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from: 生成門さん
2013年08月21日 12時14分42秒
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プラトンとロシアの関係
プラトンとロシアの関係
<資本主義は死なない?>の続き
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200402842
資本主義の延命はできないということになりました。ではどうすればよいでしょうか? ユニークな試みとして長沼氏の「碁石理論」http://pathfind.motion.ne.jp/goishi.htmがあります。これによると「呼吸口(精神の呼吸)の数さえ十分に確保すれば人間の住める場所は拡大することが可能ではある」という理論ですが、詳しくは別途にすることにして、ここではロシアの試みを探求します。
ロシアは資本主義に乗り換えたもののその展望はないと気が付いたのでしょうね。まだ、一部の知識人だけでしょうが、新しい国を目指そうとしています。何故、ロシアはかつてもそうでしたが国づくりを実験のように簡単にできるのでしょうか? ロシアは西洋とは思考が違うようですね。ロシアは臨床国家なのではないでしょうか?
革命はその国で起こすものとは限りません。資本主義はグローバル化したのですから、どこでアリの一穴になるのかは分かりません。既に金融崩壊で経験したようにあっという間にそのシグナルは伝播するのですね。今、焦点を当てたいのはロシアの日本人科学者です。日本人でありながらロシア・スミルノフ派に属して社会革命を起こそうというのですからね。これが成功するのかどうかは予断できませんが、その主体が既知外(既存の枠に嵌らない)プラトン主義者:佐野博士であるというところの着目してみましょう。
今人気の佐野千遥博士のヒカルランド5月10日講演内容:「正統派」現代法学・政治学批判
http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11529402641.html
佐野博士については別途じっくりと取り上げますが元マルクス主義者というのが面白いところですね。マルクス主義が惨敗した後プラトン主義に転向したわけですが、何故、革命の思想がマルクス主義の延長でなくプラトンなのでしょうか?
佐野博士は、資本主義が諸悪の根源は「需要供給の法則」に基づく経済的取引市場にあるとその「見えざる手」を断罪します。また、民主主義とは「需要供給の物質的打算法則」に基づく政治的取引市場であるに過ぎないとも言います。民主主義が打算に基づく政治的取引市場なら真理を探究する場とは言えないでしょう。もし、国会を真理探求の場にしたいなら、政治的取引のエージェントである政党代表の議員の参加は禁止すべきであると主張しています。
四次元能が注目しているのは、佐野博士がプラトンの「哲人政治」を主張しているということです。哲人政治は実現できない観念であり、プラトン自身が失敗したのですが、佐野博士な再びそれを持ち込もうとしているのです。本当に、そんな事が出来るのでしょうか?
更に佐野博士は「美学は科学の中に位置付けられるべきである」と言っています。男性美の極致は武士道であり、女性美の極致は美人ではなく母性愛であるというのです。美を社会革命の核に持ち込むなどというにはまさに既知外(打算の枠外)ですね。美はプラトンの三大イデア(真善美)の一つであり、社会の核に真と善を持ってくるのは当然としても、美を持ってくるのですから、誰もが「?」と思うでしょう。しかし、それは単なる思い付きではないようです。ロシアには「美を国家の基準にする時が来た」という風潮があるようなのです。西洋でも美についてはそれなりの位置にあったでしょうがとても扱いにくかったのでしょうね。何せ、美の基準は人によって違うのですからね。ですから、美は芸術にくれてやったのですね。そして物質主義に傾斜して真と善をうまく結合させて法治国家、資本主義経済を作ったのですね。ただ、その結果がこの体たくとなったわけです。
本当に美を国家の基準にする時が来たのでしょうか? ロシアはプラトンで再生するのでしょうか?
仮にそのような動きがあっとしても、その前に資本主義崩壊と道ずれになるかも知れませんね。
それはともかく、ロシア・スミルノフ派という物理の世界に精神主義の権化のプラトンが浸透するのはどうしてなのでしょうか? どう考えてもロシアとプラトンというのは奇妙な取り合わせに見えるのですね。その当たりをざっくりと見ておきましょう。ロシアとプラトンの関係はここにきて突然出てきたわけでなく19 世紀 30−50年代ロシアのころのからあったようです。それがまた活性化してきたことの様です。
19 世紀 30−50年代ロシアプラトン解釈の諸相
神学的・美学的・社会学的・哲学的読解の交錯
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/publish/no20/2_shimosato.pdf
ロシアのプラトニズムは、どのような文脈で扱われているでしょうか? 杉浦秀一氏の「ロシア・プラトニズムとウラジーミル・ソロヴィヨフ」
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/publish/no12/01_sugiura.pdf
によれば、次のように要約できるようです。
第一に、ロシアはプラトンの観念論を重視しているということです。言い換えると、西欧がアリストテレスであり、ロシアはプラトンであるということですね。
第二に、プラトンはキリストであるとしていることです。イデアを現実にするには力が必要ですが、この力を持つためには媒介者がいなければなりません。プラトンはそれを見つけられませんでした。ここにプラトンの限界があったのですね。この限界を乗り越え、真の「媒介者」、イエスを見出したのがキリスト教でした。プラトンはイエスを知らなかったキリスト教徒であると言われ所以でもあります。こうしてプラトンとキリスト教が結合されたのです。
第三に、プラトニズムとネオ・プラトニズムは同じものだと解釈しています。プラトン、フィロン(プラトンをギリシャもモーゼと呼んだ人)、プロティノス(ネオ・プラトニズムの創始者)はプラトンを継承していると考えているからですね。その結果、流出(一なるもの」から順次下位の階層へと流出する過程)がプラトニズムの基本的観念となっています。
第四に、プラトンとカントは正反対の思想として対置されます。
以上、簡単にプラトンとロシアの関係についてみてみたのですが、更にじっくりと探求してみたいのですね。しかし、今は、その余裕がありません。何しろ多くにテーマをたれ流して、置き去りにしてきましたからね。どこかで収拾しなければなりませんね。-
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