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from: 生成門さん
2012年09月26日 14時48分54秒
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心を数学的に表現できるか?
心を数学的に表現できるか?
<四次元能版エヴァンゲリオン:内部観測と三角錐>
脳の機能(心)は数学的に表現できるのでしょうか?
上の図はhitorigotox氏の
言語は数学では表現できない
http://blogs.yahoo.co.jp/hitorigotox/53775378.html
から引用しました。
言語が数学では表現できないなら脳の機能(心)など数学的に表現できないのは当たり前でしょう。しかし、その無謀なことに挑戦している人がいるのです。それは、既に紹介した辻下徹氏です。
存在の様式としての契機モデル
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100111504288
以下引用しました。
辻下氏は心の働きを高次元の圏論という数学を使って表現しようと挑戦している異端児(トンデモ系)です。
―――
心を数学的に表現できるのかと「問う」こと自体からして既知外だと思われるでしょう。数学というのは物質系の領域と暗黙の提携をしているように思うからです。つまり、数学には客観主義の代表選手であり、主体(主観)など入り込む余地などないのです。私という主体が入った方程式を見たことがあるでしょうか?
例えば、ニュートンやアインシュタインの方程式などとその方程式に個人の名前が付く事はあっても式自体に意識のようなものが入ってくることはありません。意識は方程式を生み出すことがあっても、一旦、式として表現されてしまうと、その生み出した意識と式とは分離され、無関係となって式自体は誰でもが利用できる三人称の知=形式知として一人歩きするのです。
ニュートンが運動方程式:F=maを発見したその心の過程などには関心がないのです。あるのは創造性の研究をしている分野の人とか心の研究をしている人でしょう。創造性とか心とは主観の領域であり、方程式(表現されたもの)は客観の領域であり、これは水と油のようなもので混じりあうことがないのです。しかし、不思議なことに科学者の主観(心)から客観(式)が生成されたことだけは確かなのです。
ですから、客観の代表としての式:F=maを発見した主観の代表である心の過程を「こうである」などと客観のエージェントである数学で表現しようなどというのは、主観を客観で置換するようなものなのです。水を油で代用するようなものです。如何に折り合いが悪いかを想像することは用意でしょう。
一人称の小説でも、心の内実を表現するものですが、それは自然言語を使った主感的なテキストです。例えば、「今朝の目覚めはすこぶる良かった」などという内容を数学で表現できるのでしょうか?
ですから、hitorigotox氏の「言語は数学では表現できない」という意味は誰にでも受け入れられる言説でしょう。又、hitorigotox氏は、
人工知能(人工自意識)について
http://blogs.yahoo.co.jp/hitorigotox/54202335.html
で、現在のコンピュータ上での人工知能は決してこのような、ゆらぎを持つことがなく、いくら性能が向上し、ネットワークが複雑化しても、決して人工知能においては、自意識は生まれないのである。逆にいえば、人工的な自意識を作り出すためには、その内部に本質的なランダム性を導入する必要がある。そしてそれは量子力学効果をマクロレベルに増幅する機構を備えてなければならない。
―――
と人工知能の実現性について否定的に述べています。
その理由は、コンピュータ上での人工知能はゆらぎを持つことがないからだと言います。そう言いながら、人工知能の可能性を示唆しているのです。それは「自意識はランダム性(量子力学効果)をマクロレベルに増幅する機構を備えれば実現できる」という下りです。これはどういう意味でしょうか?
続く-
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