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from: 生成門さん
2012年01月28日 10時25分32秒
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写真は自己を表出させる
写真は自己を表出させる
<四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:ガウス平面上の認識位置特定システム(GPS:Gaussian plane Positioning System)>
写真に関心を持つとただ記念に風景を撮るのとは違って、その撮り方やアングルなどを気にするようになります。プロの写真家になるほど、そこに意図や感性が現れてきます。
単なる記念撮影でも、ただ風景を撮ることは少ないでしょう。そこには「私」が必ず入るでしょう。記念という意味自体が「いつどこにいた」という「私」の存在の証明なのです。
確かに、最初は風景に感動(凸iの認識)して、ここで写真をとろうと思うでしょうが、もうそのときは、風景と共にいるという一体感などどうでも良くなっているのです。
どうでもよくなると、対象との間に距離が出てきます。私が対象を見る人となり、私が対象から離脱していきます。
カメラは本来、私の目の代わり(身体性が強くなる)となって対象を再現してくれますから、物質性は高いのですが、それによって撮影された写真とカメラの認識とは自ずと違いが出てくるでしょう。
撮影された写真は表現された内容ですから、その内容を位置づけることになるのです。
撮影時から時間が経つと、対象に対する思い入れがなくなり、対象にはさほど関心がなくなってくるでしょう。この「関心」の程度(強度)というのが認識の位置を決めるといってよいでしょう。
全くどうでもよければ、対象を物としてしか見ませんので、+1に近くなってくるでしょう。物になればなるほど、光の強度(対象に対する関心)は低下して、自己表出(自我)=身体的強度が増えるということになります。
対象を物扱いする例として、現場検証などでの証拠写真があります。この場合は、それを撮った人の個性などは関係がありませんから、自己が表出しているとは言えません。
又、証拠写真は公的であり、私の写真ではありません。自己が表出していない公的写真は認識の位置としては第1象限にはきませんので、第4象限に入るでしょう。
第4象限とは、私では「ない」、私の中の他者の認識であり、公的共通認識です。ですから、パソコンに収納するマイアルバムではないのです。
第4象限の認識は簡単ではないので、これ以上の解説は止めておきます。
今は、第1象限の認識に限定していますので、個性のある写真の認識を問題にします。
写真は「はーい、チーズ」と言って「撮るだけ」のイメージが強いので、写真には自己主張が入る余地などないかのように思えます。
ところが、こういうものほど自己が表出するのです。パソコンに収納するマイアルバムのような記念写真を考えてください。それは「私」が撮った写真=私の存在証明です。つまり、自己の主張があるのです。
写真は自己を表出させるのです。その代償として対象を突き放すのです。それは写真が対象の再現性が良いからです。対象の再現性が良いということはそれだけ、対象を支配しやすいということです。対象を支配しやすいということは物扱いできるということに繋がっていきます。
+1が身体性=物質性というのはここに根拠があるのです。
続く-
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