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from: 生成門さん
2012年03月28日 10時01分05秒
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物質因果を超えた不変の力=能力=述語がモナドの本質
物質因果を超えた不変の力=能力=述語がモナドの本質
<四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:モナドの作法>
バクテリアを追いかけている理由はモナドが述語の塊であることを示すためだからと言ったのですが、バクテリアのどこが述語なのでしょうか?
バクテリアは原始細胞ですから単純そうに見えますが、ところが、そこには意外と複雑な内部構造があるのです。
細菌の構造
http://micro.fhw.oka-pu.ac.jp/microbiology/structure/structure.html
―――
バクテリアはモナド
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100108770255
バクテリアはモナドだと言ったのですが、その内部もまたモナドなのです。ですから、モナドの本質を探るために一見単純そうに見えるバクテリアに目をつけたのです。
それは、バクテリアが「ある能力」を持っていることです。
「ある能力」とは何かが鍵なのです。
その鍵がここに隠れているのです。
「バクテリアを追いかけている理由」
http://www.c-player.com/ad00178/messageの中で、バクテリアの「ATPという物質のエネルギーに変換する能力」に着目してください。
「〜する能力」が鍵なのです。
少なくとも、四次元能はこれが手掛かりになると直観しているのです。
「〜する能力」はバクテリアの原始的アフォーダンスです。もし、「〜する能力」を、単に「〜する構造」と言ってしまうのであれば、物質的因果だけしかないと言うことであり、「開かずの扉」でも「開かずの間」でもないことになりますが、実際には、バクテリアの「〜する構造」という観点、つまり、物質的因果の説明では、バクテリアが、何故、生命なのかを説明し切れていないのです。
構造ではなく、「〜する能力」とするのは、精神⇒物質という秘密の暗号があることを暗示しているのです。つまり、「〜する能力」とは、精神⇒のことであり、物質的因果を超えた何かがあることを示唆しているのです。この暗号と看做すなら、それを解読しなければ、酸素呼吸の真実が見えてこないのであり、開かずの間は開けられないということです。
では、何故、構造ではなく、能力なのでしょうか?
それは構造が結果であり、能力が原因だからです。
もちろん、この場合、原因⇒結果なら因果関係ですから、能力⇒構造となり、物質的因果で説明できたと錯覚してしまいます。
ところがどっこい、そうはならないのです。
というのは、能力というのは、ポテンシャルであり、潜在しているのですから、非物質的なものなのです。
「〜する能力」を言い換えると「できるようにする力」です。
力が物理的なものだとすると、量で測定されなければなりませんから、「できるようにする力」を何らかの形で測定できなければなりません。
しかし、良く考えてください。「走る」という行動は、「走れるようにする能力」がなければなりませんが、それを測定できるのでしょうか?
確かに、「走る」という行動は、「走った」結果(速度)を測定すれば、「走れるようにする能力」を持っていることを証明したことになります。しかし、「走れるようにする能力」を測定したことにはなりません。
「能力」はポテンシャルであり、潜在力であり、見えないのであり、測定できないものであり、「能力」というような物理量は存在しないのです。
ですから、能力⇒構造を原因⇒結果として物質的因果関係と看做すのは間違いなのです。確かに能力があって構造が生まれるのですから、原因⇒結果という形にはなっていますが、普通の物質的因果とはちがっているのです。
物質的因果なら、木が燃えると灰になるといったように、木⇒灰の因果となり、そこにはエネルギーの保存則が成り立っています。しかし、能力⇒構造には、エネルギーの保存則が成り立っていません。木が燃えたら灰になったのですが、その同じ木が又燃えることは出来ません。
しかし、能力⇒構造にはそういうことはありません。能力があればいつでも構造を生成するのです。
能力は物質ではありませんから、減ることはありません。能力⇒構造を分かりやすく表現すると、ある何か(Ψ)に潜在的力を作用(H)すると、その何かを変形・変質させないで、構造(E)を生成する式という風に解釈できます。
すると、構造を生成する式は、
HΨ⇒EΨ
となります。
これを木⇒灰の場合に適用すると、どのように解釈できるでしょうか?
木⇒灰の式の意味は、木が燃えで灰になることですので、厳密に言うとエネルギー的には保存されていますから、木(エネルギー)=灰+熱です。
従って、ある何か(Ψ)とはエネルギーとして良いでしょう。そこで、木(エネルギー)を「燃やす」というには、木に作用(H)するということです。これをHΨと表現します。
後は、その何か(Ψ)を変形・変質させないで、構造(E)を生成できるかどうかです。
木を燃やすと灰になると同時に熱が出ますから、その何か、つまり、木のエネルギー(Ψ)を変形・変質させないで、構造(E)つまり、灰と熱を生成しました解釈できます。木が灰と熱に変わったのですから、変形・変質したように見えますが、それはあくまでも、表面的なものであり、エネルギー的には何も変形変質していないのです。それがエネルギーの保存則です。
木⇒灰+熱という物質的因果の式を、構造を生成する式:HΨ⇒EΨに置き換えると、
「燃やす」木のエネルギー⇒(灰と熱)木のエネルギー
となります。
ここでエネルギーの保存則の厳密な言い方をするなら、燃やすときにマッチを使うなら、その加えるエネルギーを考慮しなければなりませんが、今は、無視します。
ここで大事なことは、能力⇒構造をHΨ=EΨと看做した場合、「燃やす」木のエネルギー⇒(灰と熱)木のエネルギー
が意味するものは何かということです。
確かに、木や灰や熱という物質的因果の世界に目を向けると生成消滅することばかりに関心が行きますが、HΨ=EΨは、表面的に生成消滅しても、何も変化しないものがあることを教えてくれるのです。
これは易そのものです。
易といえば変化することだけが注目されますが、その変化の裏には必ず一定の不変の法則性があることを示唆しているのです。
HΨ=EΨ
を易の理論を方程式化したものと考えると
「燃やす」木のエネルギー⇒(灰と熱)木のエネルギー
では、何かに作用するHが「燃やす」ことですから、その何かが木でなくてもよいことになります。
そして、「燃やす」は動詞述語です。さらに「燃やす」は、燃やすことが出来る能力ですから、能力とは述語だと言うことになります。もっと言えば、何かに作用するHは述語だということになります。
ここまでを纏めると、物質的因果の原因⇒結果とは違う非物質的因果の原因⇒結果の式が成り立つ世界があることになりました。それは、能力⇒構造であり、能力とは物質世界のエネルギーの保存則の支配されない潜在的な力であり、変化する物質世界を支配する不変の力であり、その不変の力=能力とは述語であり、モナドの本質であることが明らかになりました。
そこまでくると、次は、その述語としての能力とは何かということになるでしょう。
続く-
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