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from: 生成門さん
2013年11月11日 16時47分34秒
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視床はテレビの電波塔の役割をしている
視床はテレビの電波塔の役割をしている
<神の数学との共振:脳は矛盾を感情という遅延回路で解決している>
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200497842
矛盾は時間で解決する方法があるのですが、それを生物は魚の時代から実現していたということですね。逃げるべきか、逃げなくてもよいかというジレンマに置かれた魚は逃げなくても良いというホルモン(情動)を発して反射的行動を遮断するのです。行動を遅延させることによって知を進化させたと言えるのですね。知のルーツは情動(感情)だとも言えるわけです。
そこから類推すると感情と思考の相互関係が見えてきます。感情と思考は別々のものではなく不可分なのですね。ですから、矛盾という体験を論理だけ考えていては現実を取り逃がしてしまうのということになりそうですね。
知的とは文字通りの裸の論理ではなく情動論理でなければならないのですね。魂の論理でなければならないのですね。そんなことは魚だって知っていたという話です。人間は数学からも、哲学からも、論理からも、物理からも魂を抜き去ってきたのですね。ルソーの「自然に戻ろう」の真の意味は「先祖へ帰れ」だったのではないでしょうか。
その「先祖へ帰れ」を知の最前線、論理学の分野で実践したのがヘーゲルだったのではないでしょうか。ヘーゲルは古典論理が禁止した矛盾律を超越したのです。それを弁証法という認識の方法・実践方法として世に示したのですね。カントが同一律を、ヘーゲルが矛盾を、竜樹が排中律を破ったと言いますが、具体的にどのようにして越えたのでしょうか。
玄語は排中律を基礎にしているのか?
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100109723147
具体的なことはよくわかりませんが、ヘーゲルを越えなければ竜樹の即非と陰陽論をベースとするプラトンのイデア論には届かないようですね。天下りにプラトンから行くのも良いですが、ややもすると神秘主義に陥る危険性がありますので内部から破っていく方法も良いでしょう。
最近は知性の権威の内部からの反乱(間違った数学を使っている相対性理論や量子論は間違っているという指摘に基づいた反エントロピー宇宙論や神の数学など)が相次いでいますので、物理という知性の内部から打ち破って行くのも一つの方法でしょう。
知性とは論理のことであり、その中でも古典論理です。古典論理とは同一律、矛盾律、排中律のことですので、ヘーゲルを経由して竜樹に行くためにも、先ずは同一律を破ったカントから始めないと話が始まらないような気がします。カントは知性には限界があると言ったようでうすが、その知性とは同一律のことだったのでしょうね。
誰でもカントに賛成するなら唯物論や決定論を捨てざるを得なくなります。カントが言った「物それ自体」については「語り得ない」という言明は確かにその通りで反論の余地がないからです。物は電子からできています。光が物自体の情報を持ってきますが、網膜で電子に置き換わって、電気信号になって視床で増幅されて大脳に伝わります。すべて電子が媒介しているのですね。その電子が脳の水場で再び光となって意識へと変わっていくのですね。脳科学の言うようなニューロンネットワークによる回路によって意識が生成されているのではないのですね。光が記憶になり、意識に変換される前代未聞の量子論的メカニズムがあることが発見できました。その外部(情報)と内部(意識)を繋ぐ接点が視床だったのです。デカルトは視床の裏側にある松果体としましたが「当たらずとも遠からず」でしたね。視床はテレビの電波塔の役割をしているのですね。-
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