はない」と言いましたが、もっと正確に表現する必要があるでしょう。
当事者が観察する瞬間は、確かに現在(t)ですが、観察者として、その見た出来事を観察した事実として、座標に表現する段階では、全て過去の出来事(+1)として認識されたものであり、心で感じている現在(t)=-1は、+1だけを表現する座標には存在しないのは自明のことでしょう。
従って、「3次元座標には現在はない」ということです。つまり、「当事者には現在はあるが、観察者には現在はない」ということになるでしょう。
このことを分かりやすく示すために、見た出来事を座標にプロットしてみましょう。プロットすることは、既に、過去の出来事の表現です。
プロットしなくても過去の出来事の表現とすることはできます。例えば、鉄道会社の駅員は安全確認のために、「指で指す」ことをしますが、「指す」こと自体が対象を認識したことを意味しているのですから、過去を指し示しているのです。
私達は観察者として駅員のその行為を見ますが、駅員自身は当事者ですから、その指し示しの瞬間の現在があります。ところが、その駅員は指し示しが正しかったのかどうかの検証をするでしょうから、自分の行為の観察者になります。すると、駅員には現在があり、現在はないという複雑な状況になります。
このことを、当事者には現在があり、観察者には現在はないという言い方になるのです。
駅員を見ている人も同じ状況になるでしょう。駅員の呼び指しを見た瞬間は当事者ですが、それを観察し始めると観察者になるからです。
誰でもが当事者であり、観察者になるのです。時計を気にせずにいるときは当事者ですが、腕時計を見るときは、かならず、「今何時?」と思って見るのでしょう。そのときは、観察者になっているのです。その時刻は現在ではなく、認識された時刻ですから、過去なのです。
マラソンのコーチはランナーの「走り」を見ているときは、当事者として見ているのですが、ストップウオッチで計るというときは、その走った時間を見ているのですから、観察者として過去を見ているのです。
つまり、ストップウオッチで計るということ自体、時間が観察者の外にあるということなのです。
出来事を見たと同時にストップウオッチを止めて時刻を見ることでも分かるように、時刻を確認したときは過去-x(時刻) になっていることから、観察者の外に時間があることが前提となっているのです。
当事者の現在はいつも認識から擦り抜けるのです。つまり、観察する人には現在はあるが、観察した事実には現在はないのです。
続く。-
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