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from: 生成門さん
2012年07月31日 12時09分45秒
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何事も始まりは一人称から
何事も始まりは一人称から
<四次元能版エヴァンゲリオン:補間と合成:バザール的予定調和の秘術>
Linuxの世界にはどんな「花を咲かせる術」があるのでしょうか?
伽藍とバザール
http://cruel.org/freeware/cathedral.html
以下は、「伽藍とバザール」を参考しています。
「伽藍とバザール」には、「よい物事はすべて、個人的な悩みの解決から始まる」という宣言があります。これは三人称ではありません。すべては一人称の体験から始まることを表明しているのです。これをバザール方式で予定調和を成就するための原理と読み替えるなら「物事の始まりは一人称の場からせよ」です。
つまり、Linux能は「一人称からスタートせよ」と言っている事になります。三人称ドラマでも一人称と区別ができないドラマがあると言いましたが、それは視点の自由度がない場合でした。
韓国ドラマの出だしは、大概、主人公が「捨てられる(幻の王女チャミンゴ)」「呪われる(風の国)」、「親が殺される(チュモン)」という具合にカランの幕開けとなる展開をもっています。
いきなり、三人称の主人公が、見る者の私という一人称と一体になるように仕掛けているのです。その後は、悩み、悲しみ、恨みと言った感情が湧き、例えば、恨みを晴らすことへ執着した三人称G(4)人間となって波乱のドラマがスタートとします。
その後は、建国や侮辱を受けない国の建設と言った理想的な三人称G(3)人間へと変身して予定調和を実現します。予定調和とは成就であり、クライマックスを迎えます。クライマックスとは、一人称G(1)の主人公へ戻ってくることを意味します。それがドラマの基本シナリオなのです。
従って、Linux能は三人称ドラマと同じように「一人称に限りなく近くから始めよ」と言っているのです。確かに、これを最初の原理とするのはバザールの本質をついています。どんなビジネスの世界でも、新入社員に対して、「勝手にやれ」などとは言わないでしょう。例えば、ある日本の一流企業の経営理念は「産業報国の精神」です。
企業はドラマではないのですから、いきなり、こうあるべき姿のG(4)の三人称からスタートするのです。企業においては一人称が諸に出てくる場面は少ないと言ってよいでしょう。これは囚人と同じですね。囚人は徹底して三人称化(規律)され、G(4)の認識を強制されるのですね。
要するに、ビジネスのG(4)世界は{イデア⇒産業報国}なのです。囚人の世界は、{イデア⇒規律遵守}なのです。これが伽藍的予定調和の方程式なのです。
現代の人工都市は伽藍建築で埋まっていますが、同時に内部は「がらんどう」です。豊かな心が失われているのです。その原因は伽藍方式という管理主義によって、都市が機能だけに注目したツリー構造として計画されているためです。
一方、バザール的な都市があります。無計画で行き当たりばったりでできたカオス・フラクタルな都市です。成り行きで生成された自然の形ですが、不思議にそこに行くと心が休まります。
そこには、Linuxの世界と同様の「花を咲かせる術」があるのでしょうか?
続く-
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