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from: 生成門さん
2014年10月19日 08時52分25秒
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内観法を内観する
内観法を内観する
<内観法=内部観測>
内観法とは外観法に対峙するものです。科学は外観法を使います。つまり、対象と科学者は完全に分離されているのです。外観法は科学だけでなく、一般に認識する主体が客観的に物事を観察し説明するスタンスです。分かりやすく言えば、第三者、三人称の認識方法と言って良いでしょう。これに対して、一人称の当為者の主観的な観察で説明するスタンスが内観法です。人間はこの二つの方法をうまく使い分けて、生きています。科学は外観法を重視しそれに特化しています。それは研究者の恣意的な主観を排除するためです。科学が主観的なら神秘主義と何ら変わりがありませんよね。
ところが科学の舞台にこの内観法が登場したのです。何故でしょうか。それは生命のような物質でもあり精神でもあるような特殊な現象に対して科学的なアプローチを試みても拉致があかないことが明確になった来たからです。限界が見えて来たと言って良いでしょう。対象と観測者を完全分離するというスタンスは対岸の火事を見るようなものですから、決して生の火事を見ている訳ではないのですね。ですからどうしても抜け落ちてしまう部分があるのです。特に生命は身体をいくら丁寧に解剖しても命という実体は逃げてしまうのです。精神的身体という生命に対して物質だけを扱う外観法に依存していることに根源的な問題があるのです。科学は心を対象にしないのですから当たり前と言えば当たり前です。しかし、最近はコンピュータの進化したことで人工知能の研究もより深みが増してきました。
しかし、人間の知性を人工的に置き換えることはできないという悲観的な意見の方が多いようです。知的なもの(もどき)で良いならこのアプローチも役には立つでしょうが、感性や理性となるともは手の届くものではありません。
そこでなんとか生命を丸かじりする方法はないのかということになります。一滴も取り逃がすことなく納める方法です。それは人間の生き様そのものです。生きていることをそのまま掴むのです。対岸の火事ではなく、渦中に飛び込むのです。内部に留まり内部から外へ出る方法です。そしてまた内部に潜入するのです。潜入捜査のようなものですね。それが内観法です。
内観法と言えば、只管座禅の瞑想を連想しますね。確かに瞑想は内観です。ですから内観法を説明するには良いモデルです。その意味で主観的スタンスをとる宗教や芸術は皆、内観法です。只、瞑想は対象が自分自身だということです。自分以外の何かを対象とするのではなく、あくまで対象は自分です。しかし、対象と自分を分離しなで観察するという点では一致しています。だから精神的な分野は全て内観法を使っているといって良いでしょう。外観法を使う科学者でも研究しているときは内観しています。数学をしている数学者も説明している時以外は内観しています。このように内観法は巷にあふれているのです。
そこでこの内観法を外観法の弱点である生命探究に活用しようという発想が生まれてきたのです。それが内部観測論です。内部観測論のオリジネータは松野氏ですが、四次元能もこれを参考にして内部(心)を観測して見ることにしましょう。
四次元能の内観法は、自己の中に他者と取り込み自己を他者化することです。それを式で表現すると
φ=1+1/φ
となります。
これを悟りの方程式と読んだりしています。この式を時間発展させると、極限でφ=1.618という黄金比になります。つまり、自己は他者になるということは無我状態になる事を意味します。つまり、無我=悟りです。この式の時間発展はフィボナッチ数列の比を取った黄金比によるフラクタル分割=螺旋運動になります。フラクタル構造は物質世界では沢山現象として散見できますが、精神世界では形がないので見ることができません。しかし、この式を悟りの方程式お看做すと悟りを得る過程が可視化できたということです。
この式は物質も精神現象もイデア由来と見る四次元能にとってはとても重要な概念装置です。四次元能はモナドックスロジーという概念装置搭載のEVA(思考の仮想兵器)をつくろうとしているのですが、ここでまたいくつかの概念装置の組み込みに成功したようです。
そのいくつかリストしておきましょう。
<概念装置>
PS理論:海舌氏・・・森羅万象を解明する
太極PS陰陽論:Resurrection氏・・・同上
この二つはイデア優位論であり、他の概念装置の欠落部分を逆照射することで不足を補完することができる万能型です。
内観法:松野氏・・・主観を科学に取り込む。相互作用を土台として物質過程から生命が創発するというスタンスなのでイデア主義ではありませんが、それをPS理論で救済するとイデア論的内観法に変身できます。
S科学:佐野博士・・・内観法と同相、ただし、相互作用=作用反作用として数学的に定義している。反エントロピーの立場だからイデア主義です。
悟りの方程式=気の生成方程式
φ=1+1/φ
これは黄金比を求める式です。これを悟りの方程式としたのは岩本氏の意識の森の恋人達をヒントにしました。
これらを駆使してツイッターで呟いています。ツイッターで呟くこと自体がフラクタル内観法の実践であり、悟りの方程式=気の生成方程式:φ=1+1/φの時間発展になります。以下をご賞味ください。
2014年10月14日(火)62 tweetssource
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
指示代名詞と普通名詞(クラス)の関係はミクロの世界の内部観測=行為を説明する道具になる。
posted at 11:44:21
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
