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from: 生成門さん
2012年04月19日 07時07分56秒
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ボカロは自我解体革命を起こすか?
ボカロは自我解体革命を起こすか?<四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:GPSの実践>初音ミクhttp://bbs.mobilephoto.jp/dat
ボカロは自我解体革命を起こすか?
<四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:GPSの実践>
初音ミク
http://bbs.mobilephoto.jp/data/hatsunemiku/pb.php
アルトサックスで『千本桜』を吹いてみた
http://www.youtube.com/watch?v=z-gjq37JltY
インターネットで検索すると初音ミク現象はオタクの延長にある現象だとか、動ポモだとかの説明が散見しますが本当にそうなのでしょうか?
では、何故、日本の局地的なオタク現象がロンドンオリンピックのオープニングで歌わせたい歌手のナンバー1に選ばれるのでしょうか?
世界の若者が皆オタク化、或いは動ポモ化したのでしょうか?
動ポモ化とは他者への関心が希薄となって動物的に閉じこもる、つまり、欲望(無限に拡大する)ではなく欲求(欠乏を満たしたら満足する)で生きる傾向があるところに特徴があるようですが、本当にそうなのでしょうか?
初音ミクの歌詞を見てください。他者に対する気遣いがあります。
ファンの意識(ベクトル)を見てください。歌手よりボカロP(作った人)にその視線が向いているのです。歌手より作詞家へ関心が向くというのは、これまでの音楽界の常識ではありえなかったことです。ビヨンセが歌うから好きだからファンになるのですが、ビヨンセの歌詞を創作した作詞家や作曲家に関心が行くことはないでしょう。これがこれ迄の常識なのです。
しかし、ボーカロイドはそれを簡単に打破してしまったのです。
なぜ、ボーカロイドファンは歌詞に向かうのでしょうか?
歌手に関心がいくのは自己の投影ですから自己撞着ですが、作詞家へ関心が行くのは他者との同一化です。これだけをみてもオタク=自閉とはいえないのです。自閉からでてきた他者なのです。これは四次元空間のクラインの壷という概念でしか説明できないものです。
更に続けます。
音楽ができてくる二次創作過程をみてください。バザールです。寄ってたかって作ってしますのです。そこには、すべて他者とのかかわりがあるのです。
しかも、その輪(欲望)は限りなく広がっていきます。
初音ミクは生まれてからまだ3年もたっていません。この広がりの速度は閉じこもり文化という概念では説明が出来ないでしょう。
ボカロ現象の浸透速度を説明できるのは「他者との共振」というかつてない欲望のクラインの壷的な内外が反転して拡大する仕組みがあるからなのです。
具体的に言うと、著作権フリー、オープンリソース、バザールという特徴をもたったインターターネットの仕組みです。その特徴が自我の否定、自我の離散現象を増幅させるのです。
世界は今、グローバル化の波が押し寄せています。それは物質的自我の経済拡大現象であり、留まる事を知りません。一方で、それと反対の自我解体ともいえる他者共振現象=オープンリソースのバザール現象=ソリトン(ディアスポラ)現象が拡大しているのです。
これは陰陽の超対称性の破れの回復現象と見ることもできるのではないでしょうか?
しかし、このことについて「なるほど」といえるような説明が存在しないのが正直のところです。
そこで仕方がありません。四次元能で取り上げて見ようと思っているのです。というより、これこそGPSで解釈するべき題材ではないでしょうか?
その大きな理由は、初音ミクはG1の現実(音声合成ソフト)とG2の仮想(電子歌姫)とは同時生起している現象であり、音源データベース、つまり、他者の存在G4をベースとして拡大している現象だからです。そして、それは大きな物語(G3理念)G3を否定する新しい小さな物語(G3理念)の台頭でもあるからです。
言い換えると、初音ミク現象は超対称性の破れを回復する運動という側面が顕著に出ている出来事であり、現代版自我解体運動:ディアスポラ(現実離散と回帰)だと看做せるからです。
仮想現実の対称性:G(1)⇔G(2)・・・現実離散(自我放棄)
個別仮想と普遍仮想の対称性:G(2)⇔G(3)・・・可能性の探求
普遍と限定普遍の対称性:G(3)⇔G(4)・・・擬似的現実の代替案
反動現実と現実の対称性:G(4)⇔G(1)・・・現実回帰(自己の復権)
しかもそれらは進化の螺旋階段状を廻り自己回帰するのです。
G1-G2-G3-------Gn-1-Gn----
座礁するかもしれませんが、ここから始めていきましょう。
続く
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from: 生成門さん
2012年04月20日 09時42分50秒
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「Re:Re:ボカロは自我解体革命を起こすか?」
コメントありごうございます。
後ろに数学プロのkaisetuさんがいるので、安心して飛ばしています。(~-~)
述語が関数だということからヒントを得て、集合の概念から発想し、関数をどう象限に当てはめるかを考えていました。
関数には定義域が有りと無しがありますが、無い方が無限普遍:G(
3)、限定普遍:G(4)としました。データベースでは概念がG3、いろいろな現実に対応できる定義モデルがG4、個別具体の仮想モデルがG(
2)、実装されたデータベースがG(1)としました。
>海舌も、アデルの歌を吟味する中で、第4象限を「感情表現」分野に割り当てました。
> > http://kaisetsu.org/conservative/?p=31 > > 「限定普遍」と「感情」は、基本的に同じ構造なのだろうと推測します。
> > さらに、感情とは、普遍的理性の分野である第3象限からは、「擬似的現実の代替案」と見做されてしまうのでしょう。 > > 今後の展開を楽しみにしています。 > > 海舌 >
私も感情は、G(4)だと思います。
ただ、無感情の行動と感情付きの行動があると思います。その区別は進化の過程を考えることで説明が出来ます。
進化の順番は条件反射的盲目的反応→感情→意思だと思うのですね。
生き物にとって危機的状況のときは即座に逃げることが重要です。逃げるということは自己否定です。つまり、「今ここ」の場所から離散せよと言うことです。離散とはG(4)かG(2)、G(3)へいけと言うことですね。
先ず考えられるのは、即座に場所を離れることです。つまり、凸iから凹iへの反転です。従って、G(4)です。「ここ」から限定普遍の場所、「ここ」でないどこかの場所です。しかし、無限の場所ではない、有限の場所です。
とにかく、どこか別の場所G(4)に避難して危機を逃れます。ここでは感情は必要はありません。
しかし、いつもそれでは能無しですから、ちょっと間をおくことも必要です。それが感情の発露となったのではないでしょうか?
