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from: 生成門さん
2015年02月27日 17時18分57秒
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距離が始めであるという物語、時間と距離は同時であるという物語もある。
原始人が太陽の影を使って時間を意識したとしても、影を線としたのだから距離概念が先にあったとも言える。しかし、距離の単位はどうして決めたのだろうか。基準となる長さははどのくらいのだったのだろうか。今では光の進む距離で決まるが、当時は身長だろうか。
一日は太陽に依存したが、一日を24分割して更に60分割して、更に60分割して一秒を定義した長さと脈拍と一致しているのは単なる偶然だろうか。自然は奥深いところで繋がっているのではないだろうか。
基準となる一単位の長さは何だろうか。メートル原器や尺原器がある。1メートルは赤道と北極の距離の1/10000000だったが今では一秒に光が進む長さである。この決め方を見ても西洋の思考は合理的である。それに対して尺とか一寸は生活から来ている。合理的ではないが生活の場の現実感がある。原始人が太陽の光から一日の長さを決めたのと同じである。こちらが自然である。
1尺は33cmであり腕の長さ(尺骨)である。長さは洋の東西にかかわらず生活(身体)と関係して定義されたもである。寸は親指の幅を指す身体尺である。古代西洋のインチも同様である。尺は親指と人差指を広げた時の幅であり、寸と尺とは別々に定義されたが尺の長さが変わっても常に1尺=10寸という関係は維持されている。これは偶然だろうか。
いずれにしても、身体という視点から長さが定義されたのだから距離概念が先というのが正しいだろう。
しかし、物語はこれでは終わらない。狩りを考えてみよう。獲物は猛スピードで動いている。その速度の単位は[m/s]である。だから時間と距離の概念は同時に生成されて来なければならないのである。この物語は終われない。
又の続きにしよう。-
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