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from: 生成門さん
2012年05月24日 10時58分50秒
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死とは第4象限の認識=他者への志向
死とは第4象限の認識=他者への志向
<四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:GPSの実践>
バクテリアは「ここは安全」から「危険だ」というような現実認識を否定する能力を持っています。しかし、生の現実の認識を安易に否定することは死につながるのですから、そこには「死なない」否定が必要となるでしょう。
生の現実の認識を否定することは死につながる
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バクテリアの「ここは危険」という認識は、「ここは安全」の変更であって、否定ではなく単に基準の変更です。「危険」だけど「安全」という意味の変更ではないのです。
鹿にとってトラが危険であることには変わりがないのですから、条件付で安全と理解するためにはコンテキスト的理解=「死なない」否定が必要なのです。
生の現実の認識を否定すること(危険なのに危険ではないと間違うこと)は死につながると言ったのですから「死なない」否定とどう違うのかをはっきりさせておかなければならないでしょう。
「死なない」否定とはどういう意味なのでしょうか?
そのためには、死の意味を再考しておかなければなりません。
常識では死とは寿命か事故かは別として身体的消滅です。しかし、四次元能ではすべては精神的身体ですから、精神性には凸凹の対称性があります。
第1象限と第4象限で考えると身体濃度が正(a>0)であっても生死の状態があるのです。つまり、G(1)とG(4)の状態がありうるのです。
G(1)とは生の現実の自己中心の世界:GSP(a,b)で生きていることであり、G(4)とは死の反現実の他者中心の世界:GSP(a,-b)で生きていることを意味するのです。
従って、G(4)は精神的には死んでいるけれども身体的には生きていると言えるのです。「精神的死」とは、他者中心の世界にいるということです。ここでいう世界とは認識の状態の事ですから、自己から離散した状態を「死」と考えればよいでしょう。
何の事はありません。無我=自己がない=自己の消滅=他者への志向=死なのです。
「危険」だけど「安全」という理解は、想起ではないかということで、G(2)へのシフトを追いかけてきて、記憶が関係していることまで、探求してきたのですが、どうやら単純にG(2)=G(1)の否定とすることは出来ないようです。
G(2)の認識は、自己の否定ではないからです。G(2)、G(1)は生の欲望の領域にあり、ATフィールドなのです。
バクテリアの「危険・安全」という認識は、{危険・・・・〇・・・・安全}の〇の基準の変更であって、安全の意味の否定ではないのです。
否定とはあくまで、自己の否定ですから、凹(他)領域への志向なのです。
続く-
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