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from: 生成門さん
2012年11月26日 16時57分33秒
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モナドックスロジー(4)モナドロジーは内部観測論である
モナドックスロジー(4)モナドロジーは内部観測論である
<四次元能版EVA:モナドックスロジー:モナドの法則>
モナドックスロジー(3)見かけの事(コト)始め
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200056621
の続きです。
真の事(コト)始めであるイデアの現象化の探求は別途にやるとして、見かけの「事始め」について探求していけばイデアとの関係も分かってくるでしょう。既にモナドはイデアのエージェントであると言ったのですからモナドの法則を発見すればイデアの正体が見えてくるはずです。 そこで、見かけの「事始め」に絞ってもう少し詳しくみてみましょう。
例えば、精子と卵の結合という「事始め」ですが、それは言い換えると、「結合」という述語が作動するときです。それが「見かけ事始め」だというのは精子と卵はそれぞれ別の個体で生成されるからです。それが出会うのが受精という出来事です。それを電子顕微鏡で見る大変と神秘的に見えるメゾスコッピクな過程があり、更に、見えませんがミクロな過程があります。その出会うまでにも延々と大海を泳いでくる競争に見える遊泳もあり連続した過程があるのです。決して精子と卵の結合という事(コト)は最初の事(コト)ではないのです。
しかし、それでは何時が最初の事(コト)かかという話になり、結局、生命の始まりはいつかという進化論の話にいってしまします。それは別途やるとして、今は、常識の範囲の始まり、起点の話に限定します。私達の始まりとは、「毎朝の目覚め」であり、「一年の計は元旦にあり」、「試合開始」、「さやるぞ」、「ゴー」という意味でのスタートなのです。それはミクロでも、メゾスコッピクでも同じです。何故なら、すべては事(コト)の連続であり、述語の連続であり、それには「見かけの事(コト)の始まり」があるのです。
連続しているのに「事(コト)の始まり」があるというのは矛盾した言い方ですが、それは連続している「事(コト)」に「一切り」をつけるからです。つまり、連続を切断するから「事(コト)の始まり」があるのです。では、一体、誰が「一切り」をつけるのでしょうか? 当然、それは内部観測者=認識の主体=モナドです。マクロな世界では人間など生き物です。しかし、モナドは人間など生き物だけではありません。あらゆる「物」がモナドなのです。ですから、内部観測者が自己の関わる対象を認識して、それに「一切り」をつけるから「事(コト)の始まり」=起点があるのです。
ミクロな世界、例えば、電子のようなものが人間と同じように対象を認識するという論理は信じられないかも知れませんが、内部観測論というのは、そういう物の見方をするのです。このような見方というのは内部観測論の専売というわけではありません。モナドロジーのいうモナドは「自ら動く」「すべてを写す」「予定調和する」という表現を「圏法」に従って置換していくと内部観測論になるのです。内部観測論はそれを具体的に、しかも、ミクロの世界でその様子を説明しているところが一歩前進したと言えるのです。 ということで、受精から排卵を「一区切り」とする内部観測論=三角錐の視点で見てみましょう。
続く-
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