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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2012年04月14日 17時06分50秒

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    いろいろな論理

    いろいろな論理
    <四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:モナドの作法>

    主観を論理化できることをしましましたが、一般化するには不十分です。主観的な命題は真偽を問うことができないのですから、炊飯器みたいに長年の経過と知恵があればなんとかなりますが、多くの物事に対しては、それがないのですから安易に適用することできません。

    しかし、何とかその壁を越えなければなりません。

    そこで、再び、命題の話に戻りましょう。

    真と偽だけの命題で判断する論理を2値論理とすると、第三の値をとるものは3値論理といいます。三値をもっと、分割して中間状態をとると多値論理ということになります。

    多値論理の例で面白いというか、この四次元能でも度々取り上げてきたのが量子論理です。量子論理とは、量子力学に基づいた論理のことですが、これがなんとも奇妙なファジイ論理のようなものなのです。

    常識の世界では、ボールを投げたらどこの落ちるかは式で客観的に表現できます。しかし、量子力学ではそうはならず、観測するまでは決定できません。ここでは観測者の主観が物事の真偽を決めるのです。

    しかし、つまり、そこにあるとかのないとかを言えないのです。そこで仕方がないと言いますか、ファジイ(曖昧)ではないのですが、確か「らしい」状態なのです。「らしい」としか言えないのですから、この中間状態を確率で表現することにしたのが、量子力学的多値論理(量子論理)なのです。

    こうした直観論理、ファジイ論理、量子論理は表現能力としてはこれまでの2値論理の命題の限界を超えたと言えるのですが、基本は物事を真偽に分けることをベースにしているのであって、言い換えると2値論理を様々な観点で拡張したに過ぎないとも言えるでしょう。

    しかし、これで主観や直観を論理として扱えたから、世界を正しく表現(認識)できるとしてよいのでしょうか?

    そうは問屋が卸さないでしょう。現実はもっと複雑なのです。

    スポーツでは、「たら」「れば」は「言うな」と言いますが、これも真偽を問うことが出来ません。ですから、これも命題ではありません。

    しかし、日常の世界では、「もし、〜だったら、〜だろう」といった予測的発言をすることはよくあることです。私達は自分たちの生きる世界を「ありうる世界」や「あるべき世界」との連関において捉えているのです。この論理を様相論理と言うようですが、これについてもパスしておきます。

    様相論理
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%98%E7%9B%B8%E8%AB%96%E7%90%86

    当然、こうした「ありうる」や「あるべき」という状態も論理の対象として取り扱えなければ、世界を正しく表現(認識)できたとは言えないわけですから、まして、システム化などは遠い夢の話です。

    未来の状態をシステムの中に取り入れなければ、現実には対応できないことは、当然だと思うでしょうが、これがなかなか、論理化するとなると容易なことではないのです。

    人工知能が成功しないのは、フレーム(想定)という問題があるからですが、これが難題なのです。

    原発事故は想定外の出来事が起きたからと言われています。何を想定外とするか、想定内とするかは人間なら前もって決めて、仮に想定外のことが起きても、なんとか対処が出来ますが、ロボットにはそれができません。未来永劫にこの難問をクリアすることは出来ないでしょう。

    人間だけがフレーム問題を解決できるのです。

    しかし、何故、人間がフレーム問題を解決できるのか、その認識はどのようになっているのか、について解明することは、今ここではやりません。フレーム問題は「開かずの間」の難問中の難問なのです。今は、フレーム問題を避けていきます。

    「フレーム問題」の解消
    http://imi.sfc.keio.ac.jp/fruits/2003_com_dyna/frame_problem.html

    もちろん、今、探求しようとするデータベースにもフレームやあるべき問題はあります。それらをシステム内部に取り込むことはできません。何故なら、その論理が実装可能な知として固まっていないからです。

    しかし、例外的な事象、例えば、予め想定した商品化カテゴリに属さない新商品が生まれることなどよくあることで、それがデータベースの不整合となって、混乱を引き起こすのです。

    このような例外的な事象は現実として起きるのですが、それを予めシステム化できなくても、そのシステムは人間系と一体となって存在しているのですから、人間が対応することになのです。従って、トータルとしては問題ないのですが、できるだけ、人間が関与しないシステムにすることは、効率の面から、コストの面からも、更に競争的な側面からも求められていることなのです。

    今、四次元能の関心は、より進んだシステムとは何かということではなく、人間の内部とは何かということですので、その手掛かりをSQL言語に求めているだけなのです。

    SQL言語が台帳(恐竜)からデータベース(鳥)に進化した言語であるなら、その進化した背景には、人間の内面の思考や論理が現れてきているはずだと考えているのです。その一端を明らかにすれば、人間の認識のメカニズムが明らかに出来るのではないかと思っているのです。


    ところで、SQL言語は2値論理(3値論理)の述語論理なのですが、同じ述語論理でも、西田幾多郎の述語論理というものがあります。

    これとの違いは何でしょうか?

    西田幾多郎の述語論理とは場所の論理とも言えるものであり、四次元能の核とも言える即非論理というものです。

    SQLの述語論理と西田幾多郎の述語論理=即非論理とは同じなのでしょうか?

    少なくとも、SQLの述語論理の前提となる命題は3値の場合、真偽か不明(Null)ですが、Nullは無意味(空)を意味します。

    インターネットには数多くの「教えて」サイトがありますが、回答する人が、「回答の種類」とかにチェックいれてないと回答するにも、どうしてよいか分からないので「回答の種類」にチェックを入れてくださいとかエラーが出ます。

    これは、回答の種類の指定がなければNULL(空)なので、エラー表示するという論理となっているのです。

    これを禅問答と比較して見ましょう。

    和尚さんが、空の茶椀を持ち出して、「これは何か?」と質問したとします。すると弟子は、「それは茶椀」と応えたら「ブー」という答えが返ってくるでしょう。逆に、「無」(空)と答えたら「オーケー」です。

    SQLでは「それは茶椀」はオーケーですが「無」(空)と答えたら「ブー」です。

    そういう意味で、SQL ではNullは無意味(空)で、禅では空(即非)は真実なのですから、SQL と禅では、何が正しいかは真逆になっていると言えそうです。しかし、それは単に、何を真とするかの問題であり、どちらも述語論理だと言えるのではないでしょうか?

    最もそこが禅らしいところなのですが、これについてはMPの内部探検に入ってからたっぷりとやりましょう。

    ということで、ここで探求するのは、禅の論理ではなく、SQLの述語論理ですが、しかし、Nullの意味を反転すると、禅の論理の真理となりそうなので、SQLを探求すれば、開かずのMP(空)に行けるかもしれないという気分になってきました。
    続く

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