サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: 生成門さん
2014年10月10日 11時13分52秒
icon
全体とは何か
全体とは何か
<G生命論>
生命論
http://www.tetsugakushobo.com/book/099.html
を参考に探求しています。
2014年10月09日(木)20 tweetssource
19時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
鳥の目で全体認識が可能になったとしても
全体=自己中の全体
自己中の全体+それ以外=真正の全体
の矛盾は解決しない。
このことをもっとクリアカット(明晰)にして見よう。
明晰にするために
生命の定義(ルーツ・秩序・変化)
生成の三位一体
クリアカット
を武器にする。
posted at 15:08:13
20時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
温暖化は全体認識を間違えたことで起きた問題である。これは特殊なのだろうか。仏教ではすべては繋がってるという。生態系はその現れれである。しかしこのような認識は通常はしない。人間は小さな地域で生きているからである。アリには地球は関係ないのである。
posted at 15:02:34
20時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
温暖化問題は外観法の全体認識は対象と観測者の分離から生まれた。
生活範囲=全体である。
しかし、正しくは
生活範囲+地球環境=真正の全体
である。これが温暖化問題の本質である。
posted at 14:47:57
20時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
全体=自己中の全体
であるが、これは暗黙に
自己中の全体+それ以外=真正の全体
である。
このことを忘れてしまうから問題が起きる。
こんなこと当たり前だと言って笑って見過ごすことはできない。
posted at 14:44:13
20時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
全体認識は厄介である。日本人にとって全体とは日本なのである。しかし世界が存在する。だから全体は二つあることになる。日本の事を考えるとき日本を全体としても問題ないことの方が多い。しかしグローバル化した今はそうはいかない。世界の中の日本として認識しなければならない。
posted at 14:34:57
20時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
外観法の全体とは内部のことである。日本人にとって国全体の全体は日本のことである。しかし、全体は世界である。全体が二つあることになる。これが外観法の問題である。全体は二重化されている。このことを良く知るべきである。式で表現すると
日本という全体+日本以外の国=世界全体
である。
posted at 14:29:51
20時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
外観と内観ではどんな違いがあるのだろう。明かにシステムアプローチは外観法である。外観法とは対象と観測者を分離する。観測者は対象を「である」と定義する。観測者にとって対象は全体である。政治家に国は全体である。国体という。国全体は外観で認識された全体である。憲法は国全体を対象とする。
posted at 14:24:29
20時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
G生命論はルーツ・秩序・変化が視点である。これによればシステムでさえ生命になる。しかし、明らかにシステムは生命ではない。何が欠けているのだろうか。Gは内部観測論である。内観法によってシステムを見て行こう。システムが生命なのに生命になれないのは外観法によって構築するからである。
posted at 14:16:26
20時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
PS理論・S科学・G生命論はモダンをトランスする概念装置である。特にPS理論は逆照射型である。今はG生命論を逆照射してみよう。何が欠けているかが見えて来るだろう。
posted at 14:08:11
21時間前@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
PS理論は逆照射型の概念装置である。概念装置というのは分かり難いが要するの言語ゲーム=物語をするマシンである。こうなると装置とか機械の概念を脱構築しなければならない。
posted at 14:04:09
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
GとPS理論の補完関係はS科学にも言える。Sは科学から超出している。その物語はマクロからミクロまで幅が広い。ただイデアや生命には届いていない。だからこれをPS理論で逆照射してみるのである。そうするとSに抜けている部分が見えてくる。Sは数学が中心だから遥かにクリアカットである。
posted at 08:05:10
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
G生命論を否定するのではなくPS理論を使って救い出すのである。GはPS理論が持っていない数学的、記号論的、意味論的な厳密さがある。だからより深い展開が期待できるのである。
posted at 08:01:18
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
G生命論の探求に埋没してしまうと重要なことが抜けてしまう。確かにG生命論は新しい枠組みを提供してくれてはいる。これまでの科学の欠陥が分かる。しかし、何が抜けているのかは教えてくれない。その為にPS理論はクリアカットにその欠落を浮き彫りにしてくれる。
posted at 07:56:41
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
G生命論とPS理論の三角形の比較をしてみよう。Gは生命の限定されている。PS理論は森羅万象である。明らかにG>PSである。ガウス平面をみても分かるように虚軸=気軸=イデアがある。Gにはこれがない。PS理論を逆照射することでG生命論にないが欠落しているのかが見えてくるのである。
posted at 07:52:05
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
PS理論だけでなくGの生命生成論にも三角形が出て来た。こちらの三はルーツ、秩序、変化であり生命を探求する概念装置である。この三の視点とその一体化を図ることと厳密さを担保することでより生命の本質に近づけるという。一方PS理論は森羅万象の理論である。これらはどんな関係にあるだろうか。
posted at 07:45:50
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
PS理論の概念装置であるガウス平面を拡張したPS三角錐は更に精緻な物語を展開できる。今はこれについては触れない。詳しくはこちら。
http://www.beach.jp/circleboard/ad0178/topic/1100200104817...
posted at 07:37:24
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
ガウス平面は+1,-1,原点、i,-iという頂点があるが、+1=物質、-1=精神、原点=MP,虚軸(i,-i)をイデア由来の陰陽気、原点=MPをイデア(気)と現象界を接続するメディア界とすると精緻なPS理論となる。ガウス平面はトランスモダンの三角形とも同型である。
posted at 07:33:48
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
PS理論の枠組みはトランスモダンの三角形で示すのが一番分かり易い。
http://www.beach.jp/circleboard/ad0178/topic/1100200853999...
この三角形のイデア・精神・物質は互いを照射している。これがMPに相当する。精神と物質は共に現象だからPS理論のイデア・メディア・現象(物質・精神)と同型になる。
posted at 07:27:02
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
S科学は負の質量を持ち込んいるので物質科学とは言えない。反エントロピーの科学である。反エントロピーとは精神活動だから唯物論とは言えない。二元論を超えているのである。 https://pic.twitter.com/4LcQSgl6K1
posted at 07:18:45
10月9日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
モダンからトランスすることが資本主義で汚染された現代社会の緊急の課題である。それを理論的に牽引するのがPS理論である。その概念装置がガウス平面とPS三角錐である。これを起点としてS科学を取り入れ物語を発展させようとしている。S科学は科学であるから一見唯物論に見えるがそうではない。
posted at 07:13:16-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件