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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2013年11月11日 17時40分13秒

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    九進法は一人称の数学であり、直感の数学だ

    九進法は一人称の数学であり、直感の数学だ
    <神の数学との共振:感性を取り込んだ知性というイデアがある>
    http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200499957

    魚が「逃げない」と判断するのはホルモンの力(情動)です。進化の原型は遺伝子ですので情動ホルモンと言ってもいでしょう。そして情動は感情に進化しました。情動=感情とくれば次は感性でしょう。感性とくれば直観です。こうして連続性=同一性は維持されているのですが、その根源を遡っていくと、どうしても不連続なイデアに行きついてしまうのですね。

    イデアには感性がないというのがプラトンですが、感性は情動由来なら遺伝子ということになり、遺伝子の根源はイデアですからイデアには感性がないというのは間違いです。感性と言えば、次に思い浮かぶのは直感ですね。直観とは何でしょうか。

    仮に、直感がないとすると私達は困ったことになりますよね。子供だって手の指を折って一つ一つ数えます。この計算でさえイメージに頼って行われています。暗算をするときには、頭の中にはいつもそろばんの珠が動いているのですね。この指計算は1,2,3,4,5,6,7,8,9と数えます。これは九進法の始まりです。しかし、9以上は数えられません。そこで9以上は数える必要性が出てきました。それが農耕文明です。保存する=記録する=記憶するという知が出てきたのですね。それで数える方法も進歩したのです。その契機が記録することです。9まで来たら何かを代用して1とするのです。こうして桁上がりという概念を作ったのですね。10=(1~9,0)はまさに数の拡張です。桁上がりの代用は何でも良かったのですが、他人の指を延長することを思いついたでしょう。隣に並べることで数えられますよね。これが算盤のモデルです。

    どうして仲間の指を数えることの代用にできたのでしょうか。それは農耕文明にあります。農耕の本質は共同作業です。協同することが十分に訓練してできていたからこそ仲間の指を代用できたのです。

    しかし、この素晴らしい結果と同時に失う物がありました。それは直感です。一人の指計算には直感が必要でしたが、協同するとなると直感は邪魔になります。計算から直感が失われたのは指が計算する機械と化したからです。これが十進法には魂がない、九進法には魂があるということの根拠ですが、結局、知性には人称認識が関係しているというといことですね。

    九進法は自分一人で数える方法ですから一人称であり直感が必要です。十進法は計算する機械ですから三人称であり、直感は邪魔なのですね。結局、プラトンもイデア=知性として直感を捨てたのは、この三人称に認識を優先する方向にドライブがかかってしまったからと言えるでしょう。現代数学の殆どが三人称の認識となっていることに注意すれば矛盾(パラドックス)もその根源は三人称の認識にあることが分かってくるでしょう。

    無限というのは三人称の神のことです。三人称の認識なんて存在するものではありません。存在しない無限を存在するとして計算するから矛盾が起きるのですね。どこまでも数えることができる算盤は存在しませんが、頭の中なら存在させることができます。無限の算盤=神が存在する根拠はこうした十進法から出て来たのですね。自然とともに生活していた古代人は神がいつも一人称としてそこ(自然)にいましたが、十進法を使うことによって神を三人称にして祭ってしまったのです。そして都合が悪くなるとこっそり裏から招き入れたのです。これではっきりしました。神にも一人称と三人称の神があるということですね。

    直感は一人称ですから経験に頼っているということですね。暗黙知(表現できないがある)というのがありますがこれは経験の知です。炊飯器は三人称の知ですがその大元は主婦の勘(暗黙知)です。暗黙知という曖昧な感性を直感論理(ファジー数学)という方法を使って数値化したのが炊飯器なのですね。如何に知は直感と結びついているのかという証拠です。しかし、直感は経験だけに依存しているのでしょうか。そうではないことは自明ですね。魚の情動は遺伝子由来です。これを見ても経験だけとは言えないですね。もっとも直感から遠いと思えるのが数学ですが、その数学こそ直観頼みなのですね。主婦が炊飯するというのは一人称で数学をしていたのだということです。九進法も一人称の数学であり、直感の数学だということが言えるでしょう。

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