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from: 生成門さん
2012年09月30日 14時06分19秒
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外部観測の過信は思い込みによって生まれる
外部観測の過信は思い込みによって生まれる
四次元能版エヴァンゲリオン:内部観測と三角錐>
外部観測は自我の認識である
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100111589915
の続きです。
建前というのは本来、外部観測の力を発揮する認識方法でした。だからこそ、理想、仮説となって文明を発展させたのです。しかし、今や建前と言う言葉には良いイメージはありません。「建前ばかり言う」人間は表面的で形式的な薄っぺらな人間というイメージです。
日常世界では建前人間・建前主義などと揶揄されてしまうように、私達は色褪せてきているのは本能的に外部観測の限界を感じ取っているのかもしれません。
しかし、シムハンターの皆さんはそれを本能的な感じ取りで満足することはできないでしょう。外部観測の限界について更に明証してみましょう。
もし、貴方が王様だとして現場(民の心)を無視して、ありもしない臣下の偽装報告を鵜呑みにするでしょうか?
そんな王なら民の不満が爆発してクーデターが起きるでしょう。こういうのはドラマの中でだけ起きることと馬鹿にしてはならないのです。私達は意外と思い込みで行動することが多いのです。もっというと、すべての認識は思い込みであるとも言えるのです。
これを式{解釈:対象→記号}で表現するともっとはっきりします。対象=記号でなく対象→記号であることに注意して下さい。解釈とは媒介するものであり、対象から記号に変換、対応づけするものです。対象を記号で代表(表象・表現)させることも言えるでしょう。私達はこれを認識したと言うのです。
しかし、決して、対象=記号ではないのですから、表現されたものを対象とは全く別物です。しかし、それを同じものとして錯覚・混同してしまうのです。もちろん、この思い込みは生きるためには何も支障が起きませんし、支障が起きないどころか、むしろ有益です。
例えば、リンゴを認識する記号過程には、目の前にあるリンゴ(対象)→リンゴの記号という思い込みの記号過程があるのです。
これが「リンゴをください」というと「リンゴが食べられる」のですから思い込みが有益なのは自明です。この認識が思い込みだと知ったとしてもそれを捨てる人はいないでしょう。
すべての認識は記号過程であり、思い込みであり、それが進むと形式的となって、壮大な仮説が構成されます。そうなると、もはや現実からはかなり離散してしまいますから、その基づく判断と言うのは怪しげなことになってきます。
怪しげな建前(仮説)を持って政治をしても、現実に適合しなければクーデター(政変)となりますし、現代では科学的方法が発達しているから自閉的な王様のような間違いは起きないと言うかもしれませんが、ベルリンの壁が予想もしなかったように外部観測的な妄想はそれを現実と思わせる力があるのです。
革命では血が流れることが多いのですが、それは体制を維持する側が、自分達の妄想が現実だという認識に囚われていることを認識できないから起きるとなのです。これは権力の座につくと必ず嵌る構図なのです。従って、権力者は現代でも裸の王様であることには変わりはないのです。
企業に於いても起業家は起業時では現場感覚を重要視しますが、成功すると次第に官僚的となって形式的となっていきます。形式と現実の乖離が起きるのです。形式的判断とは外部観測による妄想(認識)なのです。それを支える、マーケティングやシミュレーションがどんなに高度な手法であっても、外部観測である以上、思い込みであることには変わらないのです。
続く-
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