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from: 生成門さん
2012年06月29日 13時21分52秒
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寿司ロボットは水溜りを、マーケティングは海を相手にしている
寿司ロボットは水溜りを、マーケティングは海を相手にしている
<四次元能版エヴァンゲリオン:イデア・シムハンターの戦略>
イメージを想像するのが述語作用であり、それがクォータニオンであると考えたのですが、もし、そうなら人間が想像している場面を理解することでクォータニオンに近づけるのではないでしょうか?
芸術家は創作することに熱中していますから、その対象を客観視することが出来ません。芸術だけでなく主観を重視する仕事や運動はその対象を認識したことの痕跡を残さないのです。
一方、マーケティングのような科学的と言われる分野は対象の認識を客観視して仮説をたて、モデル化して調査します。その相手が人間であるために心を相手にしていますが、その心を掴むことに関しては、寿司ロボットの開発者と同様その心の内面までは入っていくことは出来ないのです。
精々、表面の身体化された述語だけを観察できるだけなのです。つまり、心の内部には達することはできないのです。寿司ロボットはそれでもよかったのですが、マーケティングは消費者心理を掴みたいのですから、心の内部に入り込みたいのです。
しかし、芸術家は痕跡を残さないように消費者も痕跡を残さないのです。ですから、マーケティングも次元を落としたモデルになってしまうのです。
ということは、マーケティングはクォータニオンを一言で言い表す適切な属性述語の表現を見つけるための対象としては適切ではないということになります。です。
マーケティングというのは出来ないことをあたかもできるかのようなに装った三人称の認識なのです。しかし、マーケティングにも言い分があるでしょう。
マーケティング対象の消費者と寿司ロボット開発対象の寿司職人との比較をしてみてください。その述語は方や「買い物をする」であり、片や「握る」です。その述語のレベルが違いすぎるのです。「買い物をする」は生活全般が関連してくるのであり、「握る」は動作関連だけです。「寿司を握る」は「買い物をする」の下位の述語、「商品をカゴに入れる」というレベルに等しいのです。
レベルの違う述語を比較しているのですから、これが大きな間違いの元なのです。
言い換えると、マーケティングの方の難度は高いのです。寿司ロボットの場合は、寿司職人の心は無視できたのですが、マーケティングの方は無視できないのです。しかし、現在のマーケティング手法では、次元を落としたモデルで満足するしかないでしょう。
述語のレベルということで言うなら、寿司ロボットは水溜りを、マーケティングは海を相手にしていると言ってもよいでしょう。これは如何に人間を丸ごと三人称で認識するかが難しいかを物語っているとも言えるでしょうし、人工知能が実現できていない理由でもあるでしょう。
今、ここで探求している「三人称の認識」はそういう難しい課題に挑戦しているのだということを再認識してください。
続く-
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