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from: 生成門さん
2012年05月24日 16時41分40秒
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Macの本質は化粧である
Macの本質は化粧である
<四次元能版:新世紀エヴァンゲリオン:GPSの実践>
Macの本質が「化粧」であることを証明してみましょう。
その証拠はMS-DOSからウィンド(Windows)に名前が変更されたことに現れています。Windowsとは「窓」ですが、Macの本質である「化粧」を「窓」と言い換えて世に出したのでした。
何故、「窓」が「化粧」なのでしょうか?
この世界はイデア(述語)が反映したモナドであるとすると、モナドは述語の塊ですので、パソコンはタスクの塊であり、機能の塊であると言えるでしょう。
一方、モナドには「窓がない」と言いますが、パソコンがモナドなら窓がなくて当たり前です。しかし、モナドは互いを映しているのですから窓の機能はあります。これをどう理解すればよいのでしょうか?
窓の意味が違うのです。
モナドには「窓がない」という場合の窓とは物理的な「窓はない」という意味なのです。モナドにも「窓がある」という場合の窓とは、概念的な「窓がある」という意味なのです。
ですから、パソコンに「窓がない」というのは、モナドの意味をそのまま言っているのです。確かにMS-DOSには、概念的にも「窓らしい窓はない」と言っても良いでしょう。もともとパソコンには、物理的な窓、つまり、入力画面はあったのですから、窓が「ない」わけではないのですが、「ない」に等しいものでした。
その窓の役割をしたのが人間だったのです。ですから、MS-DOSはモナドとしては、人間依存型モナドだったのです。本来モナドとは自律しているのですが、MS-DOSは自律してはいなかったのです。
そこで、登場したのが概念的にも、物理的にも「窓のある」パソコン:Macだったのです。パソコンのような意味を理解できない人工物に概念の窓を取り付けるのは難しいのです。MS-DOSには窓の概念さえなかったのですから、それをモナドには「窓がない」からMS-DOSはモナドだというのは間違いだと思うのです。モナドが実体化された実物のモナドには窓があってもよいのです。いやあるべきなのです。
しかし、MS-DOS側に取っては「窓」など必要だとは理解もされなかったのです。
概念がどうであれ、人工物がとしてのパソコンは人間の使役道具ですから、インターフェースは必要なのです。ですから、何らかの物理的な窓(媒体)は必要になるのです。それがMS-DOSでは申し訳程度についていた入力画面だったのです。
ここで、動物の進化、旧口(昆虫)と新口(哺乳類)に分岐した動物の進化を思い出してください。
分岐する前の口(クラゲなどの原口)を画面(外からの取り入れ口)とすると、MS-DOSはその原口=画面をそのまま口としたということになります。
一方、Macは新しい口を作ったということになります。
これが動物に於いても、パソコンに於いても、その後の大きな進化の分岐点となったのです。
これを身体的特徴で見ると、昆虫は外骨格、脊椎動物は内骨格ですので、まるで反対に裏返ったという感じです。MS-DOSは外面からして硬いイメージですから外骨格です。一方、Macは内骨格になるのではないでしょうか?
Macの窓は古い画面を内に包む新しい口であり、外がソフトで柔らかいイメージの内骨格的なヒューマン・インターフェースとして変身したのです。
Macの窓は、人間に依存しない、つまり負担をかけない、人間を意識した窓と言えるでしょう。より使いやすくして人間に近づいたのですからモナドらしくなったとも言えるでしょう。
この「窓のある」Macは、モナドらしくなったのですが、窓のないのがモナドなのに、どこがモナドらしいのでしょうか?
続く-
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