どのような過程で感情が発露したのでしょうか?
まず、感情の発露は行動の遅延化だということです。つまり、行動を遅らせるということです。それは、物理的には「ここ」を離れませんが、仮想的には離れるということです。この段階では、対象に対してはっきりとした認識はありませんから、G1とG2を行ったり来たりしている段階でしょう。いずれにしても、その主体の個別的体験です。この行ったり来たりしている段階=葛藤によって感情が発露したのではないでしょうか?
確かに、感情の発露は身体性(生理現象)ですから+1側でなければなりませんので、G(2)では起きないでしょう。しかし、G(2)⇔G(1)(葛藤)がなければ感情の発露はないのではないでしょうか?
そうして葛藤している間に、やっぱり危険だと認識するとG(4)へ逃げ込むでしょうが、それがG(2)→G(4)の経路だと思うのです。
結果からみると、感情の発露はG4と言えるのですが、無条件反射のG(4)領域への離散とは区別するべきなのではないでしょうか?
G4だからいつも冷や汗をかくとは限らないと思うのです。
やがて、進化して感情から意思・意図といったものがG2で芽生えるとG2→G4の経路が多様となってきて、偽善とか擬態、偽装とかの高度な思考と行動となってきたように思います。
kaisetuさんの認識図にはG2からG(4)への悪への経路(→)がありますが、それが思考から感情への経路ではないかと思いますがいかがでしょうか?
いずれにしてもこれはMPが介在しておきることなので、MPのメカニズムを解明しないとならないと思います。
纏めますと、「ちょっと待て」というのは、G(1)レベルの認識を仮想現実、記号の解釈、つまり、G(2)レベルへ持っていく遅延回路だと思うのですね。それが結果として、感情の発露となってG(4)で現れるということではないでしょうか?
しかし、固体としての生き物はいつまでも「ここ」では「ない」という否定にとどまっていることは出来ません。「ある」は認識できるのですが「ない」は認識できないからです。
従って、G(4)で逃げた場所が、今度は「ここ」になりますから、G(1)に戻っていくわけです。
G(4)の限定普遍とは、外延と内包的定義ではないでしょうか?
ここでない場所、というのは、一体どこでしょう。データベースでも
内包的定義状態では困るので外延的定義がなされます。外延的とは定義モデルと言うことでしょうからG(4)です。それが一つ選択された状態がG1であり、関数でいうと変数が実際の値で与えられ、答えが決まったことに相当しますので、G1ということになります。
一見、関数的表現には感情が入ってこないように見えますが、感情もエネルギー形態と考えるなら、思考と行動と同じレベルで、つまり、関数で考察できるのではないでしょうか?
感情とは、個別具体的なG(1)での認識が決まるまでの、変数状態にあるG4の遅延された認識状態と考えられないでしょうか?
乱暴ですが、感情とは関数であると言うことです。y=f(x)に於いて、xが決まらなければ、yも決まりません。つまり、決定が遅延された状態にあるわけです。感情とは決定を遅らせる働き(述語)だと言えるのではないでしょうか?
人は誰でも怒っているときは、正しい(?)行動が出来ません。カメレオンも色を変えるという色々な可能な表現を潜在的に持っています。そのどれかが感情の表出としてG(1)にでてくるのですが、可能な潜在性がまさにG(4)のカメレオン関数です。
感情を関数としてみると、普遍的理性の第3象限に根拠があるはずです。カメレオン関数は擬似的現実の代替案ですが、理念的には、その汎関数があると考えてても良いのではないでしょうか?
感情についての考察は、もう少し、深めてからと思っていたのですが、kaisetuさんのコメントに釣られて披露してしまいました。
よろしくお願いします。
生成門
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