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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2012年01月28日 10時48分25秒

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    写真も表現された内容で位置が変わる

    写真も表現された内容で位置が変わる
    <四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:ガウス平面上の認識位置特定システム(GPS:Gaussian plane Positioning System)>

    今、問題にしているのは、第1象限の認識ですが、写真は第1象限に入るとして、取り上げたのですが、それは写真の特徴として現実の再現性があるからであり、同時に自己を表出させる媒体だからです。

    写真の特徴は一般に自己の主張がなさそうに見えるので、その逆であることを検証するために、写真の芸術性を示したのでした。ところが、自己主張をなくすと第4象限に行ってしまい、自己主張を強調すると芸術性が高くなり、第2象限に行ってします。掴んだと思ったら逃げてしまうのです。まるで、掴みどころがないウナギのようです。

    結局、公的写真でもない、芸術的写真でもない、しかし、自己主張の高い第1象限の写真とはどういうものかという問いになりました。

    公的写真でもない、芸術的写真でもない、しかし、写真家の自己主張のない第1象限の写真の例はガガの写真でした。ただし、ガガの場合は、第2象限に跨っていました。

    そうなると残ったものは、マイアルバムに入る記念写真だけです。記念にとる写真だけが第1象限に入るのではないでしょうか。記念写真はもちろん公的写真ではないし、芸術的写真でもありません。しかし、写真を撮った人の自己主張(存在証明)があります。

    そこで又問題です。

    記念写真でも、私が写っている写真と他人が写っている写真では違いがあるでしょうか?

    私が写っている写真の場合、撮ってくれた人の自己主張というよりは、私の主張を代行してくれたと考えればよいでしょうから、写っていることよりも、私の存在を証明することに重点が置かれているということで、第1象限の+1に近い基準を満たしています。

    では、他人を写す場合はどうでしょうか。例えば、子供の写真を撮ることを想像してください。私より子供の存在を証明することがよりポイントです。

    つまり、対象(子供)を重視しているのですから、自己の主張は弱いということです。ということは、第1象限ですが、光の強度が高い分、つまり、対象に入れ込んだ分、中間よりの位置づけになるでしょう。もっと入れ込めば、中間より更に上に行きますので、ガガに近づくことになるでしょう。しかし、ガガのように第2象限にまで侵入することはないでしょう。

    こしてみると、第1象限に入る写真は、記念写真であり、他者を撮る写真は中間から上、自分を取る写真は中間より下という認識位置になるという結論がでたようです。

    第1象限(e^iθ:0<θ<π/2)
    凸i(0,1)・・・・中間(0.7,0.7)・・・・+1(1,0)
    ガガの写真  子供の記念写真   自分の記念写真

    写真家は、写真を芸術として見ているので、現実を忠実に撮るというより、現実を「私」が見たいように「撮る」という意識が高いと思うのです。

    ですから、光の強度を下げるのです。その代わり、対象への関心を高めて「私」という自己の作法で対象を支配して、表現しようと苦心するのです。自己の作法とは写真技術、つまり、映し方、アングル、焦点、露出などなどです。そうすると当然、現実から離れることになりますから、必然的に第2象限に入っていくことになるでしょう。

    しかし、どう映し方を工夫したところで、美術と違って現実から離れることは出来ません。非現実的な写真などは見たことがありません。そんなカメラはもはやカメラとは言えません。それはデジタルアートです。

    そこが写真芸術の限界だと思うのです。

    写真というのは身体的(目の延長)であり、私と対象の間に距離をつくるものです。

    もっと言うなら、写真を撮る人にとって、対象なんかどうでも良いのです。写真は表現媒体に過ぎないのであって、自己主張をする代用物なのです。写真展に行って分かることは「これは私が撮った写真だ!」と主張していることです。

    鑑賞する私も写真を見るときは、そこに映っている対象への関心よりも、アングルや配置構成がどうだという身体性(技術)に関心が向いてしまうでしょう。

    これが+1に近い写真の認識位置なのです。

    同じ写真でも、自分の記念写真は+1よりは中間に位置するでしょうし、子供の写真は、中間から少し左に位置するでしょう。

    いずれにしてもプロの写真家の写真は、現実を写す媒体である以上、第2象限には行けない宿命を持っているのです。

    もし、写真を芸術にするならデジタルアート化するか、精々、凸iを中心にして第1と第2象限に跨っている写真(ガガ)のような表現スタイルを持ち込むしかないということです。

    その場合は、自己主張がなくなるわけですから、芸術の本質から離れることになります。

    ガガの写真は、誰が取ったのか、どのようにしてこれを撮ったのかという写真技術より、対象その物に関心が向いているのです。

    写真家自身の自己主張しない、視線を対象(ガガ)引付けることを狙った新しい芸術と言えるのではないでしょうか。

    写真を、GPSを使って認識位置を特定する探求をしてきたのですが、何に重点を置くかで、認識の位置が変わってくるということが分かりました。

    これまでは、凸i,凹i, +1,-1の特別な位置だけを考えて考察してきたのですが、それだと認識の本質を掴むことは出来ないことも分かりました。

    その意味で、写真は象限の特徴を掴む上で大変貢献してくれたと思います。

    続く

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