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from: 生成門さん
2015/01/23 08:14:55
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この世界は離散値だということを示した式がある。これによって精神革命が起きる。
森羅万象を説明する哲学の先端はPS理論であるが科学と哲学と芸術とエネルギー(欲望)をガウス平面で位置付けして論ずることができる。この理論に数学を直交させることで物質=唯物論、精神=唯心(識)論の悪しき二元論を超越することができる。
その物質中心の科学(物理)に数学を直交させるとことは既に行われてきたから、何を今更と言うことになるが、ところが、二元論を超越できるかということになるとそうではないのである。
これまでの科学と数学の関係をそのまま持ち込んでしまうと虚軸のイデアが消滅してしまうのである。ガウス平面の虚軸は気の軸である。イデアの軸なのである。
厳密に言えばイデア由来の軸なのである。イデア⇒気⇒物質又は精神なのである。気とは虚のエネルギーであり、それが正のエネルギーとなって物質として現象するのである。このイデア、エネルギー、物質の関係を維持しながら物理と数学を直交させるためには虚軸を消滅させないように気を配る必要があるのである。
物理とは科学である。その科学が数学に依拠しているのである。ところがその数学には美人局がいるのである。その美人局の数学がイデアを語るのである。だから真理のイデアが消滅するのである。
どんな数学が美人局なのだろうか。それは微分と確率である。それらはともに連続概念を礎石とする数学である。連続とは繋がりである。繋がっている数が基本となるのである。
その数とは実数である。実数とは実の数である。ところが実数は実の数ではないのである。確かに実数には自然数・整数・有理数が含まれるから実の数である。しかし、無理数も含まれる。この無理数というのが厄介なのである。無理数こそ連続性を担う実数=美人局の正体なのである。何故、実数などという偽名を付けたのだろうか。それには数の歴史を振り返って見なければならない。
実数概念は比較的新しいのである。モダンになってからと言って良い。えっ!と思うかも知れない。無理数は紀元前600年前からあったのである。ところが自然数・整数・有理数・無理数をひっくるめて実数としたのは複素数が発明されたからである。虚数に対して実の数としたのである。虚とは嘘である。
デカルトはこの虚数を想像上の数として嫌ったらしい。虚数は日本語訳であるが、何故想像が虚になるのだろうか。虚妄は想像だからだろうか。
東洋人は虚々実々の駆け引きとか言う様にデカルトの様に想像の数に対して嫌悪感を持っていないのかもしれない。それにしても虚数(imajinary number)から実数(real number)がネーミングされたというのは面白い。
ところが、そのrealであるべき数が実在しない数だったのである。その可笑しさは無理数にあり、その数が連続性を担保することになり、微分という操作を可能とすることになり、科学を近代化することに一役を買うことになったのである。
ところがどっこいである。現実の世界は本当に連続なのだろうか。現実は連続ではないのである。離散値なのである。このことは量子論の発端となったE=hνp=h/λによって簡単に示すことができる。
エネルギーの最小単位はhν(hは定数νは振動数であり、共に離散値)であるということはエネルギーが離散値(飛び飛びの値を取る)だということを意味するのである。エネルギーが連続値をとると言うことが前提だった科学に革命をもたらしたのがこのエネルギーの式だったのである。-
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