具体的な個別商品と売り場の関係は代名詞と普通名詞(クラス)の関係である。新しい商品が開発されるとどのクラスに入れるべきかで議論になる。クラスは売り場を決める。顧客のニーズとマッチしていないと個客は売り場に行っても商品がないから売れない。簀の子のケースはその例である。
posted at 11:42:14
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
ホームセンターで「簀の子はどこの売り場ですか」と聞くと、困ったことになる。店員は風呂場関連と答えるかも知れない。しかし、そこでは売っていない。風呂場では簀の子を使わなくなってきたからである。置いてあるのは押入れなど関連売り場である。簀の子のクラスが変更になったのである。
posted at 11:37:26
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
AKBを識別するためにメンバーの固有名詞又はそれを示す代名詞は必要ない。
スーパーで買い物をする時にこのペンはどこの売り場にありますか、とは言わない。「ペンはどの売場ですか」と聞くはずだ。すると店員は「文具売り場です」と答えるだろう。
posted at 11:28:29
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
グループ化された集合(クラス)は普通名詞(木や森など)で認識される。従って、可算(数えられる)かつ不変(変化しない)離散的な物質現象は普通名詞で識別される。AKBはメンバーを数えられ、且つ、AKBはメンバーの入れ替えがあっても不変である。AKBは普通名詞である。
posted at 11:21:07
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
あるまとまった離散値をもつ運動はグループ化できる。
posted at 11:12:17
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
量子の離散的振る舞いはある時間持続するから連続すると考えて良い。この場合の連続は実数の連続とは異なる。離艦的な運動が持続する意味である。蝶の動きは離散的である。しかし、連続している。実数の連続と間違えるので因果的持続、ないし、時間的変化とした方が良いかもしれない。
posted at 11:09:15
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
量子は離散的に振る舞う能動体=行為者である。その離散値は内部由来である。内部とはガウス平面の単位円の内部である。だからMPを含む。離散的な振る舞うの原因が外部からだとしても、自発的であることには変わりがないから内部由来と考えても良い。
posted at 11:01:44
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
松野氏のミクロの内部観測の進行形と完了の関係がいまいち分からないが、先へ進もう。
posted at 10:54:48
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
量子の振る舞いは離散値で行われ運動である。その運動は現在進行形の渦中にあって完了するという形で示される。進行しながら完了するというのはどういうことだろう。人間系なら朝起きて夜寝るという一区切りがあるし、昼間だってコーヒーブレークもある。しかし、核を廻る電子には休みなどない。
posted at 10:53:45
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
離散値の数学を取り入れるということは連続値の実数を捨てることを意味し、更に、連続の微分積分を捨てることを意味する。その代わりに差分和分を使う。連続の数学を捨てるということは量子過程に連続性を持ち込んだ量子論を否定することになる。
posted at 10:46:58
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
S科学では離散値こそが命である。離散値を取るということは、連続の実数を捨てるということである。内部観測論は従来の数学では生命を表現するのは現在の数学では物足りないと言って、新しい数学を構築する方向に向かっているがその前に離散値に数学を取り入れるべきである。
posted at 10:42:59
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
内部観測が離散値をとる量子の振る舞いを基盤としていることは大きな救いである。
posted at 10:39:14
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
内部観測は量子に依存する運動である。その内部は離散値である。内部をガウス平面とすると中心にMPがある。ここに離散値を基盤とするS科学と気を取り込むPS理論に接続できる可能性が見いだせる。
posted at 10:37:34
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
内部観測の基盤は物質現象にありイデアは関係しない。物質現象の基盤は量子の振る舞いにある。この物質とはS科学で言う正の質量の物質である。だからイデア由来の気も関与してこない。これは内部観測の限界を示す。量子の振る舞いは内部の離散値に由来する。ここに内部観測を救う道がありそうである。
posted at 10:33:29
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
生起する事象と実数の割り当ては可能なのだろうか。
posted at 10:00:58
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
