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from: 生成門さん
2012年04月07日 11時53分43秒
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日本人は自動詞中心、西洋人は他動詞中心
日本人は自動詞中心、西洋人は他動詞中心
<四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:モナドの作法>
そこで、SQL言語という人工言語を材料として、人間が世界を認識するために、どのように物事の認識と言語を結びつけているのかを探求して見ようと思うのです。
ここで重要なことはSQLという言語が何か?と言うことよりも、SQL言語が何故必要となったのか? SQL言語を生み出した人間の意識はどういうものか?を探求すべきでしょう。
私達の日常言語の理解や数学という特別な言語、或いは芸術などの特殊な言語と世界の認識の関係が明らかになり、引いてはMPの内部構造を解明するヒントも出てくるのではないかと期待しているのです。
そのためにまずやるべきことは物事の認識と言語を結びつけることです。私達は認識した物事を言語で表現するのですが、その表現は省略や変形もありますが、基本は主語や述語で構成されています。しかし、原始的な認識を探求するためには、述語をひっぱりだすことが必要なのです。何故なら、生きる場に於いては述語、つまり、出来「事」こそが、すべてだと思うからです。
特に、生き死に関わる場面では、「死ぬ」か「生きる」ですから、そのときの意識としては「述語=事」しかありません。もし、その状況を表現するすると、「(私は)死ぬ」となるでしょう。
一般的には、者や物が主語や目的語で、事が述語となるのでしょうが、日常語では曖昧だったり変形されたりしていますので、述語が何かというのは簡単ではなりません。日本語では「風呂が沸いた」「お茶が入った」というような言い方をしますが、よく考えて見ると変は言い方です。風呂やお茶が勝手に「湧いた」、「入る」はずがないのですが、日本人はそういう自動詞的表現が好きなのです。
「私がお茶を入れた」、「私が風呂にお湯を入れた」というのが正しい文章ですが、ここには、「俺が」という意識を丸出しにすることを嫌う日本人独特の謙譲の美徳と言いますか、主語を省略する癖があるようです。また、自動詞化するという意味でも、主語を消す、自然と一体化する傾向があるようです。ここには日本人の自然観との関係がありそうですが、
西洋人の何でも主語をはっきりさせ、しかも、他動詞中心の文体との大きな違いがあるようです。
日本人は自動詞中心、西洋人は他動詞中心ということが言えそうなのですが、そこには認識の進化との関係もありそうです。言語が自動詞から他動詞へ進化したとすると言語差別が生まれそうです。しかし、そうは単純ではないでしょう。
何故なら、「主語を消す」必要性はコミュニケーションから生まれたのであって、日本人のような狭い土地に棲んでいる人種は、あまりでしゃばるのは良くなかったので、自己主張しなくなったと思われるからです。
つまり、日本語は自動詞から他動詞へ進化した後、又、自動詞中心へ螺旋的に回帰したと考えられるのです。言語比較は又別の機会とします。
どの言語でも、突き詰めて行くとすべての現象認識は物と事で構成されており、それを独自に進化させて言語化したのです。しかし、認識の基本は述語動詞(自動詞、他動詞の違いはありますが)を中心としていることは間違いないでしょう。
ですから、物事の認識と言語と関係を探求する事始は、物事を物と事に分解すること、つまり、述語を引っ張り出す事なのです。述語は意識と関係しているのですから、原言語の発生とも関係しているでしょう。
続く-
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