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from: 生成門さん
2013年07月31日 13時28分44秒
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ハイゼンベルグは三人称(ドブロイ波長)を一人称(不確定性の原理)に変換した?
ハイゼンベルグは三人称(ドブロイ波長)を一人称(不確定性の原理)に変換した?
<PS理論との共振:ダランベールの原理は三人称認識を一人称認識に変換したものである(続き)>
http://blog.kaisetsu.org/?eid=813909
海舌氏の三人称⇒一人称の構造と方向性で重要なポイントは、三人称の対象が原理だということです。つまり、高度で客観的な知だということです。しかも、それを引用するのではなく、変換するということです。違うのは人称の視点だけなのです。ガンジーの理念をガンジーになったつもりで、意味を付加しないで翻訳するのです。禅論理やプラトンのイデアやアリストテレスを引用するのではなく、本質を変えないで一人称に変換できたら三人称⇒一人称の認識に変換したと言えるでしょう。
数式の世界を映画化したものがあります。数式は大概三人称ですから、それを一人称に変換するとどうなるのでしょうか?
博士の愛した数式http://hakase-movie.com/main.html
この映画は交通事故による脳の損傷で記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者「博士」と博士の新しい家政婦である「私」とその息子「ルート」の心のふれあいを美しい数式と共に描いた作品です。
鑑賞してみると「なーんだ」ですね。数式が題材となっていますが、情の三人称ドラマであって、三人称(オイラーの式)を一人称化したドラマではありません。
やはり、ダンベールの原理が一人称の数式だと看破した海舌氏の慧眼はすごいですね。
四次元能はかねてより、唯識や陰陽論をはじめする心の全般、特に、意識の不変量(変易の中の不易)の数学的構造を探求したいと思っているのですが、まさか、数学に一人称の数式があるということは思いも及ばなかったです。これがきっかけとなって意識の不変量を求めることができるでしょうか?
当然、数学のプロでも三人称⇒一人称をやるとトンデモになってしまう可能性があることが分かってきました。つまり、美人局をやるかもしれません。まして、素人がやったら、もっとひどいことになるでしょう。
それを見抜く力が欲しいですね。
ハイゼンベルグはドブロイ波長を不確定性の原理と名称変換したらしいのですが、言い換えると、三人称(ドブロイ波長)を一人称(不確定性の原理)に変換したのではないでしょうか?
というのは不確定性の原理(二兎を追えない)は、名前は原理ですが、ドブロイの式(二兎を追える)λ=h/pをハイゼンベルグが人為的にΔxΔp≧hとしたのです。三人称の知「二兎を追える」から一人称「二兎を追えない」と変換したのですね。確かに、ドブロイは地球(陽子)と月(電子)の関係から水素というミクロの内部は観測できないが、軌道モデルを客観的に提示することはできるとしたのです。しかし、ハイゼンベルグは内部観測者として内部に入ってみたら(思考実験的に)そこでは二兎を追えなかった。だから電子は確率の波と思うしかないと考えたのです。電子を外から見るのではなく、電子になったつもりで内部から見たのです。そうやって、ドブロイの式を不確定性の関係式に変更してしまったのです。これはまさに、三人称⇒一人称への変換です。その結果、外部の観測者が現れたときに、波束を収縮するので電子を観測できるという多世界解釈が生まれてきたのです。ここから超「ひも」理論まではもうすぐですが、問題は、変換は何時も正しく行われるという保証はありません。美人局(間違う)の可能性だってあるのです。その疑いが今、ハイゼンベルグにはあるのです。これについては別途探求しています。もし、ハイゼンベルグがこけたら先端物理(量子論・相対性理論・超「ひも」)は全て扱けるのではないでしょうか?-
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