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from: 生成門さん
2014年12月23日 11時53分58秒
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物理単位の必然性が揺らぐ。これは物理=唯物論の根拠が蒸発したことを意味する。
対数変換すると驚くべき結末が待っている。その驚きとは「物理が唯物論」だという根拠の蒸発である。哲学者も真っ青になるだろう。この驚きこそが四次元能の精神革命と言う物語の狙いでもある。驚くから意識が変革するのである。
森にように深い
https://twitter.com/fractaleman68
四次元能の精神革命
http://symdance.blog.fc2.com/blog-entry-157.html
時間が記憶であることを探求しているが答えが出るまでにはまだ先が長そうである。対数関数と指数関数の可換性から連続と離散値の対応、ボールの運動方程式、道元の有時まで出て来た。どうして物理と禅が関係するのだろうと思うだろう。
時間と記憶の関係から驚くべきことが出て来るのが今回の精神探求のご馳走である。果たして本物のご馳走かどうかは賞味してみなければ分からない。では賞味にあずかろう。お品書きにはこんなことが書いてある。
世界で初めて精神と物理には裂け目がないこと発見できたというのである。物理とは唯物論であり、精神を除外するものであるというのが一般的な考えである。だから精神と身体は分裂して途方に暮れるのである。東洋ではそれを避けるために心身統一を図るがそれは実践論であって、理論ではない。理論のない実践は闇夜のカラスである。
何故、物理を唯物論として批判したかというと、この世界は物だけで構成されており、心も物の理で説明できるという考えがあるからである。しかし、それは成功していない。だから唯物論は片手落ちとして批判されたのである。ところがその物理と言うのはとんでもない根拠によって成り立っていることが暴露されたのである。
それをこれからお見せするという訳である。
以下略。-
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