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from: 生成門さん
2012年07月25日 10時36分57秒
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花咲か爺
花咲か爺
<四次元能版エヴァンゲリオン:花を咲かせる術>
ドラマでは「完全なネタバレの三人称の視点」は禁手なのですが、その兼ね合いをどうするかが采配、脚本の妙味であると言いましたが、これは見る者に「面白さ」をどう生成するのかということに繋がるでしょう。
「面白さ」はどう生成できるのでしょうか?
「面白さの生成」については、見る者の頭の中に花を咲かせようとして苦労した世阿弥を取り上げなければならないでしょう。
世阿弥の秘術を一言で言うなら「秘すれば花」ですが、これが何を意味するのかを理解するのは容易ではありません。しかし、四次元能は強力な透視術を発揮するGPSをもっています。GPSで透視すれば、その意味も透けて見えてくるでしょう。
「花咲か爺」ではありませんが、世阿弥は観客の頭に中に花を咲かせようとしたのです。その花を咲かせるノウハウを風姿花伝として残したのです。
その「秘すれば花」は風姿花伝の中核となる基本的メッセージであり、花を咲かせるヒントがあるように思われます。
しかし、「秘すれば花」の花とは一体何なのでしょうか?
一説では、花は面白さの比喩であり、成就であると言います。四次元能では、この花を美のイデアであると解釈します。
つまり、世阿弥にとって能というドラマは、花という美のイデアを咲かせるメディア(媒介する舞台・その他)だったのではないでしょうか?
言い換えると、美のイデアを面白いという心的現象として生成するメディアが花であり、能だったのではないでしょうか?
そのように解釈すると、
能とは
イデア⇒面白い
であると簡単に表現できます。
この簡単な式を受け入れると、イデアドラマ論が成り立つでしょうし、難しいと言われる世阿弥の「秘すれば花」もイデアの観点から探求すれば、解明できるでしょうし、三人称の認識の本質に迫れるかもしれません。
{イデア⇒面白い}の式は簡単ですが、イデアと面白さの間には大きな壁があり、それを接続する事は簡単ではなりません。実際、それを実践しているのが、ドラマの原作者です。
原作者は三人称の視点を導入する事で、一人称の限界を克服したのですが、やり過ぎると逆効果になり、やらなければ不満を残すという難しい問題があり、苦労しているのです。その結果は、直ぐに視聴率に現れますが、野球なら自ら流れを切って、負けることにもなりかねないのです。
{イデア⇒面白い}の式の⇒を成就のノウハウとすると、その難題に挑戦したのが世阿弥であり、風姿花伝はそのノウハウであると看做すことが可能となります。ということは、世阿弥は美というイデアを花という媒体を使って、生成しようとしたのです。つまり、花は三人称の認識だということになります。
では、世阿弥はどのようにして三人称の視点を導入して{イデア⇒面白い}の⇒を明らかにしたのでしょうか?
これについては別途に探求しますが、今の段階で言えることは、その鍵は補間と合成にあると思うのです。補間とは、一人称の認識上の不確定要素(読めない)を補うことであり、言外の意味を補うことであり、行間を埋めることです。そして面白さの合成です。もちろんやりすぎても行けないのですが、そのサジ加減を示したのが風姿花伝であり、そこには補間と合成のノウハウが詰まっていると考えられるのです。
補間と合成と言えば、クォータニオンが活躍する述語の場です。クォータニオンは三人称の認識としては欠かせないものですから、この事からも、風姿花伝の探求は欠かせないでしょう。
続く-
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