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from: 生成門さん
2013年02月15日 19時57分40秒
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認識の長さとは差異の程度
認識の長さとは差異の程度
<即非螺旋認識ゴマの臨床(2)>
未来の認識を導くための予備訓練
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200155023
の続きです。
想起は記憶をスカラー(長さ)とするベクトルであると言いましたが記憶が長さであるという言い方には違和感があるでしょう。この違和感はどこからくるのでしょうか? 記憶というのは印象でもあるのですから、そこには情報があるでしょう。つまり、記憶は情報なのですね。情報は間違いなくスカラーですから、それに方向を与えればベクトルになります。ここは微妙なところです。想起するから記憶が甦るのではなく対象への指示しがあるから記憶が想起するのですね。この辺のからくりはコンピュータの仕組をイメージすると容易に類推できるでしょう。記憶されているものを呼び出すには指名しなければならないのですね。俗な例えでいうとクラブで好きなホステスがいたとしてそのホステスを指名しなければ自席に呼べませんよね。
情報を長さと考えれば膨大な情報が含まれている記憶は長さが大きいと言えるでしょう。初対面で印象が深ければそれだけ長いというわけです。認認コマの長さは円盤の大きさになりますし、円錐の大きさになります。コマをダムに例えれば、ダムに蓄えられた水が情報(記憶)ということになります。しかし、読みが深いとか浅知恵とかいうように円盤が広くても底の浅い認識もあるわけです。扁平なコマから線の様に細長いコマまで認識の形は様々ですが、その多様性はスカラー(長さ)という量によって決まるのですね。
それでも認識に長さがあるという考えには馴染みにくいものです。それは長さの概念が常識的な距離を連想してしまうからです。記憶が五キロと言われてもピンとこないですよね。認識のような心の作用をスカラーやベクトルという言葉で語るためには、まだ私達は準備が足りないのです。そのために必要な準備としてまずやらなければならないことは物理的な距離の概念を捨てることから始めましょう。
二人の間には距離があるなどと言いますが、これなどは物理的な距離概念を利用した表現になっていますが違和感はありませんね。それは物理的な距離のイメージを払拭して心理的な差異のメタファーを距離として表現しているからですね。
こうした使い方を普遍化すれば差異の程度をスカラーとして利用できることになります。もちろんそうした心理的差異は身長差などと同じように物理的な(メートル)で表現することはできないのですが、それに変わる何か別の物差しを持ってくれば可能でしょう。長さは差異の程度であるとすればベクトルの応用範囲は一段と広がるでしょう。当然ですが心の狭い人とか度量のある人などという表現もベクトルとスカラーで表現できるでしょう。
続く-
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