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from: 生成門さん
2013年08月28日 08時57分27秒
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非決定の不安を補うために予定調和させる神が必要となる
非決定の不安を補うために予定調和させる神が必要となる
<PS理論との共振:悟りとは仏(三人称)を一人称に折り畳むこと>の続き
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200410941
人間は半導体のように半人称であり、生きるために一人称、よりよく生きるために三人称として切り替えているのですね。ただ、一人称には非決定性(未来を予測できない)という限界、三人称は不完全な予言性という弱点があります。人間はそれを知ったうえで利用して生きているのですね。不完全ながら限界に挑戦するという矛盾を引き受けているのですね。コンピュータなら無限ループかフリーズですが、人間は矛盾しても生きて行けるのですね。それは矛盾を繰り越しできるからですね。その繰越し方ですが、未来が予測できないとしても、確率的にサイコロを振ったりしないで、直前の状態で未来を決定してしまうのですね。非決定を決定にするのですね。この行為は人間だからできることですね。その方法とは目的・目標を決めることですね。目標を決めるということは未来を決定することです。未来は一人称では非決定なのですが、それを三人称で予測して、それを一人称に折り畳むのです。意図するというのは意思を決定することです。非決定な未来を決定するのですね。これはモナドで言うと予定調和させるということです。予定調和とは非決定を決定するモナドのテクノロジー(矛盾繰越術)なのですね。矛盾繰越術に問題はないのでしょうか?
「多い」にあります。それは予定調和に失敗するということです。予定調和とは未来の失敗を防ぐ、ある意味でエントロピーの増大を防ぐ方法なのですが、失敗はエントロピーを増大させてしまうことです。何故失敗するのでしょうか? それは未来が非線形カオス(予測できない)だからであり、目標を決める段階で線形化するからです。線形化とは近似であり、実際に複雑なカオスではその通りにならないことが多いのですね。非線形カオスに対して人類の知はまだ不完全だということですね。だからこそ、その不完全を補うために神が必要なのですね。意思決定しても本質的に非決定なのですから不安ですよね。そこを補うのが予定調和させる神が必要なのですね。しかし、それはあくまでも、不完全さを補う心理的な補償でしかなく、裏切られることを覚悟した決定なのですね。そうして矛盾が露呈するのですね。人間のすごいところはそれでも生きて行けるというところですね。さて、そうなると、どのように三人称の不完全さを補うのかということですね。それを仏教とキリスト教を題材にして探求してみましょう。
結論を先に言ってしまいますと、仏教は空の概念を持ち込んで非線形カオスのまま決定し反エントロピーを実現する方向に、キリスト教は非線形カオスを線形化することによって解決しようとするということが言えるでしょう。軍配はどちらに上がるのでしょうか?-
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