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シムダンス「四次元能」

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  • from: 生成門さん

    2015年02月10日 17時21分22秒

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    フラクタル理論が物理の理論なら物理は唯物論とは言えなくなる。何故ならフラクタルな計算が自然をつくり、それが物質因果を超えてしまっているからである。

    実測(実際の観測)できることと計算できることとは異なる。実測と計算との関係は次の四つがある。

    1> 実測できれば計算できる。
    2> 実測できても計算できない。
    3> 実測できないが計算はできる。
    4> 実測も計算もできない。

    順に検討してきた。

    非線形の分野で4>の実測不可・計算可能のケースに相当する例はないだろうか。その典型がフラクタル現象である。フラクタルの式はZn+1=Zn^2+Cである。Zは複素数である。

    この式のnは回帰の回数であり無限である。だから計算を終わることができない。Cの値を一つ選んで計算をすると発散するか収斂するかである。

    発散するなら計算を途中で終わらせることができる。収束すればその値の周辺を拡大してまた別の値を選んで計算が可能である。

    Zは複素数Z=a+ibであり、a,bは実数なのでいくらでも拡大することができる。つまり、計算を終わらせることができない。そんなフラクタルが真理の解明に役立つのだろうか。

    よくわかるカオスとフラクタル。数学的解法の限界
    http://samidare.halfmoon.jp/mathematics/ChaosAndFractal/ChaosAndFractal7.html

    これによると数学には限界があるということである。数学の限界があるなら数学はイデアのエージェントだから真理には近づけない。本当だろうか。ではどんな限界があるというのだろうか。

    フラクタルとカオスは親戚だから簡単なカオスの式:Xn+1= c・Xn・(1-Xn)でその限界と言われる問題を探ってみよう。

    式をX0から展開してみよう。X0=u とすると
    X1=c*u(1-u)
    X2=c*X1(1-X1)
    =c*c*u(1-u)(1-c*u(1-u))
    X3=c*X2(1-X2)
    = c*c*c*u*(1-u)(1-c*u*(1-u))*(1-c*c*u*(1-u)*(1-c*u*(1-u)))
    ・・・
    Xn*1=c*Xn(1-Xn)

    とてもやっていられない。これが再帰する式が奇妙な形を生成する理由である。その仕組みは式を再帰的に無限回繰り返して増幅するのである。再帰的に無限回繰り返せば無限項の多項式になるのだから複雑になる。

    上の展開例はX3であるが、これをX100とかX1000になったらどうなるかを想像したら頭が痛くなるだろう。複雑さの度合いはもはや人間の思考できる限界を超えてしまう。

    c=4.3600...1の時にXn+1を計算するとどうなるだろうか。

    これは手では絶対に計算できない。コンピュータなら計算できる。コンピュータがあって初めてカオス・フラクタル現象が存在することが発見されたのである。決して数学的思考では発見できなかったのである。これが「数学が限界だ」という意味である。

    c=4.3600...1としたが、c=4.3600...01
    とするとどうなるだろうか。これは手では計算できない。コンピュータなら計算できる。しかし、cの値は無限にある。この無限はコンピュータでは対処できない。値は人間が与えてやらないといけないからである。つまり、有限化するということである。

    数学は計算しない。しかし、コンピュータで計算しないとフラクタル・カオスな不可思議は発見できなかった。これが「数学が限界だ」という意味である。限界というより数学が拡張されたと言った方が良いかもしれない。

    G生命論では理性(哲学)・知性(科学)・感性(芸術)を原生理論・原生計算・原生実験に対応させる。数学的知性は計算を可能にする。それが拡張された原生(粘菌)計算である。生命がフラクタルなら原生計算はフラクタルな計算である。だから拡張された数学は計算によって新たな段階に入ったと言うべきだろう。

    いずれにしてもフラクタルもカオスもコンピュータを使えば数学的思考では難しい問題も解くことができる。これがコンピュータ科学(計算科学)である。計算科学はさらに重要な問題を提起しているがここでは深入りしない。というより素人には無理である。

    カオス・フラクタルな自然現象が多いということは計算が自然を作るということになる。自然は物理の対象である。物理は物質因果を式で表現し計算する。だから物理は唯物論になる。しかし、フラクタルの計算が自然をつくるならそれは物質因果を超えてしまったということである。ということは、フラクタル理論は非物質が物質を生成したということになる。つまり非物質的因果である。フラクタル理論が物理の理論なら物理は唯物論とは言えなくなる。

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