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from: 生成門さん
2013年11月15日 11時40分41秒
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知性、感性、理性のハイブリッドな言語ゲーム
知性、感性、理性のハイブリッドな言語ゲーム
<神の数学との共振:知性だけの自己主張ではなく雑掌魂をもった理性的主張>
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200503951
多くの場合、知性がなければ沈黙するか、情熱だけで説得するかしかありません。一騎打ちの闘いなら体力ですが現代野球やバレーやサッカーを見ても分かるように知的になってきています。MLBでは凄いデータベースを使っているのですね。バレーでも知的でないチームは確実に負けますね。
恋愛ゲームではまだ知的なプレーヤーが勝つとは言えない状況ですね。恋人を説くのに知性はむしろ邪魔することがあるかもしれませんね。沈黙でも情熱があれば成功することがありますからね。政略結婚の場合は知的ゲームと言えるでしょうが、それはもはや恋愛ゲームとは言えませんね。ゲームが違ってしまうのです。理性と知性と感性がどのような関係にあるのかを見てきましたが、単純に理性/知性/感性という具合に切れ目を入れて別々に考えるのは無理があるようですね。多くの場合、理性と知性と感性は重なって出て来ることになるからです。
恋愛ゲームだって純粋な情熱だけの世界といは言えません。ロメオとジュリエットのような打算のない恋愛など現実には存在しないのではないでしょうか。同じようにすべての社会的な場面での振る舞いは知性、感性、理性のハイブリッドな言語ゲーム(ボディランゲージも含む)となって来るのですね。
そうであるなら次に向かうべきは理性と知性と感性の三つの重なり方です。構造と方向性ですね。構造と方向性というと数学の出番ですが、それはまだ早いようですので、もうしばらくは、カント路線で行きましょう。
特に理性と知性は似ているので要注意ですね。これについては既に述べました。そこで分かったことは理性的な態度とは言うけど知性な態度とは言わないし、理性があるとは言わないが知性があるということで区別できると言うことです。しかし、だからと言って別々に作用するものではないということです。作用するときはハイブリッドになって働くのですね。その証拠に二つを合わせて理知的な人とか理知的な態度(議論)ということに現れています。
その一方で、理感、知感とは言わないのは不思議ですが、現実には理性的で且つ感情的、知性的で且つ感情的に振る舞うのは難しいのでしょうね。理と感、知と感はハイブリッドにならないのでしょう。理と感と知が三つになるとハイブリッドで働くのでしょうね。いずれにしてもこれらは重なってくるので、人間は複雑な動物となるということは間違いないことです。
ここまでを纏めておきましょう。
はっきりしたことは「理性は知性があって始めて成り立つ態度(選択)だ」ということです。理性は意思であり、知性は知識ベースだとも言えるでしょう。議論するためには筋を通すことが重要ですが、知識がなければ筋が通せなくなりますよね。あなたが経営者なら投資家に対して投資に対するリターンのシナリオをきちんと説明できなければ、投資を受けることはできません。いくら情熱があっても投資を受けることはできません。そこには理知的な説明が最低必要なのだということにことは同意するでしょう。感性=情熱は十分条件だということでしょうか。
これは纏めですが、どうも締まらない纏めですね。これが素人のできる知性・理性・感性の常識的な解釈(纏め)の限界だということです。しかし、これでは同一律を超えたカントを超えることはできません。当然、排中律を超えた竜樹には辿り着くことはできません。そこでカントに沿ってその先にコマを進めてみましょう。-
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