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from: 生成門さん
2013年07月31日 12時42分06秒
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ダランベールの原理は三人称認識を一人称認識に変換したものである
ダランベールの原理は三人称認識を一人称認識に変換したものである
<PS理論との共振>
PS理論の海舌氏がダランベールの原理は三人称認識を一人称認識に変換したものである。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=813909
とオイラー=ラグランジュ方程式は、三人称認識(ニュートン力学における運動方程式)を一人称認識に変換したものである。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=813911
を投稿しました。
興味深い考察です。早速、賞味してみましょう。
唯物=物理ですが、同時に物理ほど客観的な世界(言語ゲーム)はないでしょう。客観的とは第三者に勝手な解釈を許さないというぐらい三人称の視点に立った厳しいルールです。当然、原理と名がつくものはその頂点に立つでしょう。ところが、その原理の中には一人称の原理があるというのです。これには驚きです。仮説ならまだしも原理に主観的原理があると言っているようなものです。そんなことがどうして言えるのでしょうか?
先ずは、「ダランベールの原理」を理解することから始めましょう。意識を覚醒させるために、「ダランベールの主観原理」と言い換えてみます。普通なら、これは意訳どころか誤訳です。何故なら、原理とは原初・原点の理であり、物理現象を説明する前提(命題)だからです。超高層ビル(物理)の土台に当たるものです。これが揺らいでしまったのでは話になりませんから原理というのでしょう。
海舌氏は「ダランベールの原理」が一人称の原理であることを説明する為に、まず、ニュートンの運動方程式を導入します。これは、F=am で表現さるもので、力(F)は加速度(a)に質量(m)を掛けたものであるというお馴染みの式です。
このF=amは、例えば、車に乗ってアクセルをふかせばどんどん加速していき、速度が100km(任意)に一気に達しますが、その過程を外部の観察者の視点で表現したものです。ここで重要なことは運転者の視点では「ない」ということですね。運転者は運転に意識が集中していますから観察どころではないですよね。外の景色や前方には注意を向けているでしょうが。
外の視点とは、その観察の対象=車という存在に注意を向けることです。これが外部観測の条件であり、それを抽象的に表現したのが方程式なのですね。観察の対象は車ですが、これを抽象化すると点となります。ただし、質量がある点ですので、その振る舞いは「一質点の運動」ということになります。車の属性(型式や価格や人)はすべて無視します。これが外部の観察、第三者=客観的視点で観察した時の表現です。F=amは更に、あらゆる質点(物体)に一般化され、自転車、ボール、地球などで検証され厳しいテストでもおなじ結果となり、普遍的に正しいことが実証されたので客観性(真実)を保証する原理(運動方程式)として格上げされたのでしょうね。今ではこの方程式にイチャモンをつける人はいないでしょう。
さて、次は、ダランベールの原理です。ニュートン運動方程式は誰でも知っていると思いますが、ダランベールの原理はそれほどではないと思いますので、海舌氏に沿って簡単説明します。
結論的にはダランベールの原理はニュートン運動方程式F=amを「F - am = 0 」と変形したものを言います。たったこれだけです。このように式を変形しただけで海舌氏は「三人称認識を一人称認識に変換したものである。」と看破したのです。これはすごいことですね。ただ、本当にそうなのかというところがまだよく分かりませんね。
詳しくはこちらを参照してください。http://blog.kaisetsu.org/?eid=813909-
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