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from: 生成門さん
2014年08月05日 12時19分16秒
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雪国は鏡面対称の物語だ
雪国は鏡面対称の物語だ
<Sとの共振>
ツイッター連動
https://twitter.com/fractaleman68
http://twilog.org/fractaleman68/date-140421
川端康成の雪国の冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は有名ですが、ここに時空反転の秘密が隠されていると思うのですね。この小説自体が鏡面反転=鏡が国のアリスのような構造になっていますので、また別途取り上げてみたいと思います。ここでは以下のHPを参考にして日本語と英語の違いから鏡面対称を浮き彫りにしてみましょう。
リベラル21
http://lib21.blog96.fc2.com/?no=357
ここでは「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を英訳することが如何に難しいかを述べています。そこで翻訳された文章は
The train came out of the long tunnel into the snow country.
汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た。
となっています。これはサイデンステッカーの翻訳であり、主語を汽車にして簡潔に表現したまさに「コロンブスの卵」であるとリベラル21の松野氏は評価しています。川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」では、主語はないのですね。ないというより文脈に依存しているのでどうにでも解釈できるということになります。英語では絶対に主語が必要であり、それを決めないことには文が成り立ちません。そこで、サイデンステッカーは汽車を持ってきたのですね。
ここで、日本〈東洋〉と西洋の違いが日本語と英語の違いとなって現れていると解釈して、次ぎのような対比を作ってみます。
東洋:一人称=内部観測=空間優位
西洋:三人称=外部観測=時間優位
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の主語は明確ではありませんが読み手自身を主役にする手法であるともいえるでしょう。読み手が主語になれば確かに長いトンネルを抜けたら雪国であったと言うのは実感できますね。ですから私=一人称であることは間違いありません。「気が付いたらそこは雪国だった」というのは、まるでテレポートされた空間認識です。ここには時々刻々の時間認識がありません。川端康成は空間優位に認識の持ち主だったのでしょうね。これを西洋的常識=三人称の認識=時々刻々の変化では理解できません。英語圏では認識の主体が必要なのです。しかし、主語が示されていないのですから勝手に想定する訳にはいきません。ですからこれをそのままはできま翻訳することはできません。
これを英語に翻訳するためには三人称に変換する必要があるわけですね。主人公(島村)を主語に持ってきても良いのでしょうが、それだと陳腐な文章になってしまします。苦肉の策としてサイデンステッカーは汽車を持って思ってきたのですが、これは空間優位を時間優位に変換したと考えて良いでしょう。
川端康成は日常の世界の三人称的時間優位の認識を逆転させて一人称的空間優位の世界を創作したのですね。 サイデンステッカーはそれを更に逆転させてしまったのです。これは英語圏の文化(思考)は時間が極めて優位的に作用する認識の傾向があることの証拠と言って良いでしょう。
というわけで、この冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、鏡の国に入るという宣言だったのですね。小説全体が陰(鏡の世界)と陽(日常の世界)の対構造になってい入ることからも良くわかります。その境界がトンネルだったのですね。
主人公の島村は、ふだんは東京で妻子とともに暮らしています。そしてときどきトンネルの向こう側の雪国へ行って芸者駒子と過ごしています。東京と雪国との間は非連続であり、すべてが反転しています。東京が日常の世界だとすると、雪国はいわば異世界であるわけです。だからこそたんなる「トンネル」であるより「長いトンネル」である方が、タイムマシン付テレポーテーション効果が高いということでしょう。-
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