ちゃんと確率を計算するためには何が起きるのかを知っていなくてはならない。その上でどれがどのぐらいの割合で選択されるのかを計算しなければならない。どのようにすべての生起する事象を知ることできるのだろうか。それは数えることができなければならない。それには実数を与えることになる。
posted at 09:57:59
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
未來の予測、予言は内部観測だろうか。どうもハッキリしない。
posted at 09:51:20
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
競馬を考えてみよう。競馬の予想屋はどの馬が勝ちそうかを予想する。データを分析する。馬や馬場の状態を実際に見る。これならまだ内部観測である。しかし、そこから確率に変換する。予想屋の確率だから主観である。単にあの馬が勝ちそうだと言っているだけだ。当てずっぽうかも知れない。
posted at 09:49:19
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
松野氏は能動体(原子や分子)の振る舞いを確率で表現するという。それがどうして内部観測なのだろうか。
posted at 09:41:58
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
能動体が未知との遭遇でどのように決定するのかを研究者はどのように知るのかという問題が浮き彫りになる。加速器を使って粒子を衝突させることはできない。何故なら、それは諸に内部に干渉するからである。外部観測者による破壊である。
posted at 09:40:15
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
内部観測状態にある環境に観測者(この場合は実験研究者)が入る場合は、能動体はこの観測体に対して能動性と受動性を持つ。
posted at 09:34:54
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
観測体は絶えず未知と遭遇する。その状況で能動的に選択し決定する。その選択は観測体によって異なる。個性があるのである。その意味で能動観測体=能動体といっても良い。能動体は個々の原子であり、分子であり、どの励起状態になるかを自らが決めるのである。
posted at 09:31:46
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
内部観測者というと人間が前提になっている様な誤解を与える。内部観測論は物質でも良いのである。物質があたかも意思をもって選択するかのように振る舞うのである。つまり自発的に動くというライプニッツのモナドである。内部=モナドであり、観測するのは物である。だから今後は観測体と言う。
posted at 09:24:29
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
内部観測者が置かれている状況は先が読めないということである。S科学との違いはここである。S科学は相互作用を数式でバッシッ!と決めていることである。陰陽論は易経で占うがサイコロを振る。ここが大きな違いだ。松野氏も確率を持ち込むから易経と同じである。違いは数学を使うことである。
posted at 09:17:45
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
松野氏の内部観測論は確率を持ち込んでいる。これを浄化しないといけない。何故持ち込むことになったのかを見ておこう。
代名詞の効用
http://phsc.jp/dat/rsm/20071031_3.pdf...
posted at 09:12:24
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
著作権フリーのN次製作は黄金比によるフラクタル分割であり、内部観測運動である。この運動のエネルギー供給はどうなっているのだろうか。フィボナッチの最初は1,1だから気の三角形で√2が気のエネルギーであり、ガウス平面のMPから身体と精神に供給される。
posted at 09:10:07
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
著作権フリーのN次製作は黄金比によるフラクタル分割であり、内部観測運動である。イデア由来の黄金比は物質現象しか現われないのではないかということは言えなくなった。N次製作は形の見えない精神活動現象である。それが黄金比に向かって収斂することが分かったことは大きい。
posted at 09:06:56
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
N次製作は著作権フリーであることが前提である。著作権は資本主義の前提である。だから著作権は所有の主張だからモダンの自我である。著作権フリーにすると私は他者に引用され他者になるからトランスモダンとなる。
これが悟りの方程式:φ=1+1/φで証明された。
posted at 09:00:57
10月14日@fractaleman68
森のように深い@fractaleman68
N次製作は私は他者に引用され他者になる。
悟りの方程式:φ=1+1/φを
φn+1=1+1/φn
とする。
この式は連分数で入れ子になるから
極限では
φ=1+1/φ
となる。
変形すると
φ-1/φ=1
(他者+私)-私=他者
引用の連鎖を無限に続けると私はすっかり他者になる。
posted at 08:56:52-
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