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from: 生成門さん
2011年09月02日 18時02分58秒
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刑事事件の複素化7
刑事事件の複素化7
<観念的同時の認識の練習>
第四象限について、少し詳しく描写しておきます。
報告することは第四象限の凹(+1)に入ることです。凹(+1)とは他者の視点での身体的言語による表現ですからそれは仮説の表現と言ってもよいでしょう。
仮説を発表したとたん同僚、上司から反論されることになります。これが他者中心の場であり第四象限での認識です。
これで事件が解決するわけではありません。会議で指摘された不備を補うために更に現場に戻り検証するでしょう。
或いは張り込み、聞き込み、足取りを追跡するでしょう。泥臭い作業です。
これが一人称の行動ですから第一象限なのです。
第四象限の張り込み、聞き込みがあるのでしょうか。
他者の視点で行動するということです。自己の計らいを捨てて、他者になりきるのです。そういう行動はあるでしょう。
よく「相手の対場になって考え、行動しなさい」と言いますが、それが第三象限(考え)と第四象限(行動)です。
コロンボは自信家ですから、第一象限の行動スタイルを崩さないでしょうか。いやコロンボほどになると他者の視点を積極的に活用してするのです。だから難問を解決できるのでしょう。
コロンボが他者の視点を取り入れるとは具体的にどういうことになるのでしょうか。
それは犯人の気持ちになるということでしょう。或いは、プロファイリング的な手法を使うでしょう。
しかし、コロンボは自己か他者かということではなく超越者としての自他不可分の即非MP状態にあるのでしょう。
コロンボのように超越者として考え行動するということは観念的に同時に認識をするということになるのです。
つまり、第四象限を認識するということは第一象限を認識するということであり、第一象限を認識するということは第二象限を認識するということであり、第二象限を認識するということは第三象限を認識するということであり、第三象限を認識するということは、第四象限を認識するということです。
結局、すべての象限を同時に即非として認識しているということです。
さて、残る認識のパターンは、これまで留保してきたキアスム的交叉です。
第一と第三、第二と第四の交差反転の認識は有るのでしょうか。
先ず、第一と第三の交叉を考えて見ましょう。
第一と第三の交差とは、一人称の自己認識からいきなり三人称の他者認識へ反転することであり、或いは、その逆をすることです。
第一から第三の交差は、主観的体験を主観的に想うことをしないで、つまり、主観を交えずに他者の視点で論理的に思考するということでしょう。
冷徹なコロンボ刑事のイメージです。
ビジネスなシーンで言うと、欠陥商品を出してしまった時に、それを欠陥と認めるか認めないかのどちらにしても、感情的にならずに、第三者的に冷静に判断して(第三象限)、対処する(第四象限)ということでしょう。
しかし、この場合でも「しまった」と言う、極めて自己本位的な感情は生成されるのであって、第二象限と第三象限は同時に生起しているということになります。唯、それが表(第一象限)に出てこないので見えないだけなのです。
判断(第三象限)と対処する(第四象限)は同時生起とは言えないように見えるかもしれませんが、それが外部からそう見えるだけであって、当の本人は判断(第三象限)と悩みなどの身体的表現(第四象限)は同時生起しているのです。
第三象限から第一象限はどうでしょうか。
客観的な類推がいきなり、自己本位の行動に出るのかということです。
クールなコロンボ刑事が現場に行って自己本位的に行動するということです。
刑事は常に冷静でなければなりませんが、その判断を情に流されずに行動しなければなりません。しかし、刑事といっても人間です。犯人と面と向うと感情がでて来ることはあるでしょう。
この場合も、外部から見ると第三象限から第一象限にシフトしたように見えますが、第二象限には感情が生成されているのですから、第一象限と第二象限と第三象限は同時生起しているといえるでしょう。ただ、第二象限の本音が見えないだけなのです。
第二象限と第四象限の交叉はどうでしょうか。
第二象限から第四象限へのシフトを考えて見ましょう。
これは勘が閃くとあたかも原理の如く言いたくなる刑事のタイプです。主観を第三象限の思考フィルターを通さずに客観化する刑事です。
日常の生活で言うと本音(第二象限)を建前(第三象限)に摩り替えて言う(第四象限)ことがそれに相当するでしょう。
例えば、原発推進したい政治家は、自分の本音をそのまま意見として発言するとまずいので、御用学者が「こう言っている」などと援用して、正当化するようなケースでしょう。
もちろん、この場合も、御用学者が「こう言っている」という建前(第三象限)を認識していることは明らかですから、
第二、第三、第四象限は同時生起していると言ってよいでしょう。
第四から第二象限への交叉はどうでしょう。
これは建前行動から本音を見透かすことです。
京都では、「おいでやす」と言いながら、裏では、箒を逆さに立てて、早く帰ってという本音を表現することがあります。
「おいでやす」は他者をもてなす言葉ですし、箒を逆さに立てるというのは、単なる物理現象です。従って、第四象限の認識です。しかし、その裏に隠されている「早く帰って」という本音を認識するのが第二象限です。
ただ、この認識を可能にするには、京都の文化を知っていなければなりません。
京都の文化を認識することは第三象限の認識ですから、ここでも第二、第三、第四象限が同時生起していることが分かるでしょう。
終わり